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「黒白を弁ぜず」作中における「キチガイ」の表現変更について

9月11日発売となる「黒白を弁ぜず」単行本第一巻について、編集部の判断により、作中のセリフ「キチガイ」の表現を変更することになりました。

変更前

変更後

こちらについて、読者の方に経緯を説明させていただきたく、このnoteを書くことにしました。

本作「黒白を弁ぜず」は、姉を殺された刑事である主人公の白葉大地(しらはだいち)が、姉を殺した張本人であり、心神喪失状態にあったことを主張して再審請求中の死刑囚・黒枝生(くろえだせい)と共に凶悪事件を捜査しながら「善悪とは」を問うサスペンスです。タイトルである「黒白を弁ぜず」は、善悪の区別ができないことをさします。
画像の白葉はその境遇から、刑事という公人の立場でありながらも、個人的な感情では犯罪者に差別的意識を持っており、感情の発露が起きたときに黒枝を「キチガイ」と呼称します。刑事の立場でありながら蔑称を使う、「善悪とは」を象徴するキャラクターの一人です。
もし本作を読んでいない方でこの記事について興味がある方はコミックDAYSのページで1話と2話を無料で読むことができるので、そちらでご確認いただけると今回の変更が分かりやすいかと思われます。

単行本発売1カ月を切った8月13日、担当から電話があり、「キチガイ」のセリフについて変更できないかという相談を受けました。頭が真っ白になりました。1年以上前から企画しており、4月に連載の始まった作品の1話目、それも作品のテーマを担っている重要な要素の一つの変更を、まさか単行本発売の1カ月前に申し出されるとは夢にも思っておりませんでした。

編集部からは「差別意識を持つ人は現実に存在しているし、それを描くことは問題ないが、この語(キチガイ)を使う必要はあるのか」という旨と

①「キチガイ」という語を使わない
②または「黒塗りの伏字をしない」

どちらかを選択するように、と言われました。

私はこの作品をセンセーショナルにするために「キチガイ」をいたずらにに使用していたわけではなく、理由があって用いていたので、それを述べた上で検討できないかご相談させていただきました。

言葉の意味は、時代によって変化します。
メディアにおける「キチガイ」の使用は、長らく自主規制の形がとられていました。その甲斐あり、「キチガイ」は蔑称・差別用語であるといった認識が広まり、現在は多くの人が「使ってはならない、嫌悪・忌避すべき語である」と認知しています。そういった歴史的背景から、令和現在では、キチガイという言葉を使用している人間に対しては「差別主義者(悪)である。」という文脈が存在しています。
本作で例えると、刑事であるにもかかわらず蔑称である「キチガイ」を使う主人公の白葉は、社会道徳を持つものの目にはその行為が肯定的に映ることはありません。白葉には差別意識を持ってしまうにあまりある理由が存在するとしていても、「気持ちはわからなくはないけど、それはそれとしてキチガイって言っちゃうのはちょっと……」というのが、一般常識的な考えだと思います。
この用法は、従来自主規制が必要とされていた「差別を助長する使い方」ではなく、「差別を防止する使い方」と、私は考えています。人権意識の高まりによってこの語の持っている文脈は変化したものと考え、敢えて使用することを決めました。「差別用語を使う者を、差別主義者であるとハッキリ描く、嫌悪感を抱かせる」ことで、「差別を防止する使い方」が実現できると考えているからです。ですから、白葉は刑事ではありますが英雄として描かれることは一度もありません。

また、黒ベタの伏字についても、この言葉が嫌悪・忌避するべきであるといった「ケガレ」を表現しながら漫画作品で「キチガイ」を使用する際に伏字をすることを踏襲する、唯一の表現と考え使用していました。これは、文字と絵の両方が描ける漫画というプラットフォームにしかできない「善悪の問い」だと思います。

そういった考えから、「キチガイ」の表現を変えることはできない・伏字をとることもしたくない、どうしてもというのなら単行本の発売を中止し、連載を打ち切りにしてほしいと主張させていただきました。これは、変更が必要な「差別を助長するような意図でのキチガイ」ではないことが、変更によって覆されてしまう(変更が必要だと判断される=差別を助長する意図があるとされる)という、表現者として耐えがたいものでした。

当初編集部が主張していた「伏字をすることで余計に反感を買う」を鑑み、「黒塗りの伏字ができないのであれば、伏せない程度に被せる形で吹き出し内にヨゴレを入れることはできないか」と妥協案などを提案させていただき、担当編集も3時間に渡って編集部と協議を行ってくださったのですが、結果は「ヨゴレ無しでないと駄目」とのことでした。「キチガイ」の語が強調されてしまうことを全面的に拒否されたようでした。

変更の相談を受け、打ち合わせには出版中止を前提に向かったのですが、連載開始・単行本発売に至るまでにご協力いただいたみなさんのご苦労を無駄にすることはできず、また、中止にすることで読者の皆様にもご迷惑をおかけしてしまうため、この形で出版することとなりました。特に、最後まで粘ってくれた担当編集のお二人には本当に感謝しても感謝しきれません。ありがとうございました。

表現の一つを失ってしまったことに、悔しさとも、悲しさとも、怒りともわからない感情を覚え、打ち合わせ中に何度も涙しました。何よりこの表現を好きだとおっしゃってくれていた読者の皆さんを裏切る形になってしまったことが本当に申しわけないです。私にもっと力があったら、発言力があったなら、この表現の正当性を主張できたのかと、表現方法の一つを失わずに済んだのかもしれないと思うと、悔やんでも悔やみきれません。

差別用語について、規制が必要と考える方がいるのは当然と思います。見聞きするだけで傷つく人もいることでしょう。しかし、文脈や本質的なところに差別を助長したり誰かを攻撃したりする意図のないものまで、キーワードのみで判断して「臭い物に蓋をする」でよいのでしょうか?問題提起の新しいかたちやすがたを、ましてや、文字や絵の力で世の中を変えていく力を持っているはずの「出版社が」機会を奪う……ということに、悲しみを感じています。その表現規制は、何のためなのでしょうか。「使わなければ」「目を背けていれば」いいのでしょうか。


ともあれ、不本意な形ではありますが9月11日に単行本が発売になります。ずっと熱心に掛け合ってくれた担当が「この漫画の面白さは、この表現が変わっただけで無くなったりはしませんよ」と励ましてくれて、もう1回泣いたことを思い出して、また泣きながらこの文章を打ちました。

善悪・倫理・道徳といった、少し言語化するのが難しい概念を、誰かに言われたそのままに受け取って、それからアップデートできてない人ってたくさんいると思います。だから差別が起きたり、逆に、差別用語が使われているだけで糾弾されたりしてしまう。ひとりひとりが、少しだけでも自分で考えたりできたら、表現はもっと自由になると思うから、私は「黒白を弁ぜず」で善と悪について描いています。そういった思いで描いたこの作品がこういう結果になってしまったことは皮肉ではありますが、よかったら手に取っていただければ幸いです。

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【追記:9月8日】
「黒白を弁ぜず」第一巻の巻末に「キチガイ」の使用について編集部よりお断りが入れられることになりました。

ツイートの通りですが、できれば修正などの経緯も含めて自分の言葉でお伝えしたかった。残念です。

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Junichi Kubotani

漫画家。講談社コミックDAYSにて「黒白を弁ぜず」連載中。

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