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徒然なるままに聖書をひらいて/復活したあと、どうなった?(1)​

 イースターは、イエスの復活を祝うお祭りです、というお話を先にしました。じゃあ、復活したあと、どうなったの? というところを、聖書をひもときつつ、みていきましょう。
 新約聖書の「使徒行伝」は、イエスが復活してからのちの、使徒たちの働きをテーマにした巻です。著者は「ルカによる福音書」と同じく、本業は医者のルカという人。「ルカによる福音書」の冒頭で、「私は起こったことを順序正しく書きますので〜」と言っているとおり、時間軸にこだわって歴史的に記述していることに、特徴があります。

 テオピロよ、わたしは先に第一巻を著して、イエスが行い、また教えはじめてから、お選びになった使徒たちに、聖霊によって命じたのち、天に上げられた日までのことを、ことごとくしるした。(使徒行伝1:1〜2)

 と書かれていますが、この「第一巻」が、「ルカによる福音書」ですね。

 イエスは苦難を受けたのち、自分の生きていることを数々の確かな証拠によって示し、40日にわたってたびたび彼らに現れて、神の国のことを語られた。そして食事を共にしているとき、彼らにお命じになった、「エルサレムから離れないで、かねてからしから聞いていた父の約束を待っているがよい。すなわち、ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によって、バプテスマを授けられるであろう」。(使徒行伝1:3〜5)

 イエスは十字架にかけられて死に、墓に葬られて三日後によみがえられました。そのあと、40日間、あちこちに出没し、弟子たちに神の国のことを語られたわけですね。弟子たちは、死刑になったあのイエスの弟子だとわかると、自分たちも逮捕されて処刑されるのではないか、と恐れて、エルサレムを離れ、故郷のガリラヤに帰っていました。実は、イエスを裏切ったイスカリオテのユダはシティーボーイでしたが、その他の弟子はみんな、ガリラヤという当時のイスラエルのど田舎出身だったんです。イエスご自身も、ガリラヤ地方の小さな村、ナザレの出身でした。

 そんな彼らに、イエスは「エルサレムから離れないで、待っていなさい」と命じられました。弟子たちにとっては、内心「えー? なんで?」と、納得できない言葉だったのではないかと思います。
 ところで、先へ進む前にもう一つ注目したいのは、イエスが弟子たちと共に食事をしている、ということです。復活したイエスって、なんか幽体離脱した霊だけの存在?って思いがちですが、ちゃんと、ゴハンも食べるんです。そういえば、創世記で、アブラハムがそうとは知らず、天使にごちそうするお話がありました(創世記18章)。天の上の人って、私たちのような肉体を持たない、霊体のようなイメージがありますが、そうじゃないんですね。

 さて、イエスの命じたことに、ちょっと抵抗を感じたであろう弟子たちは、こんな質問をします。

「主よ、イスラエルのために国を復興なさるのは、この時なのですか」。(使徒行伝1:6)

 イエスに従ってきた弟子たちは、何をイエスに期待していたかというと、イスラエルの正統な王となって、国を復興してほしい!ということでした。当時のイスラエルはローマ帝国の属国で、しかもその傀儡政権の座についているのはイドマヤ人の領主ヘロデ・アンティパスでした。ですから、イスラエルを統一したダビデ王の子孫であるイエスに、ユダヤ人の王となって、国を再興してほしい、そのとき、自分たちを政権の中枢で用いてほしい、という非常に現実的で功利的な気持ちを、彼らは持っていたんです。そういう目で、彼らの質問をもう一度見てみると、「エルサレムを離れるな」というリスクを負わせるなら、それなりのことをしてくれるんですね?! という、見返りを期待するようなニュアンスが、感じられるのではないでしょうか。

 しかしイエスの真意は、まったく別のところにあったのです。


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