見出し画像

徒然なるままに聖書をひらいて/復活したあと、どうなった(4)

「エルサレムを離れないで、待っていなさい」と命じられ、天に上っていってしまったイエス。不安の中に取り残された弟子たちは、どうしたでしょうか。

 その前に、少し振り返ってみましょう。もう一つ、イエスが言い残したことがありました。イエスが天に上られたあと、どうなるか、ということです。

「聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらには地の果てまで、私の証人となるであろう」(使徒行伝1章8節)

 地図を見てみましょう。

 赤い★のついたところが、イスラエルです。弟子たちはおそらく、エルサレム、ユダヤとサマリヤ、そして出身地ガリラヤと、自分たちの国を支配下に置いているローマの帝国のせいぜい一部までぐらいしか、思い描くことができなかったでしょう。全世界がどれくらいの広さなのか、まだ、知られていなかったのです。しかし、主はご存じでした。そして、もし弟子たちが力を受けて本気を出せば、歩いてでもアジア、ヨーロッパ、アフリカへ行けるという場所で、弟子たちと出会われたのです。イスラエルはまさに、世界の中心に置かれていました。弟子たちは、力を受けて本気を出したのです。

 しかし、このときはまだ、どうしたらいいのか分からないまま、取り残された状態でした。弟子たちは、どうしたのでしょうか。

 それから彼らは、オリブという山を下ってエルサレムに帰った。この山はエルサレムに近く、安息日に許されている距離のところにある。彼らは市内に行って、その泊まっていた屋上の間にあがった。その人たちはペテロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党のシモンとヤコブの子ユダとであった。彼らはみな、婦人たち、特にイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちと共に、心を合わせて、ひたすら祈りをしていた。(使徒行伝1章12節~14節)

 弟子たちはどうしたでしょうか。オリブ山をくだって、エルサレムに帰りました。イエス様が命じられた言葉に、従ったんです。
 メンバーを見てみましょう。ペテロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、ピリポ、トマス、バルトリマイ、マタイ、アルパヨの子ヤコブ、熱心党のシモン、そしてヤコブの子ユダ。全部で11人でした。いなくなったのは、日本ではイエス・キリストの次に有名な聖書の人物ともいわれる、イスカリオテのユダです。彼は自分がイエスを裏切ったためにイエスが死刑になったことにショックを受けて、自殺してしまったのでした。

 彼ら11人のほか、イエスに従ってきた女性たち、イエス様の母のマリヤやイエス様の兄弟たちみんなは、心を合わせてひたすら祈りをしていた、とあります。
 弟子たちは、とにかくイエスが地上からおられなくなって、どうしたらいいか分からないけれども、「エルサレムを離れないで、父の約束を待っていなさい」と言われたみ言葉を握って、その通りにしようとしていました。

 では彼らは心を合わせて、どんなことを祈っていたのでしょうか?

 それは、分かりません。ここに祈りの内容は、書いていないんです。でも、次に何があったかを見ると、神様が祈りにどう答えられたかが、わかるように思います。

 そのころ、120名ばかりの人々が、一団となって集まっていたが、ペテロはこれらの兄弟たちの中に立って言った、「兄弟たちよ、イエスを捕らえた者たちの手びきになったユダについては、聖霊がダビデの口をとおして預言してしたその言葉は、成就しなければならなかった。彼はわたしたちの仲間に加えられ、このつとめを授かっていた者であった。彼は不義の報酬で、ある地所を手に入れたが、そこへまっさかさまに落ちて、腹がまん中から引き裂け、はらわたがみな流れ出てしまった。そして、この事はエルサレムの全住民に知れわたり、そこで、この地所が彼らの国語でアケルダマと呼ばれるようになった。「血の地所」との意味である。詩篇に「その屋敷は荒れ果てよ、そこにはひとりも住む者がなくなれ」と書いてあり、また「その職は、ほかの者に取らせよ」とあるとおりである。(使徒行伝1章15節~20節)

 急に、話が難しくなったような気がしませんか。でも大丈夫です。
 みんなが心を合わせて祈っていた、その祈りの場には120人ほどの人がいた、ということですが、ペテロがその中で立ち上がって、話し始めました。その内容は「イスカリオテのユダの裏切りは、聖霊がダビデの口を通して預言していたことで、それが、成就したのだ」ということです。
 その内容の他に、「あれっ?」と思ったことが私にはありました。
 ペテロって、こういうキャラだったでしょうか? ここでペテロは、聖書の解き明かしをしているんですが、今まではどうだったでしょうか。イエスがともにおられたときのペテロは、12人の弟子のリーダーでしたが、いつもピントのずれた答えをしたり、早とちりをしたり、ちょっとおっちょこちょいだったり…。聖書の知識はありましたが、イエスの言われることが、ピンときていないところがありました。
 そんなペテロが、なんか、すごいことを話し始めたんです。一体、何があったんでしょうか。
 私は、ここに先ほどの質問、「心を合わせて、どんなことを祈っていたのか」の答えがあるのではないかと思いました。イエスが地上から姿を消されたあと、リーダーを託されていたのはペテロです。これから先、どうしたらいいのか。ただ、待っていなさいと言われて先のことがわからない状況の中で、みなは心を合わせて、リーダーであるペテロのために祈ったのではないでしょうか。ペテロが、ユダについての預言について悟ることができたのは、祈りによって主が働かれた結果ではないか、と思います。

 そして、このことによって、一つの動きが出てきました。ペテロは、この聖書のみ言葉の示しによって、次にするべきことをみなに知らせます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?