見出し画像

徒然なるままに聖書をひらいて/復活したあと、どうなった(5)

 イエスが天に上られて、そのあとどうしていいか分からないまま、イエスの言葉どおりに、エルサレムに留まることにした弟子たち。彼らが心合わせて祈る中で、ペテロが立ち上がって、次に何をすべきか、語りだしました。

 そういうわけで、主イエスがわたしたちの間にゆききされた期間中、すなわち、ヨハネのバプテスマの時から始まって、わたしたちを離れて天に上げられた日に至るまで、始終わたしたちと行動を共にした人たちのうち、だれかひとりが、わたしたちに加わって主の復活の証人にならなければならない。そこで一同は、バルサバと呼ばれ、またの名をユストというヨセフと、マッテヤとのふたりを立て、祈って言った、「すべての人の心をご存じである主よ。このふたりのうちのどちらを選んで、ユダがこの使徒の職務から落ちて、自分の行くべきところへ行ったそのあとを継がせなさいますか、お示し下さい」。それから、ふたりのためにくじを引いたところ、マッテヤに当たったので、この人が11人の使徒たちに加えられることになった。(使徒行伝1章22節~26節)

 こうしてペテロは、抜けてしまったユダの代わりに主の復活の証人になるべき、もう一人の使徒を選びました。選ばれたのは、マッテヤという人ですね。

 では、なぜ、イスカリオテのユダが抜けた穴を埋める人を、選ぶ必要があったのでしょうか。なぜ、使徒は12人でないといけなかったのでしょうか。

 それには、3つの理由があると思います。

 まず一つ目は、二人一組で行動するためです。イエスご自身が、最初に弟子たちを使徒に任命して派遣されたとき、ふたりずつをつかわすことにされました。(マルコ6:7 また12弟子を呼び寄せ、ふたりずつつかわすことにして、彼らにけがれた霊を制する権威を与え、)11人では、一人半端になってしまいますよね。

 二つ目は、復活の証人として認められるためです。イエスは「地の果てまで、わたしの証人となります」と言われました。モーセの律法によれば、正式な証言と認められるためには、2人以上証人が必要でした。一人だけの証言では、その人が嘘を言っているかもしれないからです。
(申命記17:6 ふたりの証人または三人の証人の証言によって殺すべき者を殺さなければならない。ただひとりの証人の証言によって殺してはならない。)

 三つ目は、イエスが12人の使徒を選ばれたからです。そこには、将来の約束もありました。
(マタイ19:28 イエスは彼らに言われた、「よく聞いておくがよい。世が改まって、人の子がその栄光の座につく時には、わたしに従ってきたあなたがたもまた、十二の位に座してイスラエルの十二の部族をさばくであろう。」)

 こうして、最初にイエスが言われたこと、「聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」ということが実現するための準備が、整えられたということです。

 この物語から、私たちは、神様が働かれるときを待っている間の心がけを学ぶことができます。
(1)まちがった期待をしない
 弟子たちは、復活されたイエスに、イスラエルを復興されるのは、このときなんですか?」という期待をしていました。神様のみこころではなく、自分たちの期待が実現されることに、焦点をあわせていたのです。そうではなく、「みこころは何だろうか」と主にたずね求めることが大切だと思います。

(2)神様のみ言葉をにぎる
 イエスは「エルサレムを離れないで、父の約束を待っているがよい」と言われました。弟子たちは、エルサレムに留まることは危険だとわかっていましたが、そのみ言葉をにぎって、一つのところに集まり、待っていました。み言葉を信じてにぎっていなければ、待つことはできなかったと思います。
 集まっていた120人の中には、イエスの母マリヤもいましたね。マリヤが天使から、「あなたは聖霊によって身籠りました。生まれてくる赤ちゃんは救い主になりますよ」と言われたとき、どう応えたでしょうか。マリヤはその意味が理解できたとはいえなかったと思いますが、でも、「お言葉どおりに、この身になりますように」とこたえ、その言葉を心に留めていました。
 弟子たちも、「聖霊がくだるとき、力を受ける」とはどういうことなのか、よくわからなかったけれども、その言葉を心に留めて、集まり続けたのです。

(3)心を合わせて祈る
 祈りによって、ペテロに主が働かれ、今まで閉ざされていた聖書の言葉に目が開かれました。聖霊によらなければ、だれもイエスは主である、という事はできない、と聖書には書かれていますが、そのようなことが、ペテロに起こったのだと思います。心を合わせて祈るとき、主は何をすればよいかを教え、働き人を立て上げられます。そのとき、ペテロのように、立ち上がることが大切です。

(4)主が働かれるために、ふさわしいかたちを整える
 11人に減っていた使徒に、もう一人代わりの使徒を加えました。それは、イエスの復活の証人としてこれから働くためのかたちを整えた、ということです。そのことで、「あなたがたは、地の果てまでわたしの証人となるでしょう」と言われた、イエスの言葉の通りになるための、第一歩を踏み出す体制が出来上がったのです。

 このあと、聖霊がくだって「教会」というイエス様を信じる人たちの大きな集まりが誕生します。このときには、聖霊によってさまざまな現象が起こりましたが、その出来事に先立って、すでに主は祈りに答えて働かれ、リーダーのペテロは聖霊によって、聖書の語っていることや、イエスが約束されたことを悟ることができたのではないでしょうか。

 イエスが復活されたあと、どうなったのか?という視点で、聖書を開いて、お話ししました。使徒たちは、このあと劇的な変化をとげ、この聖書「使徒行伝」のヒーローとなっていきます。「使徒行伝」の主役はキリストの弟子たちですが、しかし、その背後にあるのは神様のドラマです。そして、弟子たちにくだった聖霊が、どのように使徒たちを導き、地の果てにまで福音を伝えるための後押ししたか、という聖霊の働きを描いたドラマです。

 そのプロローグともいえるお話が、イエスが復活されて昇天し、弟子たちが戸惑いつつも祈り、次になすべきことを示されて行う、という短いエピソードの中に、凝縮されているような気がしました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?