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読書録/羽根田治「ドキュメント ○○遭難」シリーズ

 映画「八甲田山」を観たせいか、山岳遭難のことをもっといろいろ知りたくなり、ネットで検索してみたところ、探し当てたのが「山と渓谷社」から出ている、このシリーズ。たまたまウオーキングのときに立ち寄る本屋さんで文庫版があったので手に取ったところ、すっかりハマってしまった。

私が手に取ったのは、以下の5冊。
(1)「ドキュメント気象遭難」
(2)「ドキュメント道迷い遭難」
(3)「ドキュメント単独行遭難」
(4)「ドキュメント滑落遭難」
(5)「ドキュメント生還~山岳遭難からの救出」

(1)の「ドキュメント気象遭難」は急激な気象の変化によって生じた遭難事故で、雪崩、突風、低体温症、凍死、異常降雪、暴風雪による遭難事例をレポートしている。私が手に取ったこのシリーズの中で唯一、死者が出るものである。

(2)の「ドキュメント道迷い遭難」は、道に迷った末に進退窮まり救助を求める、という遭難事故である。気象遭難が北アルプスや大雪山系など、かなり本格的な登山での遭難事故だったのに比べて、気軽に出かけた日帰りハイキングなどの事例があり、おそらく一番身近で、誰にでも起こりうる遭難事故ではないだろうか。

(3)の「ドキュメント単独行遭難」は、特に単独で出かけた登山者が起こした遭難事故を扱っている。「道迷い遭難」の場合もほとんどが単独行であるが、この場合は道迷いのほか滑落事故、気象遭難など様々な事例があり、単独行であるがゆえの、遭難事故に直面した際の対処の難しさが取り扱われている。

(4)の「ドキュメント滑落遭難」は、文字通り、登山ルートから滑落するという遭難事故の事例を集めたものである。単独行の場合もあれば、30人という大人数のツアー的登山の事例もある。

(5)の「ドキュメント生還~山岳遭難からの救出」は、遭難事故に遭遇した人が救助を待って行き延び、無事救出に至った事例を取り上げている。遭難の原因は様々だが、筆者は「数日~十数日をいかに生き延びることができたか」にフォーカスをあてている。

私自身は、学生時代にワンダーフォーゲル部に所属し、多少山登りをしたことはあるものの、今はすっかり離れているわけだが、この本は、単に山岳遭難について知る、という以上の興味深さがあって、手に取るたびに一気読みしてしまうのだった。
それはなぜか、と考えてみると、理由は3つあると思う。一つは、著者が基本的に、遭難した当事者に取材して、本人のインタビューをもとに記事を構成していること。もう一つは、インタビューしていることから分かる通り、遭難したのち何らかの形で救出されたか自力下山したかで、助かったという結果がわかっていること。最後は、それゆえに、単に遭難事例としてだけでなく、遭難した当事者の、山をめぐる体験記として、物語のように読めること、ということである。

山岳遭難とは、ちょっとしたミス、判断の誤りからひき起される、生死をさまよう大事故である。しかも、重傷を負ってなお、誰かにそれを伝えて助けを求める手段もなく、家に戻らない、どうしたんだろう、と誰かが気づいて救助要請をしてくれなければ、生きて山中に取り残されていても、助かる見込みはないのである。猛吹雪の中で一人、二人と凍死していく状況で、あるいは滑落して骨折し、誰もいない谷底で身動きできない状況で、朝を迎え、いくたびも夜を過ごし、生き延びて救出された人々。「ドキュメント生還」の冒頭で著者は書いている。

 仕事の合間にこつこつと国内の山に登っている、ごくふつうの山好きな人たち。個人の楽しみや健康のため、ささやかな趣味としての山登りを実践している登山者たち。彼らが予期せぬアクシデントに見舞われ、絶体絶命の状況に追い込まれたとき、そこでなにを考え、どう行動するのか。そこで結果として力尽きて死んでいく者と九死に一生を得る者との差はどこにあるのか。

 このドキュメント遭難シリーズを貫くテーマは、まさにそこにあると言っていい。ごく普通の人々が、極限状態に置かれたとき、残りの食糧を小分けにして「あと○日間はこれで生き延びる」と計算したり、ミミズやおたまじゃくしを生のまま食べたり、傷口にわいたウジムシを何とかしようともがいたりする。その普通の人の強さ、たくましさ、生きることへの強い意志に、心が動かされるのだ。

 気象遭難ではこのシリーズで唯一、パーティーの中で死者も出ている。数名のパーティーのうち生存者は1名のみ、というケースもある。ばたばたと倒れて行く人を見捨てて行かなければならない、そこにも、ある種の極限状態がある。と同時に、大自然の中で、人というのはほんの少しの気象の変化で、あっという間に死んでしまうという事実に愕然とする。

 救助は、主に山岳警備隊によって行われるが、時には沢にやってきた釣り人が第一発見者になることもある。そんなとき、彼らは、せっかくの楽しい休日を台無しにされながらも、懸命に遭難者の救出に尽くしている。そんな事例を読んで、胸が熱くなった。一方で、山岳警備隊の救助活動の現場に通りがかった登山者が、遺体の写真を興味本位に撮ろうとしたり、救助に来る以前に、遺体のそばをたくさんの登山者が通りがかった形跡があり「なぜ誰も助けようとしないのか」と憤りを憶える場面もある。人を見捨てるのも人なら、助けるのも人である。私ももしそんな場面に遭遇したら、助ける者でありたいと強く思った。

 遭難事故が起こると、最近はネットでの叩きも行われる。救助活動のために多額の税金が費やされることに、非難の声が上がることもある。だが、具体的に遭難事故を詳しく見てみると、確かに当事者に何らかの落ち度があったとはいえ、そうであっても何とか無事に帰れることもある。まさに紙一重で生死の淵に立たされた人々なのである。そういう人に対して、落ち度を叩いてやり玉に上げるというのは、決して次の事故を防ぐものにはなり得ないと感じた。やはりこの著者のように、地道な取材の積み重ねで、起こったことを明らかにしながら冷静に検証する姿勢が大切であり、すべての物事の基本ではないかと思った。それと、本書では救助にかかった費用についても具体的な金額が書かれており、すべてが税金でまかなわれているわけでなく、遭難救助にはそれ相応の負担(かなり高額)があることも分かる。それも一つの貴重な情報ではないだろうか。

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