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徒然なるままに聖書をひらいて/復活したあと、どうなった(3)

 キリストが十字架にかかって死なれ、墓に葬られて三日後によみがえったというお話。じゃあ、そのあと一体どうなったの? ということについて、聖書をひもときながら語っています。今日は3回目。よみがえられたイエスは、弟子たちに「エルサレムを離れないで、待っていなさい」と命じられ、ご自身は天へ昇っていかれました。

 では、残された弟子たちはどうしたのか…という話に進む前に、少しさかのぼって、イエスがよみがえって、墓から出てこられたとき、弟子たちはどうしていたのか、そしていつ、どういうふうにイエスと再会したのか、ということを振り返ってみたいと思います。

 イエスが墓からよみがえられたのを、最初に目撃したのは、イエスに従っていた女たちでした。ルカの福音書によると、

 この女たちというのは、マグダラのマリヤ、ヨハンナ、およびヤコブの母マリヤであった。(ルカ24:10)

 ということです。彼女たちが週の初めの日、夜明け前にイエスの墓に行ったのは「もしかしたら」と何かを期待していたわけではありません。イエスは金曜日の午後3時ごろに息を引き取りました。土曜日は安息日で何の働きもしてはいけないので、急いでその日のうちに墓に葬られました。そこで週の明けた日曜日の朝早く、女たちは、葬りの際遺体に塗る香料を、イエスの体に塗ってあげようと、急いでやってきたのです。
 ちなみに当時のユダヤのお墓というのは、洞穴のようなところの壁面に棚を作って遺体を寝かせるもので、遺体には腐敗を防ぐための香料を塗って亜麻布でぐるぐる巻きにしました。こうして時間をおき、やがて遺体が朽ち果てて骨だけになったところで、改めて骨壺に骨をおさめて、墓に納めたといわれています。

 そこで女たちは、意外な光景を目にします。墓の中にイエスの遺体は見当たらず、ふたりの天使が、イエスはよみがえられたと告げたのです。

「そのかたは、ここにはおられない。よみがえられたのだ。まだガリラヤにおられたとき、あながたがにお話になったことを思い出しなさい。すなわち、人の子は必ず罪人らの手に渡され、十字架につけられ、そして三日目によみがえる、と仰せられたではないか。」(ルカ24:6〜7)

 女たちは急いで、墓から帰ってこのことを、11人の弟子や他の人に報告しました。しかし、弟子たちは女たちの話を信じませんでした。
 弟子たちのリーダー、ペテロは墓を見に行ったのですが、亜麻布だけがそこにあったので、不思議だなあと思いながら帰って行った、とルカは伝えています。

 弟子たちは、自分たちも捕まえられるのではないかと、戸をしめて閉じこもってました。ヨハネによる福音書に、そのときのことが書かれています。

 その日、すなわち、一週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人をおそれて、自分たちのおる所の戸をみなしめていると、イエスがはいってきて、彼らの中にたち、「安かれ」と言われた。そう言って、手とわきとを、彼らにお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ。(ヨハネ20:19〜20)

 弟子たちは、イエスご自身が、戸を閉め切ったところに入ってこられ、傷跡の残った手とわきを見てはじめて、イエスがよみがえられたことを悟ったのです。

 しかし、弟子たちはその後、エルサレムを離れてガリラヤに戻り、ペテロやヨハネ、トマス、ナタナエルらと一緒にいて、もとの漁師の生活に戻ろうとしていました。イエスはよみがえられましたが、弟子たちはイエスが捕らえられたとき逃げ去ってしまい、ペテロは三度も人に尋ねられて「イエスなんて知らない」と言ってしまったのです。イエスがよみがえられたからといって、元のような子弟の関係に戻れるとは思っていなかったのでしょう。彼らには、イエスを見捨ててしまったという罪責感があったに違いありません。

 イエスは、そんな彼らに「何か食べるものはあるか」と呼びかけられます。ともに食事をする、ということは「ゆるし」を現す行為でした。イエスはペテロや弟子たちのために、朝の食事を用意して、ともに食事をされたのです。そして、ペテロに三度問いかけました。「わたしを愛するか」。
 ペテロはイエスのゆるしを受け、「わたしの羊を飼いなさい」とすすめられました。こうして、再び彼らはイエスのもとに集まり、ペテロがリーダーとなって、再びエルサレムへ戻って行ったのでした。

 このような挫折と葛藤、イエスとの再会と和解を経て、彼らはよみがえられたイエスの下、立ち上がろうとしていました。そんな矢先、イエスは「エルサレムを離れないで、待っていなさい」と言い残し、天へ昇っていかれたのです。

 不安の中に取り残された彼らは、ただ、祈るしかありませんでした。

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