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ライフキャリア -親のこと-


今年2月初めの金曜夜、母から少し慌てた様子で電話があった。丁度仕事が終わった位の時間だった。「パパが転んじゃって大変だからすぐ来て、すぐ!」電話は時々掛かってくるがこういった切羽詰まった感じはこれまでなく、それ以上話も出来そうになかったので、言われた通り直ぐ向かった。
父と母は東京郊外、私の自宅からは1時間ちょっとくらいの所にある「サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)」に住んでいる。10年程前に私も結婚前まで住んでいた実家を手放し、暫く駅近の静かな賃貸マンションに住んだ後、食事の準備が億劫ということで、現在のサ高住に転居したのだ。
どちらかというと母の意向でそこを選び、住み始めた頃は良かったのだが、どうも肝心の食事がもう一つらしく、徐々に不満が募っている状態だった。
父88歳、母83歳、コロナ禍以降外出も極々限られたところだけ、会いに行くのも私や姉くらいで、家にいるとかなり頼りなくなったと感じることが多かったが、それでも年明け久し振りに我が家4人で会った時には凄く元気で、食事もモリモリ食べていて驚いたばかりだった。大きくなった孫の顔を見れて相当嬉しかったのだろう。嬉し楽しいと人は見違えて元気になる!そんなことを思った矢先だった。

着いて施設のケアマネージャーさんから話を聴くと、食堂に向かう際、玄関先で転倒したのを向かいのおじいさまが知らせてくれたのだそうだ。母は先に行っていたらしい。外傷は殆ど無かったが、兎に角検査をした方が良いということで、その日は泊まり、翌日から精密検査をしてくれる病院を探すことに。しかしそれが大変。こちら(父)の状況を説明し、然るべき診療科で可能なら入院して診て貰えるところを探すのは一苦労。とても母では出来ることではない。予約が一月近く先しか取れない病院、まずは来てと言われ少しの希望を持って訪れても2時間待たされてコロナ検査で終わり・・というようなこともあった。医療機関の事情やスタッフの方のご苦労は分かっていても、すがるような気持ちの患者からすると何とも言えない気持ちになる。

父の転倒から6日後、漸くしっかりと診て貰えそうな病院が見つかった。到着を待ってくれていた看護師の方もこれまでになく良い感じ(ある意味顧客扱いされているような)だ。暫くの検査の後、母と二人医師の話を聴くと、身体全体が炎症で冒されており「重篤な状態です」という言葉が出た。そのまま一月近い入院になるかもとのこと。入院させてくれるのはこちらにとっては非常に有り難い。医師の言葉も専門用語は入るがとても明瞭で分り易かく信頼出来る感じだ。やはり何事も人間関係、第一印象やコミュニケーションって凄く大事。

入院の間には、母の様子を見るのにちょこちょこ往き来したり、退院後父が暮らしやすい状態にするため、久し振りに遠方に住む兄も含め3人が集まってサ高住の断捨離をした。父は本好きでここにも大量の書籍と書棚を持ち込んでいた。その為生活動線が制限され、とても不便な状態だったのだ。
全員おばさんおじさんとは言え、3人もいると1日であっという間に大きく片付くものだ。父のベッド(実は私が独身時使っていたもの・・^^;)も介護用レンタルに入れ替え、受け入れ体制も整ってきた。

入院から10日ほど経ち、医師から経過を聴く機会があった。
炎症の状態は大きく改善され、併せて尿路感染症も落ち着き、内科的には退院出来る状態とのこと。
一方、心理検査において認知症が進んでいる結果が見られた。多面的認知機能の状態を示す検査において特に低下が見られる能力は10項目の内4項目。
 見当識:年齢、日付時間、場所など自分が置かれている状況が分からない
 構 成:モノの形の認識(〇や△)があやふや
 記 憶:記憶力が弱い(10分後には忘れてしまっている)
 判 断:状況理解、合理的判断が出来ない
見当識なんて初めて聞いた言葉だが、確かに思い当たるところがある。記憶については母も良く愚痴っていたし。。
認知症、やはりそうだったのだ。
この時分かったことで面白いことが一つ。父のIQは上位1割に該当する非常に高い数値らしい。そこだけでも受け継いでおきたかったものだが。。~_~;

私は両親と似ても似つかない。いや顔は母そっくりでおじさんになるにつれ父とも似てきたか・・と思うことはあるが、中身は全く違い、突然変異のようだ。二人はク〇がつくほど真面目で、バ〇がつくほど正直なちょっと天然入ってるとも言えるような純粋な人達。ここまで違い、兄弟の中でもデキの良くない私だが、少し年の離れた末っ子ということもあり、あまり怒られることもなく育てられ、否定的なことを言われることも無かった。
姉や兄は学生の時から一人暮らしをしたが、私だけは結婚するまでほぼ実家におり、特に母とは長く暮らした。今でも一番親の近くに住んでいて往き来が多く頼られることも少なくない。逆にこの年齢になっても何かと親の世話になっているのも私だけかも知れない。姉や兄とは距離感が違う。

子供の頃、絶対的な存在であった両親。そんな二人が少しずつ出来ることが少なくなり、老いというストレスの中で日々生きている様を見るのは結構切ない。少しでも笑って過ごせるよう、出来るだけ寄り添いたいと思う。
併せて、自身が年を重ねていく際、どのように生きると楽しく幸せななのかも少しずつ考えるようになった。
今年に入り “子ども” というロールの割合が急に大きくなった。色々と折り合いをつけ、上手く役割を全うしたいと思う。




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