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日向坂46が経験した「不遇」の本質

こんにちは。YASHIです。

今回は「日向坂46」についての話題です。最近4期生が加入してかなり大所帯となった日向坂46ですが、23年の2月11日で4周年を迎えています。(けやき坂46時代からだと間も無く6年目に入ります)

けやき坂46から日向坂46に改名&シングルデビューしてから鰻登りに人気が上昇したのですが、改名当初はけやき坂時代が「不遇だった」や「2軍扱いであった」と言うネガティブな経験について、TV番組やメンバー本人の口からよく語られました。
ただ、このネガティブな状況がどのような構造になっていたかを分解して語られることがほとんどなく、私としては長年モヤモヤしていたところです。

旬なネタではありませんが、noteを始めたことを契機にここでまとめる機会を頂ければと思います。
※本記事では「欅坂46=漢字欅」、「けやき坂46=ひらがなけやき」と記します。



不遇の本質を紐解く

ひらがなけやきから日向坂46に至るまで

では、最初にひらがなけやきの歴史をいくつか抜粋してご紹介します。

まず前提として、ひらがなけやきは「欅坂46に合格したものの家族の反対から一度辞退し、運営が説得した結果、遅れて加入となった長濱ねるが活躍できる場を作る」と言う名目で誕生しました。

■2016年
・5月8日:長濱ねるとオーディション合格者11名でひらがなけやきが始動。
★8月10日:初の楽曲「ひらがなけやき」が収録された欅坂46の2ndシングル『世界には愛しかない』が発売。

■2017年
・3月21日〜22日:『けやき坂46単独公演』を開催
・8月13日:追加メンバーの合格者9名(2期生)が決定
・9月24日:長濱ねるのけやき坂46兼任が解除され、欅坂46専任が決定。

■2018年
・1月30日〜2月1日:『ひらがなけやき日本武道館3Days!!』を日本武道館にて開催。当初は1月30日のみ開催予定だったが、漢字欅の平手友梨奈の怪我等により3日間の公演に変更。最終日に単独作品となるアルバムの発売が発表される。
・4月9日:初の冠番組『ひらがな推し』(テレビ東京)が放送開始
・6月20日:けやき坂46のデビューアルバム『走り出す瞬間』を発売

■2019年
・2月11日:「ひらがなからのおしらせ」としてSHOWROOMで生配信を行い、単独での初のシングルの発売やオフィシャルサイトの開設などを発表。配信の最後には「日向坂46」へのグループ名の改名が発表された

(引用/参考元)





グループ名義での活動制限

さて、上記のように日向坂46改名までの道のりを記載してきましたが、武道館での公演や単独アルバム発売、冠番組を持つなどアイドルグループとして見るとかなり優遇されているように思えるかもしれません。

しかし、日向坂46デビュー当初に彼女達やメディアから発せされるものは、ネガティブなものばかりです。


私がここで問題だと思ったのが、このように「2軍」といった言葉が先行しすぎて、彼女達が置かれていた立場の異質性を十分に説明できていない点です。それをこれから細かく書いていくのですが、逆に説明が難しい理由も同時に見えてくると思います。


日向坂46に至るまでの項目で★を付けた『初の楽曲「ひらがなけやき」が収録された欅坂46の2ndシングル『世界には愛しかない』が発売。』がまず本問題の一つ目のキーとなる部分です。
これを少し言い方を変えると、「ひらがなけやき初の楽曲が漢字欅の名義のシングルに収録されて発売された」ということになります。つまり、漢字欅のカップリングのような形で収録されたということです。さて、この収録のされ方ですが、日向坂46として改名するまで続きます

そもそもの話として、漢字欅とひらがなけやきはグループとしては独立した組織になります。漢字欅のユニットでもなければ一時期の長濱ねるを除いて兼任メンバーもいません。
それにも関わらず、日向坂46に改名するまで単独アルバムを除いてひらがなけやき名義の音盤を出すことができなかったのです。それに付随して単独での音楽番組出演も制限されていたように思います。

例えていうとすれば、「ユニクロ」と「GU」という異なる会社があるとして、「GU」はたまのポップアップを除いては「ユニクロ」名義の店舗の一区画でしか商品を提供できない状態になっているという感じです。そして売上は「GU」分も含めて、全て「ユニクロ」の収益として計上されます。

もちろん売り上げも含めた戦略的な意図があったからと思いますが、このような異質な状態のアイドルやアーティストを私自身他に見たことがありません。


都合の良い扱い

かつて「ベストヒット歌謡祭」にて欅坂46×けやき坂46のコラボが披露されました。(「コラボ」と銘打っていることからも双方が独立組織であることがわかります。)
こちらは私もリアルタイムで見たのですが、実際にどのようなパフォーマンス内容だったかというと、漢字欅の「アンビバレント」をひらがなけやきの数名が同じ衣装を着て混ざって披露をし、ひらがなけやきの楽曲披露はなしというとてもコラボとは言えないものでした。

ちなみにこれには裏事情があり、当時三つの坂道グループのメンバー数名が出演していた「ザンビ」という舞台があり、漢字欅に欠員が数名発生していました。その代打としてひらがなけやきに白羽の矢が立ったのだと思いますが、あくまで双方別組織なので「ヘルプ」と表現することもできず「コラボ」という表現にしたのだと思います。

また、上記コラボとは別にファンの間で特にその扱いが酷評されたのは「2018年欅共和国」で、漢字欅とひらがなけやきの合同ライブでありながら、ひらがなけやきは3曲しか披露ができませんでした。
漢字欅全盛期ではありましたが、合同ライブとして期待して行ったひらがなけやきのファンの多くはかなり落胆したと思います。前座ではありませんが、それに似たような扱いを受けていたということです。



不遇の本質

一旦「不遇」と呼ばれる状態をまとめると、「漢字欅のユニットのように音盤では取り込まれ、ライブでは前座のように僅かな曲数を披露し、時には他グループでありながら2軍のように代打で駆り出されていた」が正確な説明だと思います。
上記の状態が積み重なりメンバーもファンも相当なフラストレーションを抱えていたと思われますが、このように羅列すると説明時に非常にややこしいので、「2軍扱い」と短くまとめられたと思います。

兎にも角にもひらがなけやき時代に彼女達が経験した状況は、アーティストとしてはかなり異質な状態だとは思います。
※ちなみにこの体制を主導していたのは運営ですので、欅坂46への直接批判は御法度です!



最後に

日向坂46に改名後、1st single「キュン」が大ヒットし、またグループ全体としてバラエティへの適応能力が高いため、キャプテンの佐々木久美を中心に様々な番組に多数出演しています。ここまでくれば、結果的に報われたと言ってもいいのではないでしょうか。記述してきた苦労の経験が彼女達(特に1期生)の今の活動を支えているのと同時に、活動のモチベーションを爆発させたのかと思います。

ちなみに余談ですが、アイドルの運営は音楽界ではかなりファンから反感を受けやすい組織だと思います。アーティストの性質ゆえというのもありますが、とりわけ欅坂46の運営に関しては批判が多かったかと思います。ひらがなけやきから日向坂に至るまで1点集中で応援してきたファンの方の中には、欅坂46の運営のあり方に憎悪を持っている方も少なくないかもしれません。欅坂46時代のマーケティングの問題点についてはまた別の機会にまとめたいと思います。


最後までお読みいただきありがとうございました!


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