ゲイで、セックスワーカーで、人権講師であること

ゲイで、セックスワーカーで、人権講師であること

元彼にアウティングされた。
僕がセックスワークをしていたこと、そのことで僕らの仲が悪くなったこと、彼がそのことで悩んでいたことについての長文を、グループLINEで、投稿した。
僕は、案外、冷静だった。
メッセージのスクリーンショットを一枚だけ撮り、PCに保存する。そして、全文をコピーして、evernoteに貼り付けた。何かのときのために必要かもしれないからと、僕は機会的にその作業を行った。それから、速やかにそのグループを退出した。LINEグループは、LGBTを含む性の多様性の授業を学校にしに行くメンバーや、それをサポートしてくれる教員・元教員の人々7名ぐらいで構成されていた。彼の書いたメッセージは、数行読んだだけで、もう読めなかった。気持ちが悪くなったし、さらに気持ちが悪くなりそうだったし、返答を返す気力もなかったし、他の人の既読が付くのをみるのも嫌だった。どんな議論がされるのかを知るのも嫌だったし、議論がされずに沈黙されるのを知るのも嫌だった。
反則だと思った。「アウティングはいけませんよ」と僕らは講演で語っている。一橋大学のアウティングの事件で、同級生にゲイであることをバラされてしまい、亡くなった大学生の事例を紹介している。それなのに、彼はアウティングを、一橋大学のケースと同じLINEで行った。僕が繰り返ししてきた講演を繰り返し聞いていたはずの1番身近な人に全く届いていなかった。
それもショックだった。

ショックで誰に相談していいのか、わからなかった。ゲイである、とオープンにして、まさか、自分がアウティングの被害に合うとは思っていなかった。しんどさを誰に相談していいのかわからず、途方にくれた。
セックスワークをしていたことを僕はあまり語ってこなかった。
2018年の東京レインボープライドでは、セックスワーカーのフロートで赤い傘(セックスワーカーの象徴)をもって歩いたりしたし、twitterのプロフィール欄に、小さく「元ゲイマッサージセラピスト」と書いているから、みる人がみればわかる。(その一文字を書くのに、どれだけ緊張したことか)
それでも、公にセックスワークをしていたことを、名言はしていなかった。だから、たまたま何人かにカミングアウトしていて、その人たちに相談できたことは、僕にとっては生死をわけるほど重要なことだった。

セックスワーカーであったこと/であることの理由を、知りたい人がいることも知っている。でも、なぜセックスワークをやっていたかだけ、ことさら大きく注目されるのかについては多くの人が既に批判しているということをまず書いておきたい。保育士になる理由、先生となる理由、公務員になる理由と同じぐらいの温度で聞けないのがなぜかという視点でまず自分自身に問いかけてみて欲しい。
それでも、やはり僕がセックスワークをやった理由を書いておく。研究者という立場を目指すものとして、研究者としてマイノリティを搾取するという構造的な問題に心底うんざりしていた。様々な研究者が当事者にインタビューをする、データを集める、その過程で都合のよいものが切り取られ、論文として発表され、その研究者は安定した雇用を得る。そしてその研究成果は難しい論文になり、当事者へ、そのマイノリティのコミュニティに還元されることなくアウトプットされてしまう。僕は、外の立場からセックスワークを語りたくはなかったし、身をもって体験したかった。それが括弧付きの「体験」になるのも嫌だった。もちろん今なら、そうであっても私には「それ以外」を選べるという多くの違いがあることを知っているし、それぞれに多様な意思や、多様な社会的・直接的強制があることもわかる。
他にも、個人的な理由としては、修士課程を指導教員との不仲(それは、指導教員の同性愛者への理解不足のせいでもあった)が原因で、逃げるように大学を去ったことも大きかった。だから、お金も、職もなかった。本を読みながら、知的リソースを増やしながら、脱力した気分でできる仕事は少なかった。

僕はワインの販売の仕事(それは感情労働で、とてもしんどいものだった)と、ゲイマッサージ店での仕事をしながら、時々、海外に行き、生き延びていた。
マッサージのお店の待機中に、スターバックスでコーヒーを飲みながら本を読んだり英語や中国語、フランス語の勉強をした。電話がかかってきたらお店に向かい、お客さんにマッサージをした。僕はそんなに筋肉があるわけではないし、背も低いから売れ筋にはなれなかった。ゲイのセックスワーカーというと、もっとキラキラしてマッチョな人をイメージするか、若くてかわいい系の子が多いのだけれども、僕はどちらでもなかった。ステレオタイプなセックスワーカー像にマッチしないそんな中途半端な自分に、いつまでも(いまでも)自信が持てなかった。

同じ頃から、僕はずっと、性の多様性の授業を、子どもたちに行ってきた。僕の授業実践の立場からすると非常に不名誉なのだけれども、子どもたちの教育に関わっている中で、「セックスワーカーなんかが、子どもに講演をするなんて悪影響だ」と感じる先生/親は、たぶんたくさんいると思いカミングアウトをするのを我慢してきた。(というか、それが多数派だろう。)
だから、LGBTや多様な性についての講演依頼が来た際にも、戦略的にセックスワーカーであることは述べてこなかった。学校現場でトランスジェンダーとゲイが混合されるような状態の中での妥協だった。それでも、僕は「よいゲイ」として演じることに常に疑問が出ていた。せめてもの抵抗は、「あなたが、理解できるものだけが、多様性の理解ではないよ」というスライドを用いて、「薬物使用者、性風俗従事者、ヤクザ」などにも人権はあると一言言及することだった。

アウティングの問題は、秘密をバラされるという単純な側面だけじゃない。その秘密は、世間的にはとてもネガティブな秘密で、だから、それをバラされると、その人の価値そのものが落ちてしまうみたいな感じなのだと思う。そうして、声を潰して、その人の人間関係をズタズタに切り裂くものなのだ。自分の意思ではないところで、準備もできずに解体されてしまった。私はゆっくり解きほぐそうと思っていたのに。
僕は自分の性の多様性についての実践をたくさんの先生に、子どもたちに伝えたいと思っている。それに、ゲイであること、セックスワーカーであったこと/あること、にプライドをもっている。
でも、現実問題として、それを伝えることで依頼が減ってしまうことも懸念している。表面上は「関係ない」としても、やっぱり先生や教育委員会は、別のところに頼んでしまうのだろうなぁ、とこれまでの様子をみていると感じるのである。僕以外を講師として頼むこと、それは必ずしも全部が悪いことではないけれども(違う講師が違う視点で話すことのメリットも当然ある)、そうして、多様な性を生き、セックスワーカーである<僕達>の声は、僕がオープンにすることで、聞かれなくなってしまうのだ。


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にじいろらいと、という小さなグループを作り、小学校や中学校といった教育機関でLGBTを含むすべての人へ向けた性の多様性の講演をしています。公教育への予算の少なさから、外部講師への講師謝礼も非常に低いものとなっています。持続可能な活動のために、ご支援いただけると幸いです。

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コメント5件

>haruさん
はじめまして、こんにちは。
ここに書いていないたくさんのことが、もちろん背景にはあって、すべてを書かなければわからないことも(そして、おそらくすべて書いてもわからないことも)あるとは思うのですが、このようにコメントいただけて、素直に、とてもうれしく思います。
自分のせいだと思うことも、社会的な偏見のために相手を責めたてることもできず、前を向きたいのに、たくさんの困難があって、日々、嫌になることばかりなのですが、こうして、”なにかを書きたい”と思ってくださることだけで、こんなに元気が出るとは思っていませんでした。
柳さんのように、とても複雑なことを、単純な言葉でうやむやにせず、考え、葛藤し、それでも話し続けるという道を選んでいる人が、講師として人にものを伝えていること、とてもとても大切で意義深いものだと思います。あなたに勇気付けられた当事者もたくさんいると思います。LGBTQ+だけでなく、今まさにセックスワークに携わっている学生や、親など近しい人がセックスワークに携わっている学生もいたことと思います。スライドに「性風俗従事者」と書いたことで、救われた学生もいたと思います。私が学生の時に出会いたかった講師です。今後も柳さんが活躍されるのを、そして柳さんが引き裂かれる思いをせずとも活躍できる社会になっていくのを、期待しています。
>柳さん
返信ありがとうございます。
僕も子どもに携わる仕事をしています。そういった偏見や差別に対して人一倍敏感に真剣に立場でありたいとも思います。陰ながら応援しています。いつか、この思いを糧にして、柳さんらしく前を向ける日が来ますように。
> マサキチトセさん
こんにちは、コメント、ありがとうございます。
いつも、twitterや、文章など拝見しています。
実は、私自身が、もう一度勉強しなおそうと思い、博士課程に戻ってきたのは、マサキさんの文章を読んで感化されたことが大きいのです。
学べること、知れること、話す機会がもらえること、応援してくれる人がいること、それらの私の特権を別の形で再配分し、あらゆることを見つめ直し、修正し、ときに既存の知を忘れ、引き裂かれそうになっても、それでも、ダイナミックにこの場に居続けたいと思います。

また、どこかで直接お話できる機会を(おそらくあるでしょう)楽しみにしています!
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