何を考えても進むときは進む

久しぶりにnoteを書く。

この1年は本当にいろんなことがあった。

世界との折り合いをつけるには、まだまだ時間がかかりそうだが、人間のできることなどにはもちろん限界があって、やはりほとんど意味なんてなく、いっときの幻のようなものだ。ぼくはnoteを書くときにしばしば訪れるこの無の哲学が好きだ。

noteも最近あまり深くは見ていないが、このプラットフォームにはなんとなく優しめの雰囲気があるような気がして、ぼくはわけも分からず意味のない文章を、ときどき投稿してきた。じぶんにしか分からなくてもいい。じぶんでも分からなくてもいい。

文章が自立していってぼくの意志を超えて自己増殖してもいい。その先には特になにもない。

ひどく他人を傷つけるような文章になってほしくはない。かといって人の心は簡単に癒せるようなものじゃない。人間をはるかに超えた存在によってのみ、「完全な癒し」は可能だ。

ぼくたちの決意や意志によっては、ぼくらの人生は驚くべき仕方では動かない。決意や意志はあってよい。ただし、しぜんに沸き起こる決意や意志は自分の外からやってくる。だから、やってくる源に感謝をするときに、思いも寄らないことが起こってくる。

すべての決意や意志がぼくら人間を出会わせる。

決意や意志を与える何者かが、ぼくら人間を生かしている。

それをどうにかすることはぼくにはできないが、感じることはできる。

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