朝3(視覚と触覚)

今日は五感について考えてみよう。

視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚。それぞれを説明せよと言われるとすでにむずかしいが、簡単なところから始めるしかない。ぼくはこれらを失うような障害を持ってはいないが、なにか優れたものをもっているわけでもない。視覚に関して言えば近視だし、ほかの感覚も自分では特に人と顕著に違うとは思っていない。

視覚はまぶたを閉じるとなくなるものだ。いや、黒の中に赤や黄色の模様が見える。まぶたを閉じるとだいたい黒になるもの、と言い直そう。この感覚は様々な色からなる。まぶたを閉じることができる箇所は二つある。一つずつ閉じてみると、それぞれの見え方は異なっていると分かる。視覚を変更することができる。首を動かすことで違うところを見ることができる。腰をひねるとさらに広い範囲。最後に足。いや、逆立ちするときは腕だ。つまり、全身の動かし方によっていろんな見え方を実現できる。視覚と触覚はよく結びついていると言えるのかもしれない。でもさっき言った首とか腰とか体の一部を動かす感覚ってのは触覚なのかな。ふつうだと何かモノにさわったとき感じる感覚を触覚って言うのかな。体を動かすとき、モノに触れるときもあるしあまり触れないときもある。空気や服にこすれているということはできるかもしれない。まあ一応筋肉を動かしているときの感覚も触覚に入れておこうか。少しググってみたらいろんな定義がありそうだ。アリストテレスはほかの四感に含まれないものを触覚としていたらしい。五感同士の関わりをどう位置づけるかはこれからも気にする必要がありそう。

視覚の内容について話を戻そう。ふつう視覚は光を感じると言われているけど、まあ一人称的に言えば色。色の一言で終わりでいいのかな。明度彩度などと言って様々に質感を言い表すけど、まあ自分の見え方は自分にしか分からないね。自分の見え方には一定の幅があって、たぶん他の人もそうで、それを赤とか緑とか呼んでいる。自分のと他人のがどれほど似てるのかは確認できないけど、自分はこういうのが赤、こういうのが緑、って覚えている。

色と触覚とを合わせ技にすると、モノってやつだね。色の区切りと触覚の区切りとが一致するとモノがあるなって分かりやすい。例えば、木のテーブルに置いてある一円玉を見よう。あるところまで木の色で、あるところから銀色の丸。それで銀色の丸は触り心地が違う。一円玉だと分かる。でも、たしかに虫とかカメレオンとか、色が周りと似ているとモノだと分かりづらいね。モノって言うと失礼だな。つまり、視覚と触覚ってわりと強く関連付けられてるなあと思った。

今日はここで時間切れです。少しは進んだ。

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