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トランスジェンダーはそんなに安易に「なれる」ものではない

「トランスジェンダー」は、そんなに安易に「なれる」ものではありません。
最近刊行されたという書籍にまつわる様々なコメントを見ていて、それがとても引っ掛かりました。
安易に勧めるのも違うし、安易に「望みの性別に移行できる」と捉えるのもおかしい。
専門家をもっと育てて、その判断を尊重すべき。

なぜ「専門家」が必要かと言えば、例えば性暴力被害によって自分の元々の性別を強く嫌悪するようになってしまっただけの一過性のケースと、不可逆的な身体変工を加えてでも望みの性別に移行する方が良いケースとを、見極めなければならないけれど、そんなの素人(本人含)には到底無理だから。

専門家の存在やその必要性をまともに議論しないまま「誰でも望みの性別になれる!」みたいなことを言うのは論外だけど、だからといって逆に「無闇な性別移行を許すな!」と吹き上がるだけでは不毛だと思う。
もちろん「専門家」でも限界はあるけど、判断については「素人よりはまだマシ」。

私自身について言えば、多少無理やりでも性別移行してしまったことは本当に良かったとしか思わない。
が、そうは言っても、正直「女性として社会適応できている」かどうか?と言われれば、胸を張って頷くこともできない。
あくまで中途半端な存在。私が「それでもまだマシ」と受け入れているだけ。

何が「まだマシ」なのかと言えば、世界の半分以下しか知ろうとも見ようともしないで無理やり「男として生きていくんだッ!」みたいに粗暴な生き方を求め続けていた「男のままの私」と比べれば、という話。
あれは酷かった。無かったことにしたいぐらい(もちろんそうはいかないけど)。

無理やり「男として生きていくんだッ」と意地張ってた私には、当然「女性はこういう生き方している」とかいうことも、そもそも興味の範囲外だった。
そのせいで、後でトランスしてからすごく苦労して結局は投げ出してしまうんだけど>「女性として」の社会適応

じゃあなんでそういう自分が理解できていないものになりたがっていたのか?と問われれば、私には「本当はそうだから」としか答えようがなかった。
現実逃避?…そうだったのかもしれない。何か病的な機序があるのかも?今となってはわからない。
が、少なくとも結果オーライだ👍

私は、ごくごく狭い範囲ではあっても、私という存在をしっかり受け止め受け入れてくれる人々の間で生きていけている。
もしかしたら奇跡かもしれないので、心から感謝せずにはいられない。
でも、現に生きることができているのだ。

ならば、それで良いじゃない?
私は、戸籍上は「女性」として、でも外見や振る舞いは今ひとつ女性的と言えるかどうか?という程度で、(ついでに言えば文体はとてもゴツゴツと男性的に)、この世界で生きている。
生きていて良い。
それだけで、十分だ👍💖

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