見出し画像

「短期的な繁栄」と「長期的な繁栄」はどちらが大切か

インドに向かう空港のラウンジでこの記事を書いている。

今回のインド出張は、某企業さんの「企業理念」の共有。この手のお仕事を頂けることが最近増えている。

企業理念(Purposeと言ったり、Missionと言ったり)は企業のアイデンティティを表すもので、僕は企業にとって最も大切なものだと思っている。

ましてや国籍・文化の異なる人たちを束ねるためには、共通の旗印が絶対に必要。それゆえグローバル企業は理念共有にとても力を入れている。

企業理念を、共感度高く伝えることで組織は一つになれると思っている。これは別に僕が今更言う事でもないし、多くの企業が既に長年取り組んでいることだ。

それでもアジアに張り付いて、各国語でわかりやすく、がっつりこうした活動を支援できるのは、我々のチーム以外には無いと自負しながら頑張っている。

-----

企業理念というのは企業の大目的だから、短期的な利益やKPIよりも「長期的な目標」を表すことが多い。

この長期的な目標を忘れて、短期的な目標に走りすぎると、数字の操作や不正に繋がって社会的な信用を失うという事がしばしば起こる。古くはエンロンの不正会計しかり、最近ではVWの燃費性能の不正など、枚挙にいとまがない。

7月に富山を訪れたときに、僕がリスペクトする経営者、YKKの吉田忠雄記念館に行ってきたのだが、彼も長期的な視点での経営の重要性を訴えていた。

吉田氏は「工場から垂れ流された汚水が川を汚し、そこで捕れた魚を人間が食べて病気になる。こんなに無意味なことは無い。」と嘆き、自然と共生しながらビジネスをすることの重要性を説いていた。

彼は世界一のファスナー企業を作りながら、利益三分主義を掲げて利益の一部を地域社会に還元した。そうして作られた黒部という町は、とても美しかった。

長期的視点を持つという事は、環境や自然と調和し、世の中に貢献するビジネスをしながら、後世にバトンを渡していく事だと思う。

世界の「長寿企業」のほとんどは日本にあるという事はよく知られている。こうした長期的視点での経営は日本人が得意とすることだし、SDGsなどが掲げられる前から、日本企業は優れた理念を掲げて仕事をしてきた。

そうしたことも、日本人経営者の一人として、これから行くインドでも伝えていけたらと思う。

-----

一方で、「長期的繁栄」は「短期的繁栄」よりも素晴らしい、というのは必ずしも世の中の人全員が持っている前提ではない、と最近は思う。

あるタイ人が日本を訪れたときの話。

日本で数百年続く、お茶屋さんを訪れたタイ人。「このお茶屋さんは数百年にわたって伝統をつなげているんです」と誇らしく語る日本人。

それに対して、「数百年続いているのにビジネスがこれだけしか大きくなっていないのですか」と質問するタイ人。そういう対照的なコミュニケーションがあったという。

拡大しなくても、長きにわたって伝統を伝えていく事は、日本人の感覚では「美しい」と思う。でもそれは多分に日本的な感覚であって、他の文化圏の人々が同じように感じるとは限らない。モノの見方の違いをこのエピソードは教えてくれる。

「後世が栄えるよりも、今、豊かさを享受できる方がいいじゃないか」という主張にはなかなか反論しがたいものがある。

人間の欲求は基本的には「現在」にしか存在していない。また、後世が不幸になるとか、将来環境が破壊されるとか、そうしたことを真剣にとらえるには豊かな想像力が必要だ。

「教養が大事だ」というのは要するにそういう事だと思う。

自分自身と身近な周囲が豊かになることと、社会全体が良くなることはどちらが尊いのか。

奪い合う事と、許し合い与えあう事はどちらが人間を幸福にするのか。

人類は何のために地球上に存在するのか。

影響力のあるリーダーがこうしたことを学び、一生懸命考え伝えていかないと、社会はどんどん短期的、利己的になる。世界は平和から遠ざかり、環境が破壊されていく。

自分が若い頃は、人間というのはどんどん賢くなっていくものだと思っていた。でも油田を爆破したりミサイルを撃ち合ったりする世の中を見ると、人類はどんどんアホになっているのでは?とも思ったりする。

リーダーが教養を学ぶこと。教養ある人をリーダーに選べるよう、市民も教養を持つことがいかに大事かを痛感する。

自分のような人間が出来ることは少ないのだけど、少しでも目の前の人に、長期的に栄えることの大事さを伝えていきたいと思う。

「この記事は役に立つ」と思って頂けたらサポートお願いします!