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瞑想:一杯のお茶を飲む

瞑想とはわが家に帰ること

 瞑想とは何か。

 和尚の説明は、とてもシンプルだ。

 “瞑想とは”わが家”に帰ること
  内側でほんの少し休息することだ
  それはマントラを詠唱することではなく
  祈りですらない 
  ただ”わが家”に帰りつき
  ほんのちょっぴり休息することだ”

 皆さん、最近、くつろぐことをされていますか?

 何もしていないが、すべてが満ち足りていて、深くリラックスしていて、息を休める。

 そんな状態を、5分でも過ごせていますか?

瞑想は、テクニックではない

 瞑想のやり方はいろいろあります。

 ただ、テクニックが瞑想ではありません。

 ある状態にいたるのに、その人に合った無数のやり方があるというに過ぎません。

 『オレンジ・ブック』という平易な言葉で、瞑想の本質と方法を述べたOSHOの本があります。

 そこから、一つ、ご紹介しましょう。

 どなたでもできます。

 特に、お茶を飲むのが好きな方なら、やってみることをオススメします。

ごくあたりまえのお茶――それを楽しむ

   "瞬間から瞬間へと生きなさい
  3週間試してごらん
  どんなことをしているにせよ
  できるかぎり全的(トータル)にやりなさい
  それを愛し、楽しむことだ

  おそらく、それは愚かしく見えるだろう
  あなたがお茶を飲んでいるときに
  あまりにそれを楽しみすぎては、ばかげている
  それは、ごくあたりまえのお茶なのだから――
  が、あたりまえのお茶でも、もしあなたがそれを楽しむなら
  並外れてすばらしい、途方もない体験になりうる
  深い敬意をもってそれを楽しむがいい
  それを儀式にするがいい
  お茶を入れること……
  シューシューというやかんの音に聴き入る……
  それからお茶を注ぐ……
  その芳しい香りをかぐ……
  そこでお茶を味わい、幸せを感じる
  死んだ者たちに、お茶を飲むことはできない
  まさに生きている者だけができることだ
  この瞬間、あなたは生きている!
  この瞬間、あなたはお茶を飲んでいる
  切なる感謝を覚える!
  将来のことを考えないこと
  やって来る瞬間(とき)は、それ自身が引き受ける
  あしたを想い煩わないで
  3週間、この瞬間に生きなさい"
(p,75-76)

 テレビをつけず、新聞も見ず、スマホもいじらず、お湯を沸かし、茶葉を用意し、湯を茶に注ぎ、香りをかぎ、一口、口に含む。このすべてを沈黙の内に行うのです。

 私はハーブティーを飲みます。

 早朝か夜遅く、静かな中で、「お茶を入れて飲む」という些事が、とても得難い何かのように感じます。

"The Book of Tea"

 このOSHOの言葉を読んでいると、岡倉天心『茶の本』(原題”The Book of Tea”)の一節を思い出します。

 [翻訳するならば、タイトルは『茶経』と訳すのが精確だと思われます]

 “今や茶は生の術に関する宗教である。茶は純粋と都雅を崇拝すること、すなわち主客協力して、このおりにこの浮世の姿から無上の幸福を作り出す神聖な儀式を行なう口実となった。茶室は寂寞(せきばく)たる人世の荒野における沃地であった。疲れた旅人はここに会して芸術鑑賞という共同の泉から渇(かわき)をいやすことができた。茶の湯は、茶、花卉(かき)、絵画等を主題に仕組まれた即興劇であった。茶室の調子を破る一点の色もなく、物のリズムをそこなうそよとの音もなく、調和を乱す一指の動きもなく、四囲の統一を破る一言も発せず、すべての行動を単純に自然に行なう――こういうのがすなわち茶の湯の目的であった。”(岩波文庫、p,41)

 OSHOの言葉に含まれているのと、同じ律動を、感じないでしょうか。

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