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ゴールポストを動かして、ゆっくり管理社会へ

 連日、マスメディアのニュースの組み立て方は、PRS(問題ー反応ー解決)と忍び足の全体主義で構築されています。

 いずれも、デーヴィッド・アイクが多くの著書で、大衆心理操作の二つのテクニックとして述べているものです。

 まずPRSについて御説明した後で、忍び足の全体主義について述べます。

 私の以前の記事を読まれた方は、復習と思って、お読みください。

PRS:Problem(問題)―Reaction(反応)―Solution(解決)

 『ハイジャックされた地球を99%の人は知らない 上』(原題"Remember who you are"ヒカルランド、2014[原著2012])から引用します。

 <PRS>とは、Problem(問題)―Reaction(反応)―Solution(解決)の略です。

 <PRS>の機能の仕方はこうです。

 "社会でなにかの変化――たとえば戦争を始めるとか、基本的な自由を奪って警察国家を作るとか――を起こしたいが、露骨にやったのでは強い抵抗が起こるとわかっているとする。そこで、公然と計画を宣言する代わりに<PRS>を使う。"(p,396)

詳しく説明すると、

(1)問題(Problem)を起こす――テロリストの攻撃、財政の破綻、あるいは戦争など、望む結果に適していればなんでもいい。次に、そうした問題をほかの誰か、あるいはなにかのせいにする。

(2)反応(Reaction)を引き出す――疑うことを知らない言いなりのメディアを通じて大衆に語りかけて、大衆のあいだに恐怖を生み出して「なにかしなければ」という気分にさせる。大衆に信じさせたいかたちで問題を伝え、メディアを使って、それがさも真実であるかのように繰り返し報道させる。ウサーマ・ビン・ラーディンがアフガニスタンの洞穴から<9・11>を画策したとか、豚インフルエンザという致命的な病気がメキシコの豚農場で発生したとかがこれに当たる(豚インフルに関しては、感染した豚は世界に1匹もいなかった)。

(3)解決策(Solution)を提案する――この解決策が世界を望む方向に変えていくものとなる。(p,396-397)

 私のこちらの記事では、PRSの例として、COVID-19とプランデミック詐欺、9・11とその後、地球温暖化、豚インフルエンザとワクチンによる健康被害を挙げました。


忍び足の全体主義

 引用は同じく、『ハイジャックされた地球を99%の人が知らない 上』から行います。

 「忍び足の全体主義」あるいは「飛び石方式」という大衆心理操作テクニックは、「偶然の「できごと」とされる一連のステップをつなぎ合わせて目的を達成しよう」(p,446)とすることです。

 政治家が人々を、「A地点にある世界」から「Z地点へ連れて行くつもりだ」(p,446)としましょう。

 "大きくジャンプして進めば、これはなにか「大きな」ことが起きていると気づかれてしまう。代わりに、小さなステップを積み重ねて目標へと進んでいけば、多くの人はなにも気づかない。"(p,446)

 アイクの『マトリックスの子供たち 上』(ヒカルランド、2019[原著2001])の説明も引用します。

"大衆をある方向に動かしたくとも、真実の意図を伝えれば、やはり猛反発が予想されるとする。そこで、目的まで小刻みに進むことにし、その一歩一歩をすべて独立の、互いに関係のないものとして提示するのである。これはまるで世界規模の中央集権化に向かって、ポタ、ポタ、ポタと一滴ずつ水が溜まっていくようなものなのだ。"(p,52-53)

 「ゴールポストを移動させる」と表現する人もいます。

 こちらの以前の記事では、EUができていく過程、街中に監視カメラが増えていく過程を事例として取り上げました。

 また、同じくこの記事では、「顔認証カメラ、虹彩スキャン、放射線による全身スキャナ、DNAデータベースなどもすでに現実となっています」と、指摘しました。

 9・11の後では、アメリカの入出入国手続きが非常に厳格になりました。

 その際、多くの人々は、「テロリストの入国を防ぐため」という「口実」をもっともだと感じ、新たな手続きの「不便」を致し方ないと受け入れたはずです。

 しかし、もしそういう"脅威"がないか、可能性の段階だったとしたら、多くの人は、放射線や赤外線の全身スキャナというのには、強い抵抗を覚えたのでしょう。文字通り、自分の何もかもが丸裸になるからです。

 このように、あることを導入したいが、人々の強い抵抗が予想される場合に、PRSと忍び足の全体主義を組み合わせて、人々が自分からそれを望む、あるいは少なくとも、抵抗が少なくなるような状況を演出するのです。

 大きな事件や「事故」の前と後で、世界がどう変わったか――大抵は、より全体主義的、管理主義的になります――を見れば、大きな絵柄が見えてくるだろうと思われます。

PRSと忍び足の全体主義の観点から見る京王線殺傷事件

 2021/10/31に起きた、東京都調布市を走行していた京王線特急内で乗客17人が負傷した事件について、PRSと忍び足の全体主義の観点から考えてみましょう。

 事件の概要をまとめているサイトがありましたので、こちらから引用します。

2021年10月31日(日)午後7時56分頃(8時10分頃)
京王線 国領駅(東京都調布市)を走行中の車内で20代の男性が刃物を持って暴れて人を切りつけた後に液体を撒いて火をつける事件がありました。
電車は新宿行きの上りの特急電車になります。
京王線 切りつけ放火の男事件になります。

不可解な点

 数日経つと、ネット上で、何人もの方が、不可解な点、おかしな点を指摘するのが見られました。

 この方のご指摘の通りか、確実にそうだとは言えませんが、言われてみると、不可解な点はあると言えます。

 また、この事件が、衆議院選挙の投開票日の夜に行われたのは、偶然でしょうか。

 例えば、これから、「駅の安全・安心向上のため、さらに警備員を増員し、監視カメラの台数を増やし、より厳重な警戒警備体制にします」というアナウンスがあったら、事件当日、列車に乗車していた人や駅にいた人、テレビや新聞で強い印象を抱いた人たちは、「そうだ、その通りだ」と感じるのではないでしょうか。

 こうしてちょっとずつ、全体主義的要素は増えていきます。

 しかし、もしこういう「現実の」事件がなく、差し迫った脅威がなかったら、こうした厳重警備に対して、「そこまでする必要はあるのだろうか?」「今でも監視カメラが多いのに、さらに増やすのはなぜ?」という疑問が出るでしょう。

 まだ可能性の段階なので、何とも申せませんが、「耳目を引く事件・事故が起こることで、誰が得をするのか」「大きな事件・事故の前で、社会がどう変わるのか。」を考えると、見えてくるものがあるかもしれません。

外から与えられる「問題」には要注意 

 PRSと忍び足の全体主義という大衆心理操作テクニックを理解することは、私たちを支配している存在たちの手口を見抜く上で重要だと、アイクは指摘しています。

 この二つがわかると、ニュースを見る目が変わるだけでなく、過去の事件・事故を見る目も変わります。

 私たちは、学校教育の「おかげ」で、外から問題を与えられると、その解決策を考えることが、ほとんど反応のようになってしまっています。

 しかし、そうすることが、誰かの得になるとしたらどうでしょう?

「自分の考え」は、誘導されたものかもしれない

 鉄道での殺傷事件が起きると、「こういう事件を防ぐために、もっと警備を強化しろ」とか「こういう事件の再発防止策を考えることだ必要だ」と言う方々がいますが、実は、人々を管理したい側にとっては、こういう発想は歓迎すべきことです。

 多くの方々は、こういう「解決策」が、自分の考えで、誰かに誘導されたものだとは思っていないでしょう。

 しかし、本当に「自分の考え」なのでしょうか?

 ある研究によれば、わたしたちの脳は、1秒当たり1100万個の視覚情報が入ってくるうちの、わずか40個からだけで現実を生成して、残りの1100万個マイナス40個は潜在意識に吸収してしまうそうです。

 "顕在意識を通らないから、何が起きているのか感知されることがない。そうして植え付けられた知覚は、フィルターを通り抜けて意識的認識へと到達し、人はそれを自分の考えや決定だと信じ込む。"(デーヴィッド・アイク『今知っておくべき重大なはかりごと1』ヒカルランド、2019[原著2017]、p,339)

 あなたの、その「考え」は、御自分の考えだと絶対に、自信を持って言えますか?

 こういう「事件」がなければ、出てこなかったような発想だとしたら、それは、普段、自分が考えていることと、どんなつながりがあるでしょうか?

 この記事で、外から与えられた「問題」について、こう書きました。

 テレビや新聞、あるいは「専門家」が「これが問題だ」と言っている時は、「本当にこれは問題なのか」を調べることが大事です。
 誰かから提示された「問題」を、「これが考えるべきことだ」と思い、解決策を提示する、それは、その誰かの手の平の上で踊ることかもしれません。 

なぜ正攻法で物事を進めないのか?

 なぜPRSや忍び足の全体主義という正攻法でない方法で物事を進めていくのかと言えば、おそらくこれらを使う人々が、正攻法で物事を進められない疚しいところがあるからでしょう。

 あるいは、「目的のためには手段を選ばない」というサイコパス気質だからという面もあるかもしれません。

 この記事で、私は、PRSや忍び足の全体主義を使う人のメンタリティについて考察しました。

 言ってみれば、これらのテクニックは、だまし討ちのようなものです。

 本当に、高潔な方は、こんな手法は取らないはずです。

 もし正直に、自分がどうしたいかを示して、時間をかけてでも、説得できるならば、こういうだまし討ちのようなことはやらないはずですし、もしその人が人間的に成熟した、高潔な人であれば、できないはずです。

 デーヴィッド・アイクに言っていることを踏まえれば、政府や企業や組織のトップのほとんどは「高潔でも何でもない。DNAレベルで共感できない、恥知らずで嘘吐きのサイコパス」となるでしょうし、私も今ではそうだと思っています。

 PRSや忍び足の全体主義を使う人々が、同じ人間だと思わないことも大事です。

 アイクの本を読めばわかりますが、文字通りの意味でも、比喩的な意味でも、彼らは「人間ではありません」。

 与えられた問題を「問題」と思っている内は、その意図に、容易に気づけません。

 それをもっと俯瞰した視点から見て、「本当にこれは問題なのか。これが問題だとみなすことで、誰にとって得な状況や利益が生まれるのか」、そう考えることが、耳目を引く事件・事故であればあるほど、必要だと、私は考えます。

 本当に、このPRSと忍び足の全体主義が腑に落ちるだけでも、物事の見え方が大きく変わります。

 ただ、連日、この組み合わせの恐怖ポルノばかりなので、意図がはっきり見えるようになって、うんざりするようにもなります。

 しかしながら、日常のコミュニケーションでも、ちょっとした違和感に気づいたり、詐欺商法に引っかかる可能性を減らせるという副産物もついてきます。

 「この情報・事件・事故は誰にとって得なのか」「解決策を提示する人々のことを信じたらどんな結果になるだろう」と考えるクセをつければ、本当に起こっていることがよりわかるようになります。


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