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脳の部位と体の部位のつながりについて

 以前の記事で、現代人は、脳と体が分離しがちであることを書きました。

 このことを、少し違った角度から考えたいと思います。

音読と黙読の違い

 以下のtweetスレッドは、音読と黙読の違いについての山田貢司さんのtweetスレッドです。

 私のコメントは、"※"で記します。

 ※今日、これを見て、本をいくつか選んでやってみました。

 確かに、黙読とは違う、脳の部位が動くのを感じます。

 音読は、はっきり、滑舌良く、他者に聞こえるような声の出し方をすることで、日常会話にも寄与します。

滑舌を良くするには、舌筋トレーニングがオススメ

 滑舌を良くするには、こちらの舌筋トレーニングをお勧めします。最初はハードに感じるでしょうが、続けると、効果を実感するでしょう。

 「語尾が不明瞭で何言っているのか、わからない」「聞き取りにくい」「もごもごして、よく聞こえない」、こう思われても、全く何のメリットもありません。

 相手にとっては何度も聞き返すのがストレスになるだけでなく、「相手が聞こえるような適切な声量・トーンで話せない、相手目線に立てない人なんだな」と思われて、フェードアウトされる可能性大です。

 時々、奥ゆかしさと声の小ささを混同している人がいますが、他者からすれば、聞き取りにくい声はストレスでしかありません。奥ゆかしさどころか、その真逆の印象を与える可能性があります。

 本当に奥ゆかしい人は、他者に要らぬストレスを与えません。

 舌がよく動くようになれば、声の出し方・話し方はかなり変わります。

 先の記事のページには、声を良くする他のエクササイズへのリンクもあるので、発声・話し方にお悩みの方は、探してみてください。

 いい時代になったものです。

 お金をかけずに、声をよくするためのボイストレーニングの記事や動画が、今はたくさんあります。

 自分に意欲さえあれば、声を良くすることは可能です。

速読の時、脳内では何が起きている?

 ※こういうメカニズムだと、初めて知りました。

ピタゴラス音律とは? 

 ピタゴラス音律とかバイナリー純正律とは何かというのは、こちらの記事をご覧下さい。

 最初から読んでないとわからないと思いますし、わからなくても、音読には困りません。

「0(ゼロ)から波動へ」

「武田鉄矢の今朝の三枚おろし2020/8/31時間について」

何回か歌っていると、勝手に口が動くようになるのはどうして?

 ※藩校だと、その学校に伝わる教えや訓示を、小学生の頃に覚えさせるのを今でもやっていると、少し前に知りましたが、原理はこれなのでしょう。

 体で覚える。

 日本のかつての文豪たちは、幼少期だったか、漢籍や古典を暗誦することをしましたが、これも、大脳反射区ではなく、体で覚えるものだったのでしょう。

 ユダヤ教のシナゴーグで、信徒の子弟にタルムードを覚えさせたり、クリスチャンが教会学校に来る子どもたちに聖書の短い言葉を覚えさせるのも、この仕組みを前提しているのでしょう。

 もっとも、これを始めた人たちは、経験的に「体で覚える」というのを知っていたでしょうが、今、続けている人たちは、詳しい原理までは知らないのかもしれません。

 大人になってからやっても、効果はあります。

 脳には使われていない部位がたくさんあるので、無理のない範囲でやってみましょう。

脳の活動領域の違いとは、体の反応部位の違い

※試しに、「好きと嫌いを何回も言って」みたところ、確かに、反応するお腹の部位が違いました。

 やってみるといいですよ。

脳と体の繋がりが切れがちになると、どうなるか?

※言葉はどこで書くか?

 以前、文章講座に通っていた時、講師から言われたことです。

 手にペンは持っているから、物理的には「手で書いている」と言える。

 「体で書け」と、先生は言おうとしていたのです。

 頭だけで、作ったようなものを書くな、と。

 実際、その講座では、途中までは、手書きで課題を提出していました。

 文字数が短かったのと、そうすることを求められたからです。

 課題とは別に、本を選び、ノートに、ひたすら、言葉を書き写すことを毎日続けていた時期もあります。

 自分にとって響いた言葉を書いていくので、いわゆる「大事な言葉」とは違います。

 金魚すくいをしていて、ターゲットを目にしたら、瞬時につかんで、自分のお椀に入れる行為に近い。

 頭で考えず、瞬間的に、「お!」と感じた言葉を、引用していく。

 これを続けていくと、「体で書く」ことが何となくわかってきます。

 自分の文章も少しずつ、変わります。

 余計なものがなくなり、どこで余白を作り、どこで言葉を溜めるか、そういうことが体感としてわかってきます。

 予防線を張らず、強く主張せず、しかし、自分の言いたことをソフトに明瞭に言うにはどう表現するといいかも、わかってきます。

 手で書かないと、わかりません。

 最近、またこのワークを再開しました。

 自分の意見や感想が湧いてくるかもしれませんが、それを遮断して、直感的に把捉した言葉を、ノートに書いていく。

 Misaさんが、「文字を書くのは、結構、脳のガテン系作業だと思う」と書かれていますが、その通りです。

 脳と体の分離が構造的・個人的に進行中であることは、こちらの記事で書きました。

※私はなぜ脱洗脳に向かえたのか?

 私が自分の違和感・疑問を大事にし、外側の声より、内側の声を尊重できたのは、一つは、「手を使って書く」ことをしてきたからだと思います。

 知らず知らずのうちに、脳と体を一致させることをしてきたと言えます(不充分ではありましたが)。

 また、文章講座の副産物として、自分の文章に、卑下も高慢も持たず、そうとしか書けない自分の文章として受け入れられるようになったのもあるでしょう。

 脳と体が一致していれば、体のサインに気づけます。

 逆に、ズレていると、体はいろんな不調のサインを出しているのに、気づけず、病気になるということが起こり得ます。

 現代人の情報量は、江戸時代の人の一日分に相当します。

 適度に発散しなければ、体はおかしくなりますし、脳と体の分離も進みます。

 情報取得よりも、脳と体の一致をこそ、やった方がいいですし、それもまた、洗脳社会への一つの抵抗のように思われます。

 

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