無題、に大きな感謝を込めて

新型コロナウイルス感染症が、世界中を非常事態に陥れてから、早いものでもう、5ヶ月ほどが経とうとしている。とはいえ、2019年末頃といえば、「なんだかまた中国で妙な病気が流行しているらしい」程度の認識でしかなく、遠くで起こる大惨事よりも、隣人の小さな体調不良のほうがずっと心配になってしまう僕にとって、そんなものは、靴底の汚れを気にするほどに些細なことだった。

やがて、それが新型の呼吸器感染症だと報じられ、海外渡航者の帰国を危惧されるようになっても、僕の極めて楽観的な正常性バイアスは、異常を知らせる赤ランプを灯すこともなく、当然とした日常を当然と過ごすだけだった。

クルーズ船で集団感染、国内初の感染者、ライブハウスでクラスター発生、オリンピック延期、新型肺炎で初の死亡者、、、。

当然とした日常の景色が、加速しながら姿を変えていく。それでも、国内を代表する感染症専門学者たちの発信する言葉や動向を慎重に考察しながら、日常を日常のパッケージのままで過ごす手段を諦められずにいた。しだいに3月の自粛要請によって子供たちが学校に行けなくなると、主婦や子育て世代のお客様達から予約キャンセルの連絡が続くようになった。それはすなわち、閑散とした平日の営業が増え、そのしわ寄せが週末に集中することを意味した。とはいえ、僕の経営する美容室は、僕とアシスタントの二人だけ。週末にどんなに多くの予約をいただいても、僕に備わった生産力の上限は変わらない。そしてついに、事業成果が数字となって大きく僕を脅迫し始めたころ、正式に埼玉県を含む緊急事態宣言が発出された。

僕の生きる世界で僕に起こる全ては僕のものだ。成功もその過程も困難も、そして廃業の危機も。だからこそ、政府にどうにかしてもらおうなんて発想は微塵もなかったし、たった数ヶ月のあいだ思うように働けないだけでガタついてしまう、今までの経営手法を恥ずかしく思うだけだった。しかし、楽観的な僕のキャラクターの延長線上に、「それでも変わらない日常を続ける美容室」が在ることは避けなければいけないと思った。それは、利用してくれるお客様を不安にさせてしまうだけだ。そこで、3月の半ばに4席ある施術キャパを2席に減らし、緊急事態宣言発出以降は、1席のみで施術対応することに決めた。

完全貸し切りスタイルに変えてから、僕はずっと15年前に開店した頃の様子を思い出している。その頃は、超顧客主義で、紹介のない新規客はお断りだった。店の外看板には、あえて高額な料金設定を示し、気軽に利用されることを拒んだ。今の場所で店を立ち上げる以前に、多くの店を転々としたせいで、僕の顧客はご近所よりも、電車に乗って遠くからご来店される方がほとんどだった。多数のお客様を相手にするよりも、誰かにとって特定であり続ける美容師でいたいと願い、幅広い支持よりも、強烈な一部の支持を大事にしてきた。

東日本大震災や、それによる計画停電を経て、できるだけ多くのお客さんを求めるようになるまで、長い間それは続いた。今の状況に比べれば、それほどたいした危機ではなかったが、外看板の高額な偽りの料金表示を、通常の料金表示に直し、新規でもネットで手軽に予約できるように変えた。しばらくすると店の混雑やその繁忙が、安心の材料になった。それでも僕のクオリティは変わらないという、無実体の自信があった。

大丈夫、うまくやってる。絶望は、もうはるか遠くに置き去りにできた。

そう思っていた。そのはずだった。

それなのに、新しい困難はもっと巨大な姿で唐突に現れてしまった。


今現在、奇しくも開店当初のあの頃と、同じ営業スタイルで僕は美容師を続けている。その限られた時間枠の中で、僕はただ一人のお客様だけに集中すればいい。隣にカラーで放置されるお客様や、パーマのワインディングを待つお客様もいない。もちろん売上成果に対する焦燥はあるが、ひとりの技術者として、なぜか心情はすごく豊かだ。

Twitterで泣き言を呟いたその夜、僕の最も敬愛するロックスターが連絡をくれた。彼らもきっと大変なのに、その大きくて強い手を惜しげもなく差し出してくれた。もう、色々と放棄してしまおうかと弱っていた僕に、限界はもっと先にあると知らせてくれた。

臆病になった気持ちを立て直すには、じゅうぶんな力強さだった。

次の日、僕はまず、自分のお客様に向け、「未来を買ってください」とお願いした。そうすることで、とても太くて頑丈な釘を自分に突き刺せると思ったからだ。大事なお客様に未来を買わせておいて、あっさり諦めて辞めるなんてことは許されない。まもなくして、目先の危機を乗り越えるために必要な量の未来が売れた。それから、ロックスターの大きな手助けで、コラボTシャツを売り出し、僕なんかには余りあるほどのドネーションを得ることができた。

それでも、やはり先の見えない真っ暗な道だ。方向を示す標識だって、どこにも見当たらない。自分がどの方向に立っているかも見失いそうになる。

だけど、僕の足はきっと希望に向かっている。たくさんの人に救われながら、きっとこの先に希望があると、今は本気で信じている。僕にとって、この騒動がいつかとても意味のあるものになる。この恩を返さずに僕は終われない。あなたにも、あなたにも、あなたにも、いつか必ずきっと返します。

本当に、皆さま、大きなサポートをありがとうございました。

おかげさまで、ジャグブランキンはもっともっと強くなれます。

We won't be defeated. Fuckin'  COVID-19, Get Over It !

絶対に、乗り越える。




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