流星のスコール

僕が初めて人前に立とうと思ったのは高校2年生の春。
昔からお笑いという物にあこがれてはいたけど、大人になってからの物だと思っていたし、職業として選ぶかどうかにも葛藤があった。
当時はお笑い好きが集まるチャットに入り浸っていて、毎日そこで話していた。
チャットをしながらネットサーフィンをしてたら、名古屋に誰でも出れるフリーエントリーのライブがあった
わすれもしない「ボンバーズ」というライブです。
「ダイナマイトセブン」という1部リーグのようなライブがあって「ボンバーズ」は2部リーグみたいなものでした。
要は「ボンバーズ」で勝ったら「ダイナマイトセブン」に出れるという流れ。
「ボンバーズ」→「ダイナマイトセブンチャレンジリーグ」→「ダイナマイトセブンメンバー」だったはず。
ちなみに主催は今東京でSMAで活動中の「ワーキング西」さん(当時の芸名は「ワーキング中村」さん)です。
忘れもしない、名古屋の北生涯学習センター視聴覚室。
ホームページみたいなのがあって、エントリーフォームがあった。
(検索したら、当時のホームぺージが残ってて、懐かしすぎた)
見つけた瞬間に僕の自己顕示欲はあふれ出して、気づいたらエントリーが完了していた。
当時の名前「ステーヴンⅢ世」チャットで使ってた名前そのままで、地味メガネの高校生が出ていた。

その時やったネタも完全に覚えてる。
どこかで見たことあるような、川柳のフリップネタだった。
なんか生徒が川柳の宿題に滝の写真を貼って「風情はあるけど、字は書け」というくだりがあったのは覚えてる。
不思議なもので結構ウケて「ダイナマイトセブンチャレンジリーグ」に昇格した。

その後は、そのライブに出させてもらいながら高校生活を送っていた。
「ダイナマイトセブン」には結局2回出たんだったと思う。
「チャレンジリーグ」では、お見舞いに行ったお爺ちゃんの心電図の音がマリオのBGMになっており
死んだり無敵になったりするネタで、これも結構ウケて「ダイナマイトセブン」に昇格した。
「ダイナマイトセブン」では、ある朝起きたら人間になってしまっていたウサギが、ウサギなので
職業に付けず、お金がないので銀行強盗をするという変なコントをし、これがあまりにもウケなくて
最下位になって罰ゲームでビンタされたのを覚えてます。
僕としてはこういう罰ゲームくらうの好きなんで良かったんですが、周りからすると
舞台上とはいえ高校生にビンタするの難しかっただろうなとも思う。
しかし、あのネタ全然ウケなかったな。
ウケなさすぎて、銀行強盗のコントなのに途中からめちゃくちゃ敬語になってたな。
舞台上に模型のニンジンを散らかしたら、暗転中に回収しきれずに、次の漫才のコンビのときに、1個だけまだニンジン落ちてたな。
滑りニンジン。

それと同時に、ハイスクールマンザイにも出た。
一緒に出てくれる友達はいなかったので、ツイッターで同じく困っていた
一個下の女の子と出た。
今にして思うと、僕も相方の女の子もおかしかったと思うんですが
誘った翌日にネタ合わせをした。向こうは本当は怯えてたんじゃ?と今でも思う。
急に知らない1個上の男に誘われて、翌日にはネタ合わせしましょうって、怖すぎるだろ。
「とりあえず僕がネタ3つくらい持っていきます!」と伝えていたので、
割とクセの少ない普通目のネタ2本と、変なネタ(「ピザ」というネタ)を1本持って行った。
僕としてはこの変なネタ(「ピザ」というネタ)をやりたかったけど、
年下の女の子にやらせるにはどうなのよ、と思ってちゃんと普通目のネタも書いたのを覚えている。
ネタ合わせ当日。というか初対面の日。
待ち合わせた後、近くの喫茶店に入って話し合いが始まった。
(「怖い人じゃなくて良かったです」といわれ、その時初めて「そういえば俺怖いことしてたな」と気づいた)
数十分くらい雑談して、コンビ名を決めることになった。
相方の女の子が「会ったばっかですし、会ったばっかにしませんか」と提案してくれた。
「確かに」とも思ったし、なんかインパクトあって良いなと思ったんで、それにしました。
男女コンビで「会ったばっか」って、今にして思うと少し怪しい気もしなくもないんですが。
ともかくコンビ名が決定した。

「一応こんな感じでネタ3つ持ってきたんで、好きなの選んでください。」
と、ネタを提出した。
正直かなり緊張した、元々の知り合いでもないから趣向も知らないので、迷ってる素振りとか見たら自信なくなっちゃうかもと。
「これがいいです」
目を通した瞬間相方の女の子がすぐにそう言ってきたのが、僕がやりたいと思ってた一番変なネタ(「ピザ」というネタ)だった。
自分でも「これなんなんだろう、でも面白いな」と思って書いたネタだったので、
それを選んだ相方の女の子を見て「この子も、もしかしたら中々変なのかもしれない」とめちゃくちゃ失礼なことを思っていた。
そこまで決まればやることは一つ、練習だ!と喫茶店を飛び出して
公園を探したけど、名古屋で意外と公園が見つからなかったので、
今にして思うとなんでだよという話ですが、神社の奥の方でやってました。
人目に付くとこが恥ずかしくて嫌だったというのもあって。
でも、信じられないくらい蚊がいたので、一瞬でやめて、結果近くの土手でやりました。
数時間練習した後解散して、なんと次に会うのは本番当日という。
会うの2回目の年下の女の子と、勝負の漫才をする、ということに当時の僕は何の違和感も抱いていませんでした。

迎えた本番当日、大高のイオンモール。
ちょっと早めに集合してエントリーを済ませたら、練習をし直した。
掛け合いみたいなネタじゃなかったんでお互い結構自主練していたのか、特に何の問題もなく本番を迎えた。
高校生の漫才の大会にどれだけのお客さんが来るのかを疑問に思う方もいると思うんですが、
僕は多分人生でも一番の人数を前に漫才をしたと思います。
大会MCをよしもとの人気芸人が行うしネタもするので、地方の人間にとってはそんな機会もなかなかないし
イオンモールなので買い物客が結構立ち止まるんですよ。
ちなみにその日はマヂカルラブリーでした。
結果、2階3階まで人がいっぱいいました。相方の家族も1階の結構前の方にいました。
すいません、ご家族の方。私があなたの大切な娘さんをいきなり誘った1個上の物です。
と謝りに行きたかったけど、会えなかった。申し訳ございません。

とにかく、めちゃくちゃ足が震えました。舞台への2段の階段に足を引っかけました。転ばなくてよかった。
頼む。頼む。頼む。

最初のくだり
「何がおかしいんですか!この子がピザだと言ったらピザなんですよ!」
信じられないくらいにウケました。
なんだこれ、この人数が一斉に笑ってくれるとこんなに跳ね返ってくるのかと思った。
喋れば喋るほど、進めば進むほどウケる。
制限時間が2分なので2分間喋りまくって「ありがとうございました。」まで、本当に自分で言うことじゃないけどウケまくった。
あんなに気持ちいいことないと思う。
ただ、他のコンビもどんどんウケてる。そもそも会場が温かく人も多かったので。
1組、僕の中でとんでもなくウケてるコンビがいて、僕自身も笑いまくったので、ここに負けるなら仕方ないと思った。
「オキシデンタルテレビ」というコンビ、片方の人は今でもツイッターでフォローしてくれてる。
一瞬も隙なく面白くて、最高のネタだった。今でもアレをもう一回見たいと思ってる。

結果発表、その日に準決勝進出が発表されるのは1組だけ。いわゆるその日の1位だけ。これを、イオン賞という。
他は「ビデオ審査」に回されて、後日全予選が終わった後合否が決まる。
頼む、奇跡でもなんでもいいから起きてくれ。

「本日のイオン賞は、会ったばっか!」

呼ばれた瞬間2秒くらいフリーズした。

我に返ってすぐ、相方と強すぎるハイタッチをして、持ってた荷物を投げ出して舞台上に駆け上がった。
商業施設の床にカバンを置き去りにするな。
その後何をしゃべったかもあんまり覚えてないけど、村上さんに「勝手に点数つけながら見てたけど、100点だったよ、おめでとう」
といわれて、人前じゃなきゃ泣いてたと思う。
終わった後相方がサインをもらいに行ってて、僕もそうすればよかったと今でも思う。
というわけで、準決勝進出となったのだ。

準決勝まで結構間が空くんだけど、その間一回も会えなかったので、次に会うのが準決勝当日になった。
ちなみに「オキシデンタルテレビ」はちゃんと映像審査で上がってきた、当然だ。
歌が上手すぎて普通に歌うくだりでもウケまくっていた女子コンビ「クラウン」をはじめ、
当時「ダイナマイトセブン」で一緒だったほかの高校生コンビも通過を決めてた。

迎えた準決勝当日。
楽屋でネタ合わせしてたら急に不安になってきて、結構何個かボケを足したり減らしたりした。
それが今にして思うと本当にミスだった。理由は後程。
「オキシデンタルテレビ」もあせっていた。
予選で僕が腹を抱えて笑ったネタは、その時丁度壊れかけていたメガネを使うネタだったんだけど
準決勝までに完全に壊れてしまい、新しいのを買ったため、そのネタをすることが出来なくなったそうな。
(ネタの冒頭に顔を振って客席にメガネを吹っ飛ばす必要があって、壊れかけの時は緩々だったので飛ばせたが、新しくなってしまい何回振ってもピッタリで飛んでいかないんだそうな。)

この日は予選よりさらに観客が増えてた。
でもやるしかない、やるしかないと奮い立たせて舞台に立った。
予選よりウケた、ウケたけどここで一つ事件が起きる。
相方が完全にネタを飛ばしてしまった。僕が不安で足したボケの部分。
僕は自分で考えてるから大丈夫だけど、相方からすれば急すぎたんだと思う。
完全に僕のミスなのだ。
ちなみにネタを飛ばして沈黙になったかというとそうではなく、相方は「プシュー」と空気を漏らす音だけを発していた。
(後から聞いたら「無音になってはいけないから」という理由だったらしい)
ネタ的にも違和感のないアドリブだったので、あの瞬間僕が上手く言えれば何かが変わっていたんじゃないかと思う。
その一瞬のトラブルの後は、何事もなくウケておわった。あの瞬間が人からどう見えたんだろう。
相方は謝っていたけど、絶対に悪いのは僕だったので、僕が謝った。
文章だけだと伝わりにくいけど、そもそも「プシュー」と音を漏らすアドリブが、かなり面白くて、
不自然さもなかったので、相方は完璧だったのだ。僕がミスらせた上に対処も出来なかったという話なのだ。
失敗のように書いてるけど、全体を見ても予選よりウケたので大成功だと思ってます。
あれ以上はあの時の自分たちにはできなかったので。

結果は敗戦でした。
「キャッツ」というトリオが決勝行きの切符を勝ち取った。
確か出順の関係で見れなかったんだけど、ウケてる声は聞こえてきてた。
かくして、僕らの戦いは終わった。
当時の相方とはもう全然連絡も取っていない、というか本当にその時限りだった。

あの時一緒に戦ってた知り合いは今どうしてるんだろう。
オキシデンタルテレビ、クラウン、宇治釜飯大納言、法応理電(ここに関しては片方が現在も知り合いなので知ってるけど)

思い出したらちょっとウルっとしてしまった。

タイトルの「流星のスコール」というのは、ちょうどその時に聞いてた一番好きだったUNISON SQUARE GARDENの曲で、
勝負事がある前に絶対聞いてた僕の中でのテーマ曲でした。
歌詞を見たら分かると思うんですが、今からお笑いで勝負をしようという人間が聞いてたと考えるとちょっと痛かった気もします。
曲自体がそういうわけではないのですが、良かったら歌詞を読んでみてください、なんとなく言いたいことは分かると思います。
「難しい言葉じゃわからない伝わんない もう知ってる そんなこと だからこそ、ただ、君に届け」ですよ。
本当に、恥ずかしながら当時は(全然今もですが)自分を面白いと信じて疑わない男の子だったので、届け、届いてくれ~と
思い込んでたんです。
一番好きな歌詞が「これが最後のチャンス 奇跡でもなんでもさ 起これ起これ」のとこで
もう本当に、ただ素直に、何か起きてくれ、と思っていたんです。
別にそこでウケても変わらないですよ、素人高校生がそれで売れるわけないですし。
どっちかというと、ずっと暗く生きてきた自分が、この舞台上で何かを思って、その後の僕の人生が、考えが変わってくれと思っていただけです。
結果的にあれで結構人生劇的に変わったと思います。
あの日、自己顕示欲の爆発でエントリーするような痛い自分がいなかったら
今大喜利とかもしてなかったかもですし、だとしたらお笑い以外の趣味なんてなかったから
ずっと家にいたんだと思います。仕事して家でお笑い見て、それだけを繰り返す状態になってたように思います。

これからも、痛さに背中を押されて生きていくのかもしれないです。
素人社会人だけどネタをいっぱい書いてることとか、大喜利してることとか
この文章を書いてることとか、それが奇跡でもなんでも起こして、人生を変えてくれたらいいと思います。
最悪、別に変わらなくてもいいです、楽しいので。

今でも「流星のスコール」を聞くと、大高のイオンモールまで向かうあの日の電車の景色を思い出します。

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