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最高到達点からの挫折【営業紹介-宮下雄大-(前編)】

今回ご紹介するのは、ジェイック名古屋支店長兼、営業担当の宮下雄大。人それぞれのバックボーンを尊重した上で、最適解を模索するサポートが好評です。
前編では、そんな宮下が栄光と挫折を味わった学生時代のエピソードを語ってもらいました。



負けず嫌いで上り続けた小学生時代

小学1年生から高校3年生までサッカーとフットサルに青春を捧げました。
サッカーを始めたきっかけは、隣の家の友達に誘われて…という軽いものでしたが、練習をすればするほど上達する達成感や、試合に勝った時の高揚感、そして元来の負けず嫌いな性格から「レギュラーを取りたい!もっと上にいきたい!」という向上心がモチベーションになり、どんどんのめり込んでいきました。
あまりにも負けず嫌いが強かったので、試合に負けた時は悔しくて泣くこともしょっちゅうありました。それほど、サッカーに全力で向き合っていたのです。

そんな負けず嫌いが功を奏してか、所属していた地元の少年サッカーチームで歴代初の地区戦突破を達成したり、「トレセン」と言われるサッカー経験者なら誰もが憧れる選抜会に、県の代表選手として個人で選ばれるほどになりました。


目標に向かってコツコツと努力を重ねた

中学では部活には入らず、所属していた地域のクラブチームで、サッカーとフットサルを謳歌しました。「上に登り詰めたい!」という向上心は朽ちることなく、持ち前の負けず嫌いを駆使して練習に打ち込んだ結果、県選抜に選ばれ、地区大会も着々と通過し、最終的にはなんとフットサルで全国優勝を果たしました
全国優勝するほどのチームだったので、毎日キツい練習とコーチからの𠮟責で、大変な思いはたくさんしました。ただ、「やめたい」と思ったことは実は一度もなく、精神的には非常に充実していました。

というのも、「試合に出たい!上に登り詰めたい!」という想いが強かったことと、同じチームの上手なメンバーを日々間近で見ることで、「メンバーもできているのだから、自分ももっとやれるのでは?」と目標が常に目前にあったことが起因していると考えています。


目標が明確だったから

当時の自分の心境は、良い意味での下心(目標)で満たされていました。

「試合に出たい!」
「出られたらかっこいい!」
「活躍したらモテそう!」

こうした自分から湧き出るモチベーションを正面から自覚して、コツコツと努力を重ねた結果、目標を達成することができたのです。つまり目標が明確だったことで、どんなにつらい練習にも弱音を吐かず、楽しんでサッカーと向き合うことができたのです。

ちなみに…、自分もチームも腕を上げ、勝利を重ねていった結果、チームはどんどん規模を広げ、今ではサッカーを知る人なら誰もが知っている大手チームへと成長を遂げたのは、また別の話です。


背中で語る恩師の存在

結果ももちろんですが、サッカーを続けてきた中で印象に残っているのはコーチの存在です。
コーチは何十人もいるメンバーをひとりひとり注意深く見て、「君はこういう癖があるから、こういう風にしていこう」と的確に指導をしてくれる方でした。

そしてサッカー以外にも、人としての礼儀やマナーを徹底して指導してくれました。例えば、合宿から帰る時には「来た時以上に綺麗にしなさい」と口酸っぱくおっしゃったり、遠征でマイクロバスに乗った時は、乗車中のマナーや荷物の整理、そして運転手さんへの御礼を徹底的に指導されました。
そして何よりも印象に残っているのは、メンバーに指導するだけではなく、自ら率先して挨拶や掃除をして、自らの行動で示す”背中で語るリーダー”だったことです。サッカーの技術的な面だけではなく、人として尊敬できる憧れの存在でした。

そんなコーチだったので、高校進学の際は進路の相談にも乗ってもらいました。コーチは日本で有名なサッカー強豪校の出身だったので、「コーチと同じ高校に行きたい」と相談すると、手放しで応援してくれました。
そうして、憧れのコーチに見守られながら、自分が掲げた目標に向かって努力した結果、念願のサッカー強豪校へ特待生として入学することができました。


「上には上がいる」大きな挫折

ここまで非常に順風満帆な人生を歩んできましたが、憧れのサッカー進学校に入ってから、初めて大きな挫折を味わいました

まず、サッカーの強豪校なので当然ですが、周囲にはサッカーがうまい人しかいません。これまで全国大会で優勝したり、トレセンに選ばれるなど、サッカーで好成績を出してきた自分が、悔しいことに高校3年間で1度もレギュラーに選ばれませんでした
レギュラーどころか、1軍2軍3軍とレベル分けされる中で、どれだけ頑張っても2軍のベンチにしか食い込めなかったのです。

これまでずっと最前線で活躍してきたのに、ほとんどの試合はベンチにも入れず、スタンド席で応援する日々。これまで培ってきたものが崩れる感覚で、初めてメンタルも落ち込みました。


世の中の理不尽が縮図化された寮生活

また、サッカーに集中するため寮に入りましたが、ここで世の中の理不尽も学びました。
ここには書けないようなことがたくさんあったのですが…ライトなもので言うと、例えば高校1年生のときは、先輩達の食事や洗濯の世話をしたり、朝起こす”アラーム担当”を担ったりと、下っ端として何でもやらされました。

他にも、同級生の部屋で先輩の椅子に座って話していたら、後から椅子の持ち主の先輩に呼び出され、数人の先輩に囲まれました。
「何で呼び出されたかわかる?」と問い詰められ、答えに窮していると「何勝手に先輩の椅子に座ってんだ?」と、自分が先輩の椅子に座っている様子を隠し撮りされた写真を見せられ…見せしめに人前で筋トレをさせられる制裁を浴びました。

さらには、チーム内でのレギュラー争いが過酷だったことから、蹴落とすための小さなイジメも日常的にたくさんあり、ここには書けない理不尽な経験をたくさん味わいました。


小中学校時代とのギャップに燃え尽きる

小中学生のときは、ただひたすらボールを蹴るのが楽しくて、勝って上に登り詰めていく感覚がたまらなく楽しかったです。ところが高校で一気に、サッカーを取り巻く環境が変わってしまいました。

どれだけ練習をしても、試合に勝つどころか、レギュラーにもなれない。
寮に帰ると先輩からの理不尽が待っている。
友達も全員レギュラー争いのライバルだから、気を許せない。

そんな環境で鬱々とした3年間を過ごし、「自分にプロは目指せない」と見切りをつけたことで、高校卒業と同時にサッカーを辞めることを決めました。
ただ、当時はとにかく理不尽な寮から脱出したいことで頭がいっぱいだったので、その先のことは深く考えずに「とにかく実家に帰ろう。帰って、自分の学力でも推薦をもらえる大学にとりあえず通おう」とだけ決めて、高校とサッカーを卒業しました。



後編はこちら!


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