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『君が君で君だ』を観て/誰にでもなれる時代で、僕が“僕”として君を好きだと言える勇気

『君が君で君だ』観ました!
個人的にはかなり刺さるところがあったのでざっくり感想をば。。

自分の好きな人や好きなものと対峙する時に
自分を殺してそれにすべてを捧げることは
一見、美しいことのように見えるけれども
結局「逃げ」でしかないんだなと。

「好きだ」という気持ちを言いわけにして
コンプレックスや劣等感、羞恥心から逃げて
自分を守ろうとしているだけだから。

劇中の「尾崎」や「ブラピ」や「坂本龍馬」の行動は
たしかに “異常”で狂っているのに、
彼らのことを軽蔑できないどころか
どこか他人事に思えなかったのは、
なにかにつけて正面から対峙することから逃げがちな自分を
重ねていたからかもしれない。

「自分が好きな人に好きだということ」、
「自分が好きなことを好きだということ」は
一部の人にとっては、とても勇気がいることだから
つい「誰かのために」と言って
自分をごまかしたり、偽ったり、
気の合う仲間との気持ち良い時間に逃げ込んだりして、
日々を過ごしてしまいがちだ。

それでも
誰かのために自分を偽ることは
結局誰のためにもならなくて。
“僕が僕として”、君を好きだと言うからこそ意味があるのだと。
そんな当たり前の強さを
気がつかせてくれる映画だと思いました。

映画はいつも物語の途中までしか描いてくれないから
あの後、尾崎たちが失われた10年を背負って
どう生きていくのかは知ることはできないけど
それでも、現実の僕たちの人生は続くので
彼らの生き様に良い意味で影響を受けて
物語の続きを紡いでいけるようにしたいな
とか。。。

うまくまとめられていないけれど
以上、『君が君で君だ』を観た私の極私的誤訳でした。。。

ちなみに、この作品は阿部さんがトークでお話されていたように劇団ゴジゲンの『極めてやわらかい道』という舞台を元にした映画なのですが、この公演の直後にゴジゲンは要となるメンバーの脱退のより一旦活動休止をしてしまっていて(今はもう復活して大活躍中ですが)、この作品が観客だけでなく、松居監督自身やゴジゲンのメンバーにも影響を与えたのかな?とかゴジゲンのストーリーと重ねながら観ると、また別の角度で映画を楽しめると思います。

※ゴジゲンの活動休止などについて語っている松居大悟監督のインタビュー記事です↓
http://gekioshi.com/theater-company/n0012/

(よく考えたら、ゴジゲンの人たちは役者として実際に “演じてる”=“その人物になりきっている” わけで、「誰かのため(観客や松居監督とか?のため)に自分を犠牲にして誰かになる」みたいなことは観客よりもなお響くところがあったのかなあ、なんて思いました。。。)

そして最後に。
ここまで自分の感想を書いてきましたが、
この映画は「観る」こと以上に、
「観て語る」ことが楽しい映画だあなと思ったので、
観る人増えてほしいなと思いました。

『ハン・ソロ』(スターウォーズの新作ね)みたいにどこでもやっているような映画ではないからこそ、観た人の熱が伝達して、広まっていったら面白いなあと。

暑い夏をしのぐ都会の避暑地、映画館です。

よくわからなくなってきたのでここで終わります。
では。

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