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2005年・DeNA南場さんとの最終面接の記憶と、他者への「期待」について

1年ぶりくらいに南場さんと会ってごはんを食べた。曲がりなりにも12年を同社で過ごした身としては相応にエモい気持ちにもなったので、南場さんとの思い出について書こう、と朝起きてなんとなく思い至った。

南場さんとの思い出、とか書くと、なんだか死んだみたいだが、実態はまったくの真逆だ。相変わらずピンピンしている。インドに行って改心したらしいじゃないですか、といじったら、実際は仙人を論破したりしていたらしく、それだけ聞いていると生命力的にはあと100年くらいは余裕そうだ。最近のマイブームはあいみょんとtiktokらしい。なるほど、50代でもキラキラ女子というカテゴリはどうやら存在する。ミラティブ社まおさんとの自撮りにおさまって軽快に帰っていった。

僕が南場さんと初めて話したのは2005年の最終面接だった。重度の音楽オタクだったので余裕で合格すると思っていた音楽誌ロッキング・オンにまさかの書類落ち(小さい字ではみ出すまで履歴書書き殴った=ウザいやつ判定と推測)し、やばい社会ってこんなに厳しいんだ、と初めて会社説明会というものに行こうと思いリクナビを開いた。

日系の大企業はだいたい月給20万とか21万とか書いてあったなか、DeNAという知らない(うえに読み方もよくわからない)会社は年俸300万円と書いてあったので、こっちの方がいいじゃん、 あとインターネット好きだし、とノリでエントリーした(福利厚生という概念を知らないくらいには世間知らずだったのだ)。場所も渋谷区だし終わったらタワレコにでも行こう、とそんなノリだ。交通費は出なかった。今も昔も健全にケチなのは僕の好きなDeNA社の社風だ。(注:たしか今は出るはず)

当日、大きめの会議室に通されると、テンションの高いおばちゃんが脇から登場し、すごい勢いで、我が社に入ることでいかにキミたちは成長できるか、人の才能はそんなに変わらない、大事なのは1年目の成長角度だ、ということ等をまくしたてた。
へーなんかオモロい会社じゃんと思った私はそのまま面接を受け、川田さん(共同創業者・現投資家)にラーメン屋でバイトしてたと話をしたらラーメンに関するフェルミ推定を投げかけられたり、守安さん(現DeNA社長)と30分間ほとんどケンカのような議論の面接をして、落ちたなと思った帰路、住んでいた中央林間駅のエスカレーター上で合格の電話を受けて翌週に南場さんと会うことになった。

その時の南場さんとの最初のやりとりは、奇しくも僕のキャラクターの本質を一発で喝破していて、その、人を見る角度と解釈の強度が今につづくDeNAという企業を創ってきたのだと改めて思う。そして僕は今もその喝破されたキャラのまま企業経営をやっている。

直前に笹塚のファーストキッチンで清書した汚い字の原稿用紙数枚(確かお題はDeNAで何をやりたいか、みたいなもので中身は全く覚えていない)をパラパラと眺めてからニコッと僕を見た南場さんの第一声は――「キミ、ご両親元気?」だった。
なんだそりゃ、と思いつつ、「はぁ、まぁ元気です」などと適当に答えると「だよねー、だと思った。」。そののち、いきなり目つきが変わり、ギロッとにらみをきかせてから言い放った。

「あのさーキミさー、この世界に入ったらさー、親がいないとか借金抱えてるとか、そういうハングリーなやつがゴロゴロしてるわけ。どこの学校出た、とか、そういうのいっさい関係ないの。実力勝負。キミ、それでもやっていける?」

正確にはどう回答したか覚えてないが、「はぁ、まぁ何とかなると思います」とかそんな具合だったと思う。昔から緊張はしないタチだ。そしてその仮想敵さん達のことはよく知らないが、なんであれ負けるのはムカつく。
そのまま色々と話をして、意外とただのハイテンション姉ちゃんじゃなくて内向的な人なんだな、と思ったり、かと思ったら僕の話にオーバーリアクションでゲラゲラ笑ったりして、んーなんかやっぱ面白い人だなと思いながら帰った。

たぶん彼女がその時に何を一瞬で読み取ったかというと、文章と佇まいからにじみ出る書生感、ボンボン感ということに尽きるのだと思う。
そして、僕はボンボン感(とはいえ地方大学の先生の息子という程度だが)にレバレッジをかけていま経営をしている気がする。
僕の思うボンボンの利点は、大きな不自由をしたことがないので、世間知らずで、理想主義者でいやすいことだ。


経営をやってきて、「期待」について最近よく考えている
世の中には他人に強く期待をしてしまう人と、あまり他人に過度な期待をしない人がいる。(どちらが良いとか、悪いとか、ではなく。)
経営をやっていると、思い通りにいかないことは非常に多く、裏切られたように感じることは多い。事業の話から金策、人の話まで、ありとあらゆる「良くないこと」が日々巻き起こる(「ハード・シングス」は結構マジだ)。そのたびにいちいち凹むのはいかにも燃費が悪い。

なので、経営者は他人に過剰な期待をしない方向に最適化されていきやすい職業なのだ、ということをこの1年で痛感した。
良いとか悪いとかではなく、職業柄というやつだ。

一方、自分は、生来、他人に過剰な期待をしてしまう。相手は自分の言っていることをきっと理解してくれる、という前提のコミュニケーションをする(なので、お前の話はハイコンテクストすぎる、とよく怒られる)。
「わかりあう願い」が強い性格で、他人とわかりあえたと感じる閾値が低い。
「いろいろあるけど最後には人と人はわかりあえるんじゃないか」という楽観主義があって、生きているからには理想は追いかけたい、という意志で「わかりあう願いをつなごう」というミッションの会社・ミラティブを創るに至った。期待、と、願い、はよく似ている。

しかし日々、なんだかんだ良くないことは起こる。期待する分、反動もあるし、怒りも覚えやすいので、そのコントロールには実際に日々苦慮している。仲間に不快な想いをさせていることがいっさいない等とは間違っても言い切れない。

となると、そもそもの期待値を下げた方がラクな局面も多いことは事実だ。他人への期待値の高低と成功の大小の相関を調べた論文を僕は知らない。なのでこれは良い悪いでも戦略論でもなく、経営の意志の問題だ。

それでも、「人に期待しつづける」、ということが、会社における自分の役割なのだということを最近強く感じている。 

DeNAは南場さんのキャラクターが組織に染み込んだ会社だ。ミラティブ社にはきっと僕のキャラクターがにじみ出る。腑抜けたボンボンの会社、だと困るが、わかりあいをミッションとする会社は、多様性を前提に、最後はわかりあえると期待しているチームでやっていきたい。
(ただの勘なのだが、「他人に期待しがちな人:他人にあまり期待しない人=3:1」くらいの割合のチーム構成が当社らしいバランスなのではないかな…と思っている)

「そういえば赤川がユーザーにあてた手紙みたいなやつ読んだよ。私も昔ビッダーズのメルマガのメッセージは自分で書いてたから、そん時のこと思い出した。細かいところに性格出るよね」と言っていて、なるほど南場さんにもそんな時期や創業最初期というものがあったんだよなー、と思い、ちょっとうれしかった。
サービスとしてのMirrativも、ユーザーさんにはコンセプトがきっと何かしらの形で届く、と期待して運営しているつもりだ。「支えあうプロ集団」という当社の組織コンセプトは、「支えあう」という身体を預けられる相互の期待値=信頼関係を前提としている。人が好きな会社として、 人に向き合いつづける、という基本を今後もミラティブ社では続けていく。

「だまされるまで性善説、だまされても性善説」と最近チームによく言っている。どこかで必ず痛い目を見るが、痛い目を見た時に一事に流されて全体にルールを課してしまうのが組織のあるあるだ。人に期待しつづけること、理想主義者的でいつづけることで、その性善説のバーを下げないのが自分の役割と考えている。

そんなことを、南場さんと会ったエモい気持ちのままに、コミットメントとして書き残しておく。

経営者として南場さんに受けた影響は多い。人材がすべて、という基本ステートメントや一緒に働きたい人へのアプローチのしつこさは南場さんの姿勢に学んだものだし、そういえば面接ではよく最初に「人生どう?」と聞くし、苦しい時こそ組織の真価が問われる、という価値観も同様だ。 名言「コトに向かう」に至ってはあらゆる仕事の前提すぎて最初思い出してすらおらず、あわてていま書き足した。 自分にはDeNAのDNA、つまり南場さんの作ったDNAが流れている。

南場さんとは、今後も年イチくらいで飲もう、ということになった。
会の最後に、照れ隠しも含めて「3年に1回くらい定期で飲みましょうか」とオファーしたが、「なんだよおまえそんなに私に会いたくないのかよ」といつもの口調で返答され、結果として年イチでdeal doneした。

ミラティブ社はもうすぐ大きい勝負を発表する予定だ。組織の士気はすこぶる高い。
今年大きな勝負にも勝って、もっともっと良い会社にして、また来年に堂々と南場さんに会えると良い、と思う。
その時はtiktokではなくMirrativにハマっているくらいの状況だとしたら、なおよい。その頃にはあいみょんは川本真琴やジュディマリと並んで南場カラオケレパートリーに入っているだろうか。

そんなふうに自分とチーム、そして他人に期待して、今日もサービスとSlackとにらめっこをしている。

*ミラティブ社はいっしょに働く仲間を絶賛募集中です。組織ページはこちら

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