「プロダクトの時代に、何かを作る、あるいは支える友達に向けて」2016.11.09

2016年11月9日、楽観主義が無残に破壊された。
「グローバル化による国境を超えた平和と共存」という戦後社会の理念が、Brexitにつづいて崩れ去っていくのを見た。

こういう時代には、理想主義者でいつづけることが一番難しい。

世界中がつながることによる個のエンパワーメント、Power to the peopleの哲学を根っこに持つインターネットが、フィルターを膨らませて、結果的に世界の断絶を強めてしまった。

「俺の信じるインターネット」が朝から頭の中でずっと叫んでいる、「マジかよ...こんなはずじゃなかったじゃん...」。
エリートとビッグデータは選挙の結果を予想できなかった。
ピケティの喝破した格差が、とうとう世界が我慢できないところまで来てしまった。

これを揺り戻せる社会システムができる前に、世界は一線を越えてしまった。資本主義と民主主義が制度疲弊を起こして、(例えばリワードのあるソーシャルプロダクトとして設計された真のベーシックインカムも)間に合わなかった。


歴史上、ブロック経済の先には対処療法的な繁栄、ドーピングが切れた後には外敵の設定と排斥、そして戦争が待っている。

国家と企業、国家と個人はもはやともにないから、国家や人類がどうなろうと、企業や個人としての成功はつかめる。
だから、この流れの中にも個人へのチャンスは際限なく眠っている。グローバルから離散へ。
彼らは双方に武器を売ることだってできてしまうし、「成功」のチャンスはすべての意志ある個人の前に常に転がっている。

ただ、こういう日こそ、個々人が、「世界はどうなると良いと思っているのか」を考える、良い機会なんじゃないだろうか。


新大統領が否定する「移民」の子孫は、ガレージでAppleやGoogle、Facebookを作って結果的に世の中を変えた。(功罪はここでの主旨ではない)

選挙戦など戦う必要なく、ある理想・visionを掲げて、その理想をまるで知らない人々にも使われて、静かに世の中を変えていくのが、プロダクトの力だと僕は思う。

それを個人・数人のチームから数十億人に向けて、国境を越えて実現できるのがインターネットが作った現代=プロダクトの時代、だと思う。


こういう時代に理想主義者でいることは本当に難しい。

でも、この数十年で世界を最も変えたシリコンバレーのイデオロギー、「ペイフォワード」、「Don't be evil」のような通底音、何より人類の可能性を信じる価値観は、

東京から、ベイエリアから(リバプールから)、今いる場所から、世界を何かしら前に進めるためのモノを作る上で、やっぱり止めてしまってはいけないと思うのだ。

「Make something people want」と長年言ってきたY CombinatorのSam Altmanのこのツイートが、無性にグッと来た。

「Trying to build the world we want」

自分のプロダクト、Mirrativも、まだまだ小さなサービスだけど、「他者への配慮」「多様性の尊重」のもと性善説で運営してきて、当然伝わらず、ときには裏切られたりもしながら、コミュニティとユーザ、人々を信じて、七転八倒やってきている。
サービスをやっていると、理想だヘチマだと甘いことを言っていられないような大変な瞬間は日々やってくるし、それは今日みたいな外圧でもやってくる。ただ、「どういう世界にしたいか」の理想は、こういう日こそ曲げちゃダメだよな、と今日改めて思った。

ある理想や、ある未来像を持って、頑張っている友達、そして何より自分自身に、楽観的な理想主義者でいることをやめてはダメだぜ、と、少しでも伝えたいと思い、筆をとった。
明日からまたプロダクトを作る。

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