ジャカルタ情報ブログの立ち上げ~譲渡までの思い出話
2023年の10月に、筆者のライフワークでもあったジャカルタ情報ブログ「ジャカルタ飯」を第三者へ譲渡しました。
ジャカルタ飯
https://jakameshi.com/
コロナ以降はめっきり更新頻度も減っていたのですが、いざ手放してみると好き勝手に文章を書く機会が減り寂しいものだったりします。
ということで文字を書く場所としてNOTEを始めてみます。
レストラン情報ではなく、日々の出来事や考えを整理して吐き出していこうと思います。文章にすると考えが整理されるんですよね。
記念すべき第一弾!
と同時に三日坊主で最後の一筆になる危険性もはらむ本原稿のテーマは、「ジャカルタ飯の思い出」です。ついでに譲渡した理由も書きます。
ジャカルタ飯を始めた理由
ジャカルタ飯は2016年の1月にレンタルブログにて産声を上げました。現在の独自ドメインの形に移行したのは2016年の6月です。
開始した理由は以下の3つです。
当時はまとまった生活情報源がなかった
発信できる情報ストックが増えていた
没頭&気分転換できるものが欲しかった
補足します。
①当時のジャカルタにはまとまった生活情報源WEBがなかった
もちろん当時もジャカルタ関係のブログは多数存在していましたが、「必要な時に見つけてもらえる情報源」を意識したものは少なかったように感じます。
またライフネシアさんはじめフリーペーパーも、当時お金にならないWEBにはほとんど注力していなかったので「こりゃ隙間だな」と感じたんですね。個人でもそこそこいけるんじゃないか、と。
②自分で発信できる情報ストックが増えていた
当時はすでにジャカルタで2年近く生活し、さらに恋人(今は妻)も地元の方、ということでユニークな体験もしていました。つまり発信できるネタがそこそこあった。
そんな時に昔自分が困っていたことを思い出したんです。
自分がジャカルタに来たばかりで右も左もわからなかったころ、「合鍵の作り方」や「近所のまともな居酒屋」など、ほんの些細な情報を得るのにも手間取っていたんですよ。
あの頃の自分のような人を助けたい…という純粋な気持ちも1/3くらいありました。
③没頭&気分転換できるものが欲しかった
筆が重くなるので細かく書きませんが、2016年ごろは仕事の方が大荒れでした。
蓋を開けばネガティブな話にしかならないような日々の中で、何か頭を切り替えて没頭できるものが必要だったのでしょう。
結果的にブログに支えられた面も多々ありました。
今だから腹落ちして書けることでもあるんですが、外から「肯定されること」や「求められること」って人間にとってものすごい大切なんですよ。
脱線しましたが、このような3つの理由が重なり合い、ジャカルタ飯は始まりました。
期待以上に反応があり月間10万PVまで成長
レンタルブログ時代のデータはもう残っていませんが、開始直後は当然ながら閑古鳥が鳴いていました。読まれても1日数人…みたいな(笑)
もはや人間ではなくグーグルのクローラーしか見にきてないのでは?と疑うくらい。
そこから書き方を工夫してみたり、ブログランキングを活用してみたり、TwitterやFacebookページで発信先を増やしたり……
などして数字が伸び始めてからは面白かったですねぇ。
タイやアメリカと違い、在留邦人数の少ないインドネシアで…しかも観光需要もないジャカルタでどうブログを伸ばしていくのか?
とコンテンツ戦略を考えることが難しくもやりがいのあるチャレンジでした。時にはバリに嫉妬する日もありました(笑)
そして、当初はグーグルのクローラーしか来なかったブログも、2018年には月に平均10万ページが読まれるように。アジア大会の開催された月にはジャカルタへの注目度も高まりひと月で12万PVを記録しました。
過去にはアメブロの公式ブロガーのお誘いをいただいたり、個人運営のくせに「縁日祭」のオフィシャルメディアパートナーにしてもらったり、インドネシア観光地体験会に日本の一流メディアと一緒に招待されたり、と稀有な経験をさせてもらいました。
そんなブログをなんで譲渡したの?
ここまで書くと順風満帆なように映りますが、世の中は諸行無常&盛者必衰…聞こえてくるモナスの鐘の声…(モナスに鐘はありません)。
ブログ運営も壁にぶち当たります。
譲渡した理由は端的に書くと「リソース不足」なんですが、下記のような経緯がありました。
コロナショックでPVが激減した
継続するためには過去以上の労力が必要
ジャカルタ飯以外の取り組みが増えた
補足します。
①コロナショックでPVが激減した
2020年の3月にインドネシアでもコロナが発生し、駐在員とその家族は一斉に帰国。日本とインドネシアの間で人の行き来はなくなり、さらにジャカルタ市内でも外に出ることができない世界が来ました。
当然ながら「生活情報」や「おでかけネタ」を提供しているジャカルタ飯のPVも急激に低下。新しい記事を入れても反応は少なく、そもそも追加できるトピックスも限られる状況。
企業であれば事業撤退レベルです。
筆者の場合は撤退こそしませんが、モチベーションが著しく下がり記事投下の頻度も低空飛行に。この状態が2021年末まで続きます。
②継続するためには過去以上の労力が必要
2022年に入ると人の往来も増え、ジャカルタにも日本人が戻りはじめました。
記事の投下も心無しか増やし、ブログのPVは昔のように右肩上がりで徐々に上昇していきました。
「丁寧に運営を続けていけば、以前以上に伸ばしていけるだろうな」という実感はありました。インドネシアへの注目度も再び高まりつつありますしね。
とはいえ、以前と比べて以下のような環境変化もあります。
a)素晴らしいブログの増加
b)SNS発信依存度UP、コンテンツ発信負荷UP
→a) 素晴らしいブログの増加
2016年当初と比べて、情報の質が高い便利なブログが増えました。別の言い方をすると競合が増えた。
ブログを継続しても中途半端な記事では埋もれてしまうので、「一筆入魂」の気合と品質が求められます。
→b) SNS依存度UP、コンテンツ発信負荷UP
これは2019年あたりから感じていましたが、コロナで寝かせてた間に本格的なSNSへのシフトが起きていました。しかも画像とテキストだけではない、動画の時代へ…そして今やショート動画の時代に。
もちろんブログの役割は終わりません。文字と写真だからこそ伝えられることもあります。
とはいえ、メディアとして本格的に運営していくためにはSNSでの発信も無視はできず、過去以上の労力が求められるだろうな、と。
ユーザー数を市場ととらえるのであれば、ブログ”だけ”で取れる市場は確実に減りました。
③ジャカルタ飯以外の取り組みが増えた
コロナの間に新しく始めたこともいくつかあり、思いのほかそちらも可能性のありそうな話に育っていました。
そこに加えてジャカルタ飯も本格的に運営開始するぞ!となると「持ちすぎ」な感が否めない。
選択肢として「だらだら続ける」のもなくはないのですが、それでも自分の時間は割かれてしまいます。
結局は他のことも「だらだら続ける」言い訳にしかならないだろう、と。
どれかを捨てるタイミングに来ていたのでしょう。
自分の役割は終わり
そんなこんながあり、都合のいい解釈で「ジャカルタブログ界(←なんじゃそりゃ)における自分の役割は終わった」と2023年の夏頃に判断しました。
そこから相談を進め、2023年10月には譲渡完了となった次第です。
jakamesi.comの持ち主ではなくなったので、Twitterの名称もJakameshiからJakanasi(※)へとマイナーチェンジしました。
※nasiはインドネシア語でライス
新しい持ち主の元で旧来の役割を強化していくのか、新たな役割を担うのかはまだわかりませんが、引き続き人の役に立つメディアとして生き続けてくれるのを願うばかりです。
8年間のブログ運営が筆者にくれたもの
コロナの間はほとんど更新できなかったとはいえ、通算で8年間。長いものですね。人生の10/1以上をともに過ごしたわけです。
最後は人の元へ巣立っていったとはいえ、あのブログは本当に色々なものを筆者に与えてくれました。
大きく分けるとこんな感じ。
多少の収益
知識と経験
人との出会い
①多少の収益
今ブログを書いている人はここが結構気になると思います(笑)
よく言われる話ですが海外情報系メディアは収益化が難しい分野です。
筆者の場合も「これで不労所得生活だぜ!」まではほど遠い。
しかし、具体的な数値は出したくないので想像にお任せしますが、
・コロナ前のピーク時点でも「ブログだけで生活」は無理
・ただし生活がちょっと豊かになる程度には実入りあり
・ただし新しいレストランで妻と飲み食いしてほぼ消える(酒量多め)
くらいの恩恵はありました。
②知識と経験
筆者の場合は以下のような知識や経験を得ることができました。収益自体よりこっちの方が価値がありそう。
・ライティング
・SEO
・コンテンツ企画
・動画制作
・ワードプレス
筆者の本業は広告系なので、これらの知識は本業でのメディアパートナーとの会話でも役に立ってます。
ワードプレス限定ですが、簡単なオンラインショップとか、テンプレートとプラグインの力でその気になれば作れるようになりましたし(笑)
流れで動画を作っていたら動画編集もできるようになりました。
③人との出会い
筆者の場合はこれが一番大きな財産です。
ブログを通じて、たぶん皆さんが想像される以上にたくさんの人と出会うことができました。
まさに「ブログが名刺代わり」ってやつです。
「どんなやつなんだ?」って面白がって会ってくれる人が多かったですね。
日本人しかり、インドネシア人しかり。
そこから継続的なお付き合いになっている方も多いですし、お仕事が生まれることもありました。
ブログをやっていなかったら、今どうなってたかな?ちょっと想像つかないな?
と考えるくらいには人生に影響を与えてくれましたよ。
支えていただいた皆様に感謝を
最後になりましたが、ジャカルタ飯の運営を支えていただいた皆様にあらためて感謝いたします。そしてここには書けませんが、譲渡を引き受けてくださったチームの方、つないでいただいた方にも感謝しております。
8年間の運営ですので、ここで伝えきれないこともたくさんあります。
ご興味のある方は、どこかでお会いした際にでもお話いたしましょう。
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