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惜別 B777-200型機

以前からnoteでもお話ししていましたが遂に11月12日のJL916便をもって国内線B777-200型機が全て運行を終了してしまいました。

JALが最初に導入したB777-200型機(以下772)は国内線用機材のJA8981でした。

この機体は同時期にJA8982〜JA8985も共に導入され、5機体制での運用が行われたそうです。
この5機にはそれぞれ星の名前の愛称がつけられ、”STAR JET”として親しまれました。

その後JALとJASの合併に伴い、772が新たに7機(JA007D〜JA010D, JA8977〜JA8979)が追加され、772は国内線の大所帯となりました。
(当時、すでに先日国内線を引退した772のER型は導入されておりJA701J〜JA711Jが居ました)

300型も含めると国内線ターミナルの殆どをB777が埋めることもあったほど馴染み深いものになりましたが、経年劣化とともに徐々に事故が目立つようになりました。

この大所帯が壊れるキッカケとなった1番の打撃はコロナウイルスによる減便です。

この時点でJALは後継のA350-900の導入を進めており増備が完了し次第、順次退役という流れになっていました。

そんな最中にパンデミックによる国際線と国内線の大幅減便に伴い海外路線で活躍していたER型の772が国内線に就航し、玉突きで古参機材であった国内線用772を早期退役としました。

別れの言葉もなく、セレモニーも無く、気がついた時には仕事を失って羽田のスポットに大量駐機されており、なんとも悲しい余生を送った機体であったことはとても印象的でした。

その後、国内線で活躍していた772のER型にも徐々に退役の話が聞こえ、JA710J、JA709J、JA702J、JA701Jの順番で半年の間に4機もの機体が離日しました。

その後残ったJA703Jも直ぐに退役するかと思えば、夏季の台風対策の影響もあってかなんと半年近くもの間就航し続けてくれました。

臨時便に入ることもあり、772がかつて就航しておりお別れのできなかった伊丹、福岡、那覇、千歳の全ての空港にJA703Jが飛び、数年前に叶わなかったお別れをして回っていました。

そして迎えた11月12日、筆者は混雑が予想されたことと別の予定があったのもあり当日に羽田にはいけなかったもののフライトレーダーやLive等で固唾を飲んで見守っていました。

そんな中、暗闇を切り裂き眩しいランディングライトと共にJA703JがR/W34Lに到着。
スムーズな接地と共に空港内にGE90-94Bの大音量の逆噴射が響き渡りました。

その後ターミナルへ向かい、ボーディングブリッジが接続されると職員の方々が横断幕を掲げ、旗を振り、乗客の皆さんへの感謝の気持ちを伝えておられました。ライブで見ていて目頭が熱くなるほど感動的なシーンでした。
またこの時の貨物コンテナには「幸せの黄色いコンテナ」も積まれていました。
たくさんの感謝と惜別の念が乗ったフライトとなったことは間違いありません。

スタージェットとして導入され、様々な路線で各地に飛び回って第一線で活躍していたルーキーがコロナと製造元が原因の事故によりその輝きを失っていくのは見ていて残念で辛いものでしたが、最後の最後で沢山のファンと沢山の職員に感謝の気持ちが伝えられ、報われたのでは無いかと思いました。

機体単体で20年、772という機種で27年

最高で最強のかっこいい機体B777-200型機

今までお疲れ様でした。沢山の感動をありがとう!

R1ドアにありがとうステッカーが貼られたJA703J
11/11撮影

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