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梅田という街、スナップを撮る理由

タイトルがこれすぎる。

ストリートスナップというほどかっこいいものなのか怪しいが、僕は単純に街を撮るのが好きだ。

街にはいろんな人がいて、常にうねっていると感じる。独特の波があり、一瞬として同じ形をしていない。だから僕は、かまぼこのように梅田を切って、それをiPhoneのアルバムに薄く並べるのが好きなのかもしれない。

目を引く鮮やかな色。真ん中には人の影。そしてかわいい張り紙。この瞬間は二度と訪れないだろう。


僕が敬愛する森山大道さんという写真家の人は、何十年も新宿を撮り続けているという。言ってしまえばその人の猿真似に過ぎないけど、僕も梅田という街を撮り続けようと思って、今は撮っている。

ここまで寄ってしまったら、梅田で撮ったという証拠がない。しかし、紛れもなくこれは梅田の桜だ。きれいに花がごっそり落ちているのを見るに、スズメの盗蜜の被害にあったのかな等と想像が膨らむ。

少し前、僕は肖像権の侵害スレスレで、かつ人々に不信感を与えるにも関わらず、なぜ都会で人々を撮るのか自問したことがあった。

この記事では「人を写すことこそが街撮りの醍醐味だからだ」と弱い結論を出している。

しかし、今ならもう少し明確な答えが出せるかもしれない。僕は二度と訪れない瞬間が好きなのだ。

梅田にある穴場の屋上。都会の真ん中で満開の花の下、ゆっくりとそれぞれの時間が流れる。

僕が撮るジャンルは、都市風景の要素も含んでいる。特にビルと空を一緒に写すのが好きだ。

しかしそこにプラスして、僕は人影を写したい。そうすることで風景の「その瞬間」の限定性がぐっと増す。もちろん風景にも同じ瞬間など二度と訪れないのは承知の上だが、人が写ることでそれは目に見える特別感となる。

瞬間

うねる街の中心には、いつだって人がいる。そして、うねって動き続けるからこそ、僕はストリートに魅了されたんだと思う。

もちろん、やはり顔の写り込みに対するセンシティブさは課題だ。大きめに顔が映り込んでしまったボツ写真なんかたくさんある。それに僕の判断でSNSに載っている写真も、これはアウトだと思う人もいるだろう。しかし、そこはあくまで自分の倫理観に基づいて続けていくしかない。

ただ、動き続ける街を、そこに生きる人々を、今しかない瞬間を、切り取って残しておきたい。

やっと「なぜスナップを撮るのか?」に対しての疑問が自分の中で言語化できたので、ここに残しておこうと思う。

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