戦国Web小説『コミュニオン』第5話 「助けてあげなさい」
第5話 「助けてあげなさい」
けっきょく、何を買うかも決まらないまま、商店街まで来てしまった。
街はにぎやかに見えた。が、いつもとは違った騒々しさであることに気づく。兵士たちがいるのだ。それも一人二人ではない。あちこちに数人単位で動き回っていた。
沙耶 「なんか、騒がしいね。」
隼介 「だねぇ。」
沙耶 「何かあったのかな。」
隼介 「かなぁ。」
よく見てみると、手分けして家々に入っては出てきているように見える。通行人にも声をかけていた。なかば高圧的にも見える彼らの言動。訳が分からないままその様子を見ていると、兵士の一人がこちらに目を向けた。そして歩み寄ってくる。
兵士 「君たち、この町の子か。」
沙耶 「はい。あ、でも家はちょっと離れてます。」
兵士 「君も。」
隼介 「はい。」
兵士 「ここで何してる。」
隼介 「あぁ・・買い物に。」
兵士 「買い物。」
隼介 「はい。」
と、その時、すぐ前の店から男が飛び出してきた。慌てた様子で振り返り、すぐにまた走り出した。が、慌てていたせいか、前のめりに転んでしまう。
すぐに店から三人の兵士たちが走ってきて、男を取り押さえる。中年の少しやせた男は、なおも抵抗し暴れる。あまりに突然のできごとに、呆然と見ているしかなかった。
沙耶 「あ、おじさん。」
隼介 「え。・・知り合い?」
沙耶 「花屋のおじさん。」
隼介 「・・・・・。」
沙耶、取り押さえられている男にかけ寄る。
沙耶 「・・・どうしたの?」
男は沙耶に気づき、動きを止める。
男 「沙耶ちゃん・・・。」
沙耶 「おじさん、どうしたの。」
男 「・・・・・。」
兵士 「知り合いか。」
沙耶 「はい。あの・・・」
兵士 「関係者か。」
男 「この子は関係ない! 客だ。客として来てくれてるだけだ。」
兵士 「・・・連れていけ。」
兵士たちは男を連行していく。
沙耶 「あの・・え。おじさん、どうしたの。」
兵士 「君たちはすぐに帰った方がいい。」
沙耶 「え。でも、おじさん、あの、どこに連れてくの?」
兵士 「帰りなさい。」
沙耶 「・・・・・。」
不愛想なその兵士は他の兵士たちと合流し、また自分の任務を遂行していく。呆然と立ち尽くしていると、今度は近くのおばさんが話しかけてきた。
おば 「ちょっと、アンタたち。」
隼介 「え。」
おば 「ここいらの子じゃないよね。」
隼介 「まぁ、はい。」
おば 「道の真ん中でつっ立ってると、また声かけられるよ。」
隼介 「はぁ。」
おば 「とくにアンタ背ぇ高いから、よけい目立ってるよ。」
沙耶 「あの、花屋のおじさんが、さっき、あの、連れてかれちゃって。」
おば 「まさかねぇ~、花屋の主人がね~。」
沙耶 「何か悪いことしたんですか。」
おば 「悪いもなにも、あの男、淘來人だったんだよ。」
沙耶 「え。」
隼介 「とうらいじん・・って悪いんですか。」
おば 「当たり前じゃない。こんな近所にいたなんて、油断も隙もあったもんじゃないわ。」
隼介 「でも、」
沙耶 「・・・おじさんが・・淘來人?」
隼介 「・・・・・。」
おば 「さぁ、早いとこ帰りなさい。」
何も分からないまま、帰ることにした。が、商店街の入り口が多くの兵士たちで塞がれていた。何人かの通行人が足止めされていた。中には、取り押さえられている人たちもいることに驚き、足を止める。
沙耶 「あの人たちも淘來人なのかな。」
隼介 「みたいだね。」
沙耶 「こんなにいたなんて。」
隼介 「別に、珍しくはないと思うけど。」
沙耶 「だって、まぎれ込んでるんだよ、何くわぬ顔して。怖いじゃない。」
隼介 「怖い・・かな。でも、何したんだろう。」
沙耶 「何かしたのよ。そうじゃなきゃ捕まるわけないでしょ。」
隼介 「そうだけど。」
隼介は、沙耶が淘來人に嫌悪感を抱いていることに気づく。いや、以前からそんなようなことを口にしていたのは覚えているが、まさかここまでとは思ってもみなかった。
先ほどのおばさんと言い、淘來人を嫌悪・・いや、敵視している人たちが思っている以上に多くいることを察する。と同時に、自分の父親が淘來人であったことが人に知れてしまうことは、実は恐ろしいことなのかも知れない。そう直感した。
隼介 「この道は諦めよう。」
沙耶 「どうして。」
隼介 「塞がれてるじゃん。」
沙耶 「通してもらえるよ。私たちは悪くないんだから。」
隼介 「そうだけど。別の道から行こう。」
沙耶 「・・うん。」
別の道を通って帰ることにした。途中、いたるところで兵士たちの姿を見かけた。そのつど隼介は彼らの視線が気になって仕方なかった。
ふと見てみると、また取り押さえられている人がいた。今度は女性である。大の大人が二人がかりで抑え込んでいる。何もあそこまでしなくてもいいのに・・・。
隼介 「何もあそこまでしなくてもいいのに。」
思わず声に出た。が、沙耶は違う感想を持ったようだった。
沙耶 「何するか分かんないじゃない。」
隼介 「そうかな。」
沙耶 「そうだよ。」
隼介 「沙耶、どうしてそんなに・・嫌がるの。」
沙耶 「なにが。」
隼介 「その・・淘來の人。」
沙耶 「何するか分かんないじゃない。」
隼介 「例えば?」
沙耶 「・・・・・。」
隼介 「聞いちゃダメだった?」
沙耶 「お父さん・・殺した。」
隼介 「え。」
沈黙。それ以上、何も聞けなくなってしまった隼介。黙ったまま歩き続ける二人。しばらくして話し始める沙耶。
沙耶 「お父さん、兵士だった。城壁守ってた。」
隼介 「・・東の、長城?」
沙耶 「うん。私が生まれるちょっと前、淘來人が攻めてきて、戦って、死んだ。」
隼介 「・・・そっか。」
沙耶 「あいつらのせいで、お父さんと会ったことない。」
隼介 「・・・そっか。」
沙耶 「確か、隼介のお父さんも、そうだよね。隼介が生まれる前に、戦って死んだんだよね。」
隼介 「うん。でも別に俺は・・・。」
沙耶 「なに?」
隼介 「いや・・・。」
隼介は異質なものを感じていた。今日この場所に来るまでとは、明らかに何かが違っていた。沙耶って、こんな子だったっけ? そもそも、人ってこんなだっけ?
何と言っていいか、突然コミュニケーションがとれなくなってしまったというか・・・。言葉は通じてるはずなのに、なぜか会話が成立している気がしないのはなぜだろう。そう思いつつ、黙って歩き続ける。
沙耶 「なんでだろうね。」
隼介 「何が。」
沙耶 「なんであいつらは、ひどいことするんだろうね。」
隼介 「・・・・・。」
言葉を返せない隼介。ひどいって、何がひどいの? 何を言ってるのか分からない。分からないが、あまり下手なことは言ってはいけない気がする。口は重く、それでいて耳は鋭く相手の発する言葉に集中していく。
沙耶 「あんな奴ら・・・死ねばいいのに。」
隼介、耳を疑う。まるで時の流れが止まってしまったかのように、凍りついた。
何が起こったのか分からない。ほんの少し前、あんなに美しく見えた少女が、今は別人・・・いや、別の何かになってしまったよう。
そして、自分の半分が殺された。そんな錯覚に陥る。息が苦しくなる。
沙耶 「隼介、どうしたの。」
隼介 「・・・・・。」
言葉を返せない。動悸が激しくなる。
沙耶 「大丈夫?」
隼介の顔を覗き込む沙耶。思わず視線をそらしてしまう。
沙耶 「・・・・・。」
決して拒絶したわけではなかった。むしろ逆である。目を見られると、自分の正体がばれてしまう。ばれてしまったら、この人との関係も終わってしまう。そんな気がしたのだ。この人とは、離れたくない。それゆえの反応だった。
しかし、沙耶にはそれが拒絶されたように見えた。そして、隼介が隠そうとしたものも、うっすらと感じ取った。
沙耶 「もしかしてだけど・・隼介ってさ・・・」
隼介 「・・・・・。」
沙耶 「ん~~ん、何でもない。」
路地裏から叫び声が聞こえた。喧嘩のような激しい声が。固まる二人。恐る恐る覗いてみると、やはり喧嘩をしていた。いや、喧嘩というより一方的に多数が少数を攻撃していた。
手には棒などを持って、相手をメッタ打ちにしている者もいた。そこに兵士たちが割って入り、仲裁する。
兵士 「やめろ! やめんか!」
しかし、一向におさまる気配がない。兵士の一人が刀に手をかける。それを見て、ようやく暴行をやめる暴徒たち。
兵士 「この者らは我々が連行する。」
暴徒の一人が不満げに声をあげる。
暴徒1「死刑ですかい? そいつら」
暴徒2「殺せ殺せ!」
続いて他の者たちも口々に声をあげる。
兵士 「まずは取り調べだ。」
暴徒3「殺しちまえばいいんですよ、そんな奴ら。」
兵士 「間者かどうか調べてからだ。裁きのあるなしはそれからだ。」
暴行を受けていたのは三人の若い男たち。三人は、地に伏していた。そのうち一人は、頭から血を流していた。
兵士たちは彼らを立たせようとするが、ケガがひどく立てない。それでも無理やり立たせ、そして連行していく。
隼介は、いまだに何が起こっているのか理解できていない。一方の沙耶も現状を理解できていないが、隼介とは明らかに違う点があった。
彼らが暴行を受けていたことに対しての疑問は持っていなかったのである。呆然と連行される彼らを、各々、違う視点で見ていた。
隼介 「あ。」
その時、隼介はふと思い出した。静流が淘來人であったことを。
隼介 「静流。」
沙耶 「え。」
胸騒ぎがする。今まで、そんなことは特にどうでもいいことだったが、事ここに至っては緊急事態であると隼介は感じた。気づいた時には走っていた。
沙耶 「隼介!」
沙耶も隼介を追いかける。途中、何度か暴行シーンを目撃する。罵詈雑言とともに、蹴る殴る。中には反撃している者たちもいた。
静流の家に近づけば近づくほど、状況はひどくなっていた。死人が出るんじゃないかと思うほど、激しい乱闘シーンがあちこちで繰り広げられていた。いつも見慣れた場所なのに、もはや自分の知っている世界ではなくなっている。
何なんだ? 何が起きたんだ? 彼らは何を怒っているんだ?
状況がいまだつかめないまま、焦る気持ちばかりがつのっていく隼介。とにかく走り続ける。
走りに走って、静流の家に駆けつけた隼介。一目で最悪の事態になっていることが分かった。
燃えている。静流の家が燃えているのである。思わず叫ぶ隼介。
隼介 「静流——!!!」
沙耶も遅れて追いついてきた。燃え盛る静流の家を見て驚愕する。
まさか、まだ家の中に??? 焦る隼介。と、その時、悲鳴が聞こえた。家の中ではない。辺りを見回すと、もう一度悲鳴が聞こえてきた。静流の声である。急いで声のした方へ走り出す隼介。追って沙耶も走る。
いた。静流が走っているのが見える。その後ろを三人の男が追いかけている。全速力で静流にかけよる。そして、静流と男たちの間に割って入る。男たち、隼介の体格に気おされ立ち止まる。
静流 「隼介。」
その場で座り込む静流。疲労困憊。ケガをしている。額からは血が流れ出ている。静流を追いかけていた男たちは、隼介をにらみつける。先ほどの暴徒たちと同じく、殺気立っているのが分かる。
暴徒 「なんだお前。お前も淘來人か?」
隼介 「・・・・・。」
暴徒 「かばうってことは、そうだよな。あぁ!?」
隼介 「・・・父は・・淘來の出身だけど。」
沙耶 「・・・・・。」
沙耶、驚きを隠せない。そして、状況から静流も淘來人であることを察する。
暴徒 「出てけや、この国から。」
隼介 「・・・・・。」
暴徒 「出てけっつってんだよ!」
隼介には、やはり理解できない。どうしてここまで殺気立っているのか。
女の子にまでこんなことをするなんて・・・。
家に火を放ったのも、この人たちなのか?
殺そうと・・したのか?
この人たちは、狂ってしまっているのか?
隼介 「なんで・・こんなこと、するの。」
暴徒 「それはこっちのセリフだよ!」
襲いかかってくる暴徒たち。その殺気に圧され、成す術なく殴られ、蹴られる隼介。沙耶、どうしていいのか分からず混乱し、立ち尽くす。
暴徒の一人が静流に近づいていく。隼介、その腕を掴む。さらに激昂した暴徒は隼介を殴る。二人がかりで隼介を押さえ、残りの男が殴打しまくる。
沙耶 「やめて!」
沙耶、その暴徒を突き飛ばす。
暴徒 「邪魔すんじゃねーよ!」
暴徒、沙耶に殴りかかろうと歩み寄る。
隼介 「・・・・・。」
その瞬間、隼介の理性が飛ぶ。
押さえつけていた二人を、簡単に振りほどき一歩前に出る。振りほどかれた勢いで、二人は倒れる。この場にいた全員が、隼介と普通の人間との力量の差を理解する。当然、当の隼介もである。
・・・なんだこの弱さは?
こんな力しかないのに、俺にしかけてきてんの?
怒りとともに、今まで隠れていた何かが表へ噴出してくる。それを察した暴徒たちは戦意喪失。恐怖で動けなくなる。
隼介 「オイコラァーーー!!!」
今まで使ったことのない言葉だった。叫びだった。完全に立場が逆転したのは、誰の目にも明らかだった。
隼介、もはや暴徒ではなくなった男の一人をにらみつける。男は怯えている。そして勢いよく男の首を掴む。大して力も入れてないのに、男の表情は苦痛に悶えだす。必死に抵抗するが、隼介の力の前には全くもって歯が立たない。
隼介 「・・・・・。」
隼介には分かってしまった。
・・・あ、こいつ、このまま殺せるわ・・・
手に力を入れようとした時、
沙耶 「やめて。」
沙耶をにらみつける隼介。怯える沙耶。その顔を見て、思わず手を離す隼介。理性が戻ってくる。沙耶を脅すつもりは微塵もなかった。が、沙耶を怖がらせてしまったことに罪悪感を感じた。
静流 「隼介!危ない!!」
突然の痛み。後頭部から激しい痛みが。振り返ると、男が木の棒を持って立っていた。数人の男が立っていた。5人いた。倒れて動けなくなっていた二人、そしてさっきまで隼介に掴まれて何もできなくなっていた男までもが、勝ち誇った顔をして隼介を見ていた。
隼介には一瞬で理解できた。
・・・こいつら、この数だったら勝てると思っている・・・。
せっかく理性で抑えた感情が、ふたたび湧き上がってくる。遠くからはなおも罵詈雑言と荒々しい声がとびかっていた。あちこちで乱闘が起きているのを肌で感じる。それらは理性を保とうとした隼介の感情を逆なでする。
「奴ら」の目は完全に隼介をなめていた。しかし隼介は気づいてしまっていた。自分の力がどれほどのものか。
・・・8人いれば勝てると思ってんのか? 試してみるか?
しかし彼らは気づいていなかった。挑発のつもりだったのか、男の一人があろうことか、沙耶に蹴りを入れる。次の瞬間、その男は顔面を潰され宙を舞っていた。「バキッ」と骨の砕ける音とともに。1秒後、地面に落ちたその男は二度と動くことはなかった・・・
土砂降り。気づいたら激しく雨が降り注いでいた。
雨の中、一人立ち尽くしていた。場所も変わっていた。
なぜか自宅の前にいる。
・・・あれ?・・・今日、晴れてなかったっけ?
すごく良い天気で、すごく気分の良い清々しい朝で、
今までにないくらい、素敵な一日が始まって・・・なかったっけ?
あれ・・俺、ここで・・何やってるんだろう・・・。
今日は沙耶と二人で・・・あ、沙耶は?
沙耶 「逃げて。」
振り向いたが沙耶はいなかった。辺りを見回してみても、誰もいない。自分一人だけが雨に打たれてたたずんでいる。
空耳・・・いや、記憶の中から声が聞こえたのだと気づく。そしてすべてを思い出していく。
一人目の男を殴り飛ばしたあと、隼介は次々と「敵」を蹴散らしていった。体が勝手に動いていった。そして、あまりにも呆気なかった。殴っても一発、蹴っても一発、頭突きでも一発、首を掴んで振り回しただけなのに、それだけで奴らは動けなくなってしまった。
そして、二度と動くことはなかった・・・
もう動くことのない「敵」が倒れている。激しく昂ぶった感情は去っていったが、理性が戻ってこない。ただ呆然と隼介は立ち尽くしていた。
その頃には兵士たちが乱闘騒ぎを鎮めている真っただ中であった。しばらくしたら、ここへも来てしまうだろう。隼介はただただ呆然と、静流はただただ怯えており、沙耶だけが冷静に現状を把握していた。そしてこう口にした。
沙耶 「逃げて。」
まだ現状を掴めていない隼介だったが、言われるままにその場を去った。
雨が降り出した。突然降り出した雨は、瞬く間に勢いを強めていく。
そして今。土砂降りの中、自宅の前で一人で立っている。じょじょに自分が何をしたのかが理解できてくる。
沙耶 「隼介。」
振り返ると、今度は本当に沙耶がいた。沙耶もまた雨に打たれびしょ濡れであった。そして、あのあとどうなったかを説明してくれた。
兵士たちがあの場にかけつけ事情を聞かれた。沙耶は見知らぬ人たち同士の乱闘でこうなったと話した。兵士たちは何の疑問も持たなかった様子。
確かにあちこちで乱闘が起きており、正確な状況を把握するのは困難だろう。とは言え、本格的に調べられたらバレてしまうのではないのか?
もう取り返しがつかない・・・と、考えたところで後の祭りである。
静流は連行されてしまったとのこと。しかし聞きたいことがあるだけだと兵士は言っていたらしい。静流に・・いや、淘來人に何か聞きたいことがあるみたいだが、なぜそれだけのことがこんな大事になってしまうのかは、やはり理解できない。なぜこんなことになってしまったのだ?
話している最中、突然玄関の戸が開く。隼介の母が顔を見せる。そして隼介と沙耶を見ると、優しく微笑む。
母 「沙耶ちゃん、久しぶり。」
沙耶 「・・はい・・どうも。」
母 「上がって。」
沙耶 「いえ。」
母 「濡れちゃってるじゃない。」
沙耶 「いえ。失礼します。」
逃げるように走り去っていく沙耶。
母 「あら。」
隼介 「・・・・・。」
母 「隼介、上がったら。」
隼介 「・・・・・。」
母は家の中へと戻っていく。隼介は震えていた。終わったと思った。まさかこんなことになるとは思ってもみなかった。
自分がやってしまったこと、それを知っているのは沙耶と静流だけ。二人はきっと黙っていてくれるだろう。
そして本当のことが他の人に知られることなく過ぎていく・・・かどうかは分からないが、その時までは隠し通すしかない。もしバレてしまったら、自分をかばってくれた沙耶まで罪に問われてしまう。
沙耶にまで罪をきせてしまったのだ。沙耶はどう思っているのだろう。
・・・いや、嫌われた。嫌われたに決まっている。自分が淘來人の血をひいてることが分かってしまった上に、こんなことにまでなってしまったのだから。
己の手を見ると、拳の皮膚がむけている。血は雨と混ざり合い、その赤い色を薄くしながら流れていく。
・・・あぁ・・・俺は、この手で人を・・・
心労からか、隼介の意識はふたたび混濁していった。
そして、気づいた時には家の中にいた。あの後のことを、まるで覚えていない。記憶が断片的に欠如していた。
母 「隼介。」
ふと我に返る。
隼介 「え。」
顔や腕に包帯が巻かれていることに、ようやく気づく。髪はまだ少し濡れていた。
母 「じゃあ、迎えに行ってくるから。」
隼介 「え。」
母の方を向いた瞬間、激痛がはしる。
母 「大丈夫?」
隼介 「あぁ、うん。」
隼介の体に、ようやく心が戻ってくる。現実感が蘇る。すでに夜になっていたことも、今気づく。ケガをしていたことも思い出す。まるでさっきまで、寝ていたかのような感覚である。
隼介 「迎えって、誰を?」
母 「だから言ったじゃない。静流ちゃんたちよ。」
隼介 「え。どうして。」
母 「どうしてって。だから言ったじゃない。」
隼介 「・・・・・。」
隼介は何も覚えていなかった。
母 「困った時はお互いさまだからって。」
隼介 「あぁ・・そう。」
母 「じゃぁ、すぐ戻るから。」
そう言って、母は出かけた。しばらくしたら母とともに静流、彼女の父母がやってきた。彼女同様、父母もかなり憔悴していた。彼らは母に、ことの詳細を話し始めた。
何度もこの国に攻めてくる淘來に対し、不満を持った者たちが多くいること。
特に被害をこうむった人、その関係者。
実際に淘來の間者がこの国に潜んで暗躍していること。
ここは国境付近で敵が近いことから、危機感を持った人が特に多いこと。
そして今日、突然の一斉摘発が行われ、国内淘來人が多く捕まった。もちろんその多くは間者とは無関係だったが、出自を隠していた者は人々のむき出しの憎悪をぶつけられる結果となってしまった。
この国では、純粋な淘來人は国に「自分が淘來人であること」を報告することが義務づけられている。静流の両親もそれにのっとりすでに報告してあったのだが、近隣の者たちには言えなかった。どんな差別を・・いや、迫害を受けるか分からないからだ。
取り調べが終わり無実が証明されたが、家を焼かれてしまい、帰るところがなくなってしまった。国は何の保障もしてくれないだろう。それを見かねた母が手をさしのべた。そんなところである。
そうゆうわけで、隼介は静流一家としばらく一緒に住むことになった。来る日も来る日も、静流は無言だった。・・・無理もない。隼介も、そんな静流にどう接していいか分からず、ぎこちない日々を送る。
かく言う隼介もまた、精神が逼迫(ひっぱく)していた。罪悪感と恐怖にさいなまれていた。それでも静流に対しては、できる限り優しくふるまった。
きっと静流は自分よりももっと怖いに違いない。自分は父親だけが異邦人だが、静流は違う。完全に迫害の対象である。また、いざとなれば自分はある程度身を守ることぐらいはできる。だが静流はそうはいかないのだ。
隼介のかける言葉は必要最低限ではあったが、つとめて笑顔をつくった。
「ご飯できたよ。」「お風呂わいたよ。」「痛い?」「大丈夫?」
そんな日々が半月ほど続いた、ある日。
静流 「・・・ありがと。」
隼介 「・・・おぉ。」
ようやく言葉を返せるようになった。それからはみるみる回復し、心も体も元気になっていった。そんな静流を見ると、自分の精神的苦痛も和らいだ。
意識してつくっていた笑顔も、じょじょに自然と出てくるようになってくる。もともとは少しやんちゃな性格であったが、静流との生活で相手の「痛み」を気づかう心が育っていった。
後の穏やかな隼介の性格は、この時に形成された。
ある日の夜、隼介の部屋で静流となにげない話をしていた。
静流 「でもビックリだな~。」
隼介 「なにが。」
静流 「自分が淘來人だったなんて。」
隼介 「え!? 知らなかったの!?」
静流 「うん。」
隼介 「マジで?」
静流 「うん。」
隼介 「そっかぁ・・・。」
静流 「隼介は知ってたんだね。」
隼介 「お父さんのこと?」
静流 「うん。」
隼介 「知ってたよ。」
静流 「お母さんが教えてくれたの?」
隼介 「うん。静流は教えてもらえなかったんだね。」
静流 「なんで教えてくれなかったんだろ。」
隼介 「あれ。」
静流 「ん?」
隼介 「俺は知ってたよ。静流が淘來人だってこと。」
静流 「そうそう、それ。何で知ってたの。」
隼介 「お母さんがそう言ってたから。」
静流 「隼介の?」
隼介 「うん。」
静流 「えぇ~~~、何で何で。何でそうなるの。」
隼介 「分かんないけど、そう聞いたよ。でも、人に言っちゃいけない、とも言ってたから黙ってた。」
静流 「んん?」
隼介 「まぁ、大したことないって言うか、どっちでもいいじゃんって感じだったから気にしてなかったんだけど。」
静流 「・・・・・。」
隼介 「あ! 思い出した。」
静流 「なに。」
隼介 「何かあったら、助けてあげなさいって言われてた。」
静流 「私を?」
隼介 「うん。っていうか、困った人を・・みたいな。」
静流 「困った人。」
隼介 「どこの国の人でも同じ人間なんだから、困ってたら助けてあげなさいって。・・・あ、だからか。」
静流 「ん?」
隼介 「だからあの時、俺、静流のところに行ったんだ。」
静流 「・・・・・いいお母さんだね。」
隼介 「ん?」
静流 「優しい人。」
隼介 「・・・・・。」
静流 「ん~ん。なんでもない。」
隼介 「そう。」
静流 「隼介のお父さん、幸せだっただろうな~。」
隼介 「なに、急に。」
静流 「幸せだっただろうな~って。そう思わない?」
隼介 「さぁ。」
静流 「隼介はさぁ、どんな人と結婚すんの?」
隼介 「知らないよ。」
静流 「ねぇ、どんな。」
隼介 「知るわけないじゃん。」
静流 「じゃぁ、どんな人が好きなの。」
隼介 「知らないって。」
静流 「それは分かるでしょ。」
隼介 「分かんないよ。」
静流 「自分のことなのに?」
隼介 「じゃぁ静流は?」
静流 「私?」
隼介 「うん。」
静流 「優しい人。強くて優しい人。」
隼介 「ふ~~ん。」
静流 「なに、ふ~~んって。」
隼介 「べつに。」
静流 「ちなみに私は何点?」
隼介 「は?」
静流 「隼介的に、何点?」
隼介 「何点って。」
静流 「女として。」
隼介 「はぁ? 知らないって。」
静流 「付き合う条件とかってあるの?」
隼介 「う~~~ん、そうだねぇ、俺に勝てたら。」
静流 「バッカじゃないの。」
静流、隼介の腕を殴る。
隼介 「うるさいなぁ~。」
静流 「ガッチガチ。(隼介の腕を触りながら)こんな奴に勝てるわけないじゃん。」
それから数日後、仮住まいができた静流一家は隼介の家から去っていった。静流とはもともと仲が良かったが、この一件があってからはさらに距離が近くなった気がする。
何かを共有しているような思いが芽生えていた。それは決して楽しいものではなく、むしろ暗く鬱屈したものだった。
それでも、他の人には理解されない痛みを分かち合える存在として、大切な人に思えた。
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