見出し画像

甘えとは



昨夜、苫野オンラインゼミでの本質観取で"甘えとは"についてチラッと参加。

その後イエナプラン神戸明石支部にてイエナプラン20の原則の中の人間ついての学びと、その後ブレイクアウトのチームで"甘えとは"について対話しました。

苫野オンラインゼミはこちら
https://lounge.dmm.com/detail/2065/

イエナプラン神戸明石支部はこちら
https://m.facebook.com/groups/673314333427659?group_view_referrer=search

まずは苫野ゼミ。

グループの皆さんの意見としては概ね"甘え"に対してかなりネガティブな概念を持っておられたのにびっくりしました。

私はチャットで呑気に
"甘えはいいもんですよ♪甘えられるというのは信頼関係があってこそ♪甘えが出来なければ成長出来ませんもんね!"の様な事を書いたと思いますが、皆さんの反応が"えーっ、、、ジェーンさんの意見が驚き"という感じ😅💦

そこから色々と用事をしながらチャットに書き込んではみたものの、

なかなか甘えに対してのネガティブな概念を払拭出来ないままにタイムオーバー。

うぉーっ話したいわぁ‼️と書き込みつつ退出😅💦


…その後すぐイエナプラン神戸明石支部のzoomへ!

参加者が多い事にまず感動🥺✨

(最初の頃世話人の静ちゃんと2人で、リアルで会ったことなかったのに2時間喋り倒したよなぁと思い出しました笑)

20の原則の中の人間についてを読み合わせした後、参加者さんから感想や質問が。


イエナプラン教育の20の原則、人間についてはこちら

1.
どんな人も、世界にたった一人しかいない人です。つまり、どの子どももどの大人も一人一人がほかの人や物によっては取り換えることのできない、かけがいのない価値を持っています。

2.
どの人も自分らしく成長していく権利を持っています。自分らしく成長する、というのは、次のようなことを前提にしています。つまり、誰からも影響を受けずに独立していること、自分自身で自分の頭を使ってものごとについて判断する気持ちを持てること、創造的な態度、人と人との関係について正しいものを求めようとする姿勢です。自分らしく成長して行く権利は、人種や国籍、性別、(同性愛であるとか異性愛であるなどの)その人が持っている性的な傾向、生れついた社会的な背景、宗教や信条、または、何らかの障害を持っているかどうかなどによって絶対に左右されるものであってはなりません。

3.
どの人も自分らしく成長するためには、次のようなものと、その人だけにしかない特別の関係を持っています。つまり、ほかの人々との関係、自然や文化について実際に感じたり触れたりすることのできるものとの関係、また、感じたり触れたりすることはできないけれども現実であると認めるものとの関係です。

4.
どの人も、いつも、その人だけに独特のひとまとまりの人格を持った人間として受け入れられ、できる限りそれに応じて待遇され、話しかけられなければなりません。

5.
どの人も文化の担い手として、また、文化の改革者として受け入れられ、できる限りそれに応じて待遇され、話しかけられなければなりません。


(リヒテルズ直子訳)

【感想や問い、

"誰からも影響を受けない"という事は難しいと思う…。影響というか支配に近いのかも⁉︎

何故この5つが選ばれたのか。
何故この順番なのか。
何故2番はこんなに長いのか。】



素晴らしい問い✨
(私はただただ、これこそ教育の原則やぁ💖として何の疑いもなく受け入れてました。)

皆さんで話し合って調べたところ、オランダ語も英文訳も2番の説明が短い事が判明。


英訳
Each human being has the right to develop their own identity, irrespective of ethnic origin, nationality, social environment, religion, philosophy or abilities/disabilities.

オランダ語
heeft het recht een eigen identiteit te ontwikkelen,



"これはリヒテルズさんが日本語に訳された時、概念の浸透が脆弱な日本人向けに注釈をつける形で訳したのでは⁉︎"

(次回、私や他のメンバーが受講中のほんの木イエナプラン応用講座でリヒテルズさんに聞いてみようと思います。)



そして私のリクエストで"甘えについてのグループ"と、静ちゃんの"イエナプラン実践報告のグループ"に分かれて、話し合いました♪

甘えについて、、、

まず皆さんが甘えをどう捉えておられるか、私の意見を話す前に聞いてみました。(私の意見が苫野ゼミであまりにも違っていたので、、、と前振りした事もあり、バイアスが掛からぬ様)

皆さんの意見、
【自分の力で及ばないなと思う事について助けを求めたのに、甘えだと一蹴されてモヤモヤした。

特別支援の子どもたちを受け持つ中で、今はこの子にはこの支援が必要なのでは?と試行錯誤しながらやっている事も、"この子たちが通常級でやっていくために"が目標になっているために支援が甘えとされてしまう。

子どもたちが宿題を先延ばししても、自分は一旦受け止める。何故その子が宿題出来なかったのかを一緒に考えてもらう。それが甘いと批判される事もあるが、子どもたちに権限がない宿題はそもそも本当に子どもたちにとって必要なのか、何故必要なのかを論理的に説明出来る教師は少ない。

他者に過度に迷惑をかけてしまう行為ならば悪い甘えではないのか。

でもその迷惑というのは、例えば教師がギリギリの時間の中でやり切らなければならない事柄の中での事だとしたら、それは子どもたちが迷惑をかけているのではなく、大人側の都合なのではないか?

甘えというのは依存。子どもは依存して生きている。生まれた時赤ちゃんは完全に依存状態だ。それを咎める人はいない。成長するにつれ何故甘え、依存がダメ!となるのか、それは社会の役割をそれぞれの子どものペースを無視して当てはめようとするからだろう。その子その子の心身の成長に合わせて、徐々に自立していく、、、その後には何が来るのか、それはお互いを支え合う相互承認だ。

人は誰一人として依存せずには生きられない。この洋服だって誰かが作ってくれている。年老いたら介護も必要になるだろう、甘えるな、という人は甘えるという事をネガティブな意味合いで捉えているが、みんな実は他者に知らず知らずに甘えて生きている。

等等】



最後には、"国がきちんと予算をかけず、教師に甘えている"という話に!その問題に先生方が気付かないまま、そのパイの中で何とか仕事をこなそうとしているんです。その皺寄せって何処へ行くと思いますか?

甘えてるというのは大人側、または権威側の怠慢である事が多いのではないでしょうか?

子どもたちはそれぞれのペースで成長していこうとしています。大人にとって甘え(怠慢)と見える事を子どもたちに問いただす前に自省したい。

甘えというのは本来信頼関係があり、安心安全の中で初めて出せる感情です。甘えが過度に見える時、それは大人側が上手くサポート出来ていない事の表れなのではないか、と思うのです。

甘えられる=ありのままの自分を見せているという事。その安心感は根っこの養分になり、成長へと繋がるのではないでしょうか。反対に甘える=怠慢になるは、その人の成長を妨げてしまうものです。そうならない為には、受け手が毅然とそれをサポートする。あくまでもサポートなんです、突き放すのではなく。

そんな価値観を分かち合える人たちと様々な思いを共有出来た時間でした。わかってもらえる、繋がるって本当に嬉しいし、ワクワクします✨

反対に価値観が違うな、を体感する事もとても貴重な時間✨みんなそれぞれの人生観で物事を見ている、対話してそれぞれのマイスタンダードを受け止める。そこから協働していける道を模索出来るんですよね✨

最後は私や静ちゃんが参加している、"神戸に新しい学校をつくる会"についても触れ、今の公教育に疑問を呈し、子どもたちに寄り添う教育環境を望む仲間たちの連帯の話になりました。

時間はかかるかもしれない、色んなハードルはあるだろう、でも諦めず、楽しく大人も学びながらイエナプランの20の原則が当たり前になる公教育に育てようと思いを新たに出来た時間でした。

対話に参加くださった全ての皆さん、ありがとうございました😊


最後に私が好きな親野智可等さんのツイートより

子供が苦手なことやできないことは、叱るのではなくやりやすいように工夫しましょう。それでもできないことが多いのですが、そのときは親が手伝ったりやってあげたりすればOK。いちいち叱ったり文句を言ったりしないで、やってあげてください。「やってあげると自立ができない」は罪深い迷信です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?