フランスで感じる、テロ問題、イスラム問題、移民問題

ニュースでもたくさん取り沙汰されているように、今月7日新聞社「シャーリー・エブド」社が2人の男に襲撃され、風刺画で有名なステファヌ・シャルボニエを含む12人が殺された。犯人は逃走、その次の日8日、彼らは建物に立てこもったあと、警察により射殺された。同時刻にその犯人と親交のある男女2人組がパリ近郊のコーシャ(ユダヤ教の教義に従った安全な食品と認可されたもの)を売るスーパーマーケットに人質をとり立てこもり、4人の犠牲者を出した。犯人の男は死亡、女は逃走中。

フランス中が悲しみに包まれている。

・・・いや、大半は怒りに震えているのではないか。

各地で「Je suis Charlie(私はシャーリーと同じ)」と書かれたポスターを掲げ、テロに対するデモが起きている。フランス人の表現の自由に対する攻撃は、フランス人のアイデンティティの深い部分に対する攻撃だ。犠牲になった人たちに対する哀れみや悲しみよりも、「何も悪いことをしていない、自由という権利をもったフランス人を攻撃し、殺害したものたち」に対する怒りの方が目立って見える。

ただ、このデモや一連の報道、人々の反応に首をかしげる自分がいる。

まず、テロの対象となったチャーリー・ヘブド紙について。

アメリカやイギリスのメディアでは、チャーリー・ヘブド紙の風刺画の幾つかを紙面には載せない、またはモザイクをかける、という判断をした。それはこれらの絵を見て嫌な思いをする人たちがいるのを知っているからだ。今回の事件に絡めて、フェイスブックやツイッターでは、チャーリー・ヘブドが出版した過去の風刺画を載せて広めている人たちが沢山いる。その画のほとんどは、イスラム教関連の、今回のテロリストがテロを起こしたきっかけであろうと思われる挑発的な風刺画だ。それを広めるということはつまり、チャーリー・ヘブドの描く世界を支持していることになる。表現の自由を主張するのと、フランスでも有名な「過激派」中傷雑誌を支持するのは別物ではないのか。

言っておくけれど、テロリストを擁護する気は一切ない。殺人は罪だし、罪のない人たちを無作為に殺すのは、許されない行為だ。たくさんの無実の人が亡くなったし、被害にあった人たちには心からお悔やみ申し上げる。挑発に対して殺人を犯した犯人たちが、法によって罰せられるべきであるのは事実(3人は死亡し、1人は逃亡中だが)。

だけど、チャーリー・ヘブド紙が躊躇せず行った「自由の行為」が、誰かの気持ちを傷つけたのも確かだ。

「自由の行為」は、挑発にもなる。もちろん国が検閲したほうがいいと言っているのではないし、テロリストに屈しろと言っているわけではない。ただ誰かが − 過激派グループが − その自由の表現の結果相当怒っている、しかも殺人予告や爆弾の投げ込みなどをすでに行っていることから怒りは話して落ち着く問題じゃない、と既にわかっているのに、さらに挑発するような絵を出版し、挑発を続けたのも事実ではないのか。チャーリー・ヘブド紙はイスラム教以外のもの、なんでも風刺する、と言われている。過去にはユダヤ教、キリスト教を馬鹿にする画を出版しているが、その時に編集長のCharbは、「他の宗教の風刺画を描いても、過激派グループは反応してこない。イスラム教について書くと、雑誌はたくさん売れて、反応も大きい」とコメントしている。つまり、風刺画に対する反応が(中傷と受け止められたり、侮辱されていると思っている人たちが少なからずいる、しかもやめさせるためには暴力も駆使する可能性がある人たちが少なからずいる)わかっていてやっていた。いつ、どうやってどの程度攻撃されるか、がわからなかっただけだ。そう、誰かが怒るのを承知で行っていたのだ。

フランスのテレビを見ていて思うけど、ジョークと風刺、中傷の境目があまりない。しかも多くのジョークの矛先はイスラム教徒やヨーロッパ以外の文化などを題にしたものだ。もちろん大半はただのジョークだ、フランスではこういうジョークがウケるんだ、と思って受け流せるけど、侮辱された気分になりいい感情はもてないものがたくさんある。私のバックグラウンドに当てはまる(日本人、女性、など)ものでなくても、酷いと思うくらい。Made in Grolandという番組や、Le Grand Journalといういわゆる「コメディ」番組はゴールデンタイムに放送されたくさんのファンがいるが、私はほとんどの内容がジョークとして取れないので好きではない。例えば、アフリカ系のサッカー選手がフランスに来てフランスのチームでプレイしているけれど、フランス語が上手く喋れないのをジョークとして、その間違いを強調するジョークとか、福島の原発事故のジョークなど。もちろんこういうジョークを放送するのは発言の自由がある国にとって当たり前のことなんだろう。または、私があまりにもナイーブだからかもしれない。でもこういったジョークによって「自分が馬鹿にされている」と思う人たちがいるのも事実だし、その人たちの気持ちを考えないでなんでもジョークとしてしまうのは、いじめや人権侵害、ヘイトスピーチにはならないのだろうか。表現の自由とは、他人の気持ちや感情を踏みにじってまで声高らかに意見を言うことなのだろうか。ではなぜ、法律や規律でヘイトスピーチや個人の表現による他人の人権侵害が規制されたりしているのか。ましてや今回は、報復としての殺人をためらわないテロリストグループ。殺すぞ、と言ったら本当に殺しに来る人たち。ただのジョークとして受け流してくれるわけがないのに。

挑発は罪にはならないのか。表現の自由は大事だし、尊重されるべきだが、その権利は絶対なのか、疑問を投げかけたい。そして、その悪意に満ちた雑誌の内容を広める前に、テロを行うまでいかなくてもそれ(風刺画)をみていい気分をしないであろう、フランスに住む多くのイスラム教徒の気持ちをもう少し考えて欲しい。フランスのメディアにはそういった疑問はでてこない。(アメリカやイギリス、日本のメディアは幾つか、この疑問を投げかけていたが。)

チャーリー・ヘブドのサポーターには、相手を挑発するのを恐れて書く内容を自制または規制するのはテロに屈することだ、という人もいる。でも、テロを起こさなくても、チャーリー・ヘブドの描く過激な抽象画を見て嫌な思いをした人たちは沢山いるだろう。チャーリー・ヘブドの編集者たちが好き勝手なことを書く権利が守られるならば、それを見て不快な思いをする権利は守らなくてもいいのか。自由には、責任が付きまとう。自分が言ったこと、表現したことに対する責任。殺されたチャーリー・ヘブド編集者の中では、生前「そういった(脅してくる)人たちに屈しるより、信念を突き通して死んだほうがいい」と言っていた人がいたらしい。その人はいま、人生を全うして幸せなのかもしれない。では、巻き込まれて死んだ人たちにはどう説明する?そういったことがあまり深く議論されていないのは、やはり怒りが支配しているからなのか。Je suis Charlieは、本当は何を意味しているのか、良くわからない。


次に、今後のイスラム教徒へのフランスの対応について。

フランス オランド首相は早速「イスラム教徒と今回の犯人(過激派)は違う」という声明を出し、イスラム教徒のコミュニティもまた、シャーリー・エブドの表現の自由を支持、そしてテロリストへの批判を表明した。そう、犯罪を犯した過激派の数人と、イスラム教徒は、全然別物だ。

ただ、残念ながら、その区別ができない人がたくさんいる。特に、怒りがその考えを増長させている。

「犯人が過激派だろうがそうでなかろうが、フランスの基本的人権 − 表現の自由 − に対し不満を持ち、殺人まで起こす「フランス人じゃないやつら」は追い出すべきだ。」

そんな空気がだんだん強くなっていっているのをひしひしと感じる。犯人だけでなく、その後ろにある「何か」への怒り。

仲のいいブルーノおじさん(イタリア人、フランス在住40年以上)は、声を上げて「犯人が死んでせいせいした。フランスにいるアラブ系全部集めて殺すべきだ。」と言っていた。反論しようとする私の声は届かない。彼のような人たちの中では過激派も犯罪を犯す外国人(特にイスラム/アラブ系)も、平和に生きているその他大勢の人たちも、同じ。それを表わすかのように、テロ発生から10日までに33件のイスラム教徒に対するな嫌がらせ・事件が起きたらしい。一番ひどいのは、南部コルシカ島で9日朝、礼拝所の扉に切り落とした豚の頭部や内臓がつるされているのが見つかったそうだ。これは、表現の自由なのか、嫌がらせか、ジョークか。境界線が、ここフランスにいるとよく見えない。

フランスは移民や移民の子供たちが犯す犯罪に頭を悩ませている。「刑務所に収容されている人たちの40%は外国人なんだぞ、だから外国人は全部追い出すべきだ」とおじさんは続ける。私も外国人なんですけど。とは言わなかったけど。(あとで調べてみたら刑務所収容者の外国人率は約20%だった。)だがフランス国籍を持つ刑務所収容者のうち、民族ごとのデータがあったとしたら(オフィシャルなものはない)アラブ系は少なくないと思う。イスラム教徒は場所によっては収容者のうちの70%以上、という記事も見つけた。刑務所の収容率も急激な速さで増えている。つまりフランスで犯罪が起きている理由を、移民、特にイスラム系がたくさんフランスに入ってきているからだ、という理由で締めくくるのは決して難しくない。

イスラム教徒だから、アラブだから犯罪者。「白人のフランス人でない="怪しい"外国人または移民」という偏見から警察に目をつけられやすかったり捕まりやすい、という理由もあるから犯罪者のうちの外国人率、非白人率が高いのだ、ということは理解してもらえない。アメリカでの刑務所での黒人比率が高いのも、黒人だから犯罪を犯すのではなく、偏見により検挙数が多くなっている、という事実もあり、大きな社会問題だ。

「イスラム教徒は自分の信念を批判する人たちを簡単に殺す。」

「フランスに移民はいらない。イスラム教徒はいらない。」

「移民は問題を起こす。」

ワールドトレードセンターを攻撃された2001年のアメリカを思い出さずにはいられない。9月11日のテロ後、たくさんのアメリカに住むイスラム教徒が差別、迫害を受け、実際攻撃の対象になったりもした。残虐なテロリストと、平和主義な隣人の見分けがつかなくなるくらい、怒りがたくさんの人たちを支配していた。

ドイツでは、西欧のイスラム化に反対するデモの規模が大きくなってきている。オランダの自由党党首も、反イスラム発言で裁判沙汰にまでなっている。

この問題は日本人にとっても他人事ではない。第二次世界大戦時には、アメリカに住む日本人が強制収容所に連れて行かれ、日本人としての「罪」を償わされた。 それからまだ80年くらいしか経っていない。この件は日本が国として行った行為に対する対応だったのでもちろん今回と状況は違うが、一つの大きなグループが同じ枠組みに入れられ、罪を着せられ、差別を受け辛い思いをするといった点では同じだ。今回は数で言えば決して多くないテロリストや犯罪者のために、国以上に大きなグループ、同じ宗教を信じる人たち全体が悪者にされつつあり、平和に家族と幸せに生きるために生活していようが、憎しみに満ちたテロリストグループであろうが、少なからず差別を受け、肩身の狭い思いをしなくてはいけないだろう。

そしてその経験が、ただ平和に暮らしたいだけの人たち、特に罪のない子供たちや差別に敏感な若者たちを苦しめ、憎しみと差別の連鎖を起こさせる。

フランスだけの問題ではない、この憎しみの連鎖。

この件について夫とその友達が討論していたので意見したら、「日本にはイスラムの問題がないからそんなこと言えるんだ」、って相手にもされなかった。「私は毎日色々なニュースを読んで、各国の政治や世界情勢を大学院で学んで、国際問題を専門にする教授たちや色々な国の人たちと2年間みっちり討論してきた。あなたたちはニュースも読まなくてフェイスブックの友達のコメントをそのまま語るしかしていないけど、それでも私は発言権ないの?」って言ってやったら、話を聞いてくれたけど。フランスにはあまり他国のメディアを読む人たちがいないし、一丸となってデモを行っているのを見るとなんとなく今後の流れが怖い。今回の件が、イスラム嫌悪に変わり、移民問題に変わり、今でもすでに良い思いはしていないマイノリティの人たちが、ますます住みにくい社会になるんじゃないかな、って。


今回の事件が、これ以上悪い方向に進まないように望むしか、私にはできない。


最後に友達の一人が、とっても考えさせることを言っていたから書いておこうと思う。

「彼ら(イスラム教徒)は、イスラム教徒にもいろいろグループがあって、考え方も違うし、生き方も違う。寛容なグループもあれば、過激派みたいなのもいる。でも大概のイスラム以外の人たちは、「イスラム教徒」としてみんなまとめてしか見ない。そんなときに子供を使っての自爆テロや今回のシャーリー・エブドの事件ばかり取りだたされ、イスラムのイメージはどんどん悪くなっている。もちろんイスラム教徒をひとまとめにして見るフランス人、ヨーロッパ人もよくない。でも彼ら(イスラム教徒)は偏見は誰でも持つものだ、ということを承知し、それを変える努力、もっと良いイメージを流す努力をするべきだ。」

残念だけど、これも一理あると思う。数で勝っていて、影響力があるのは、何世紀もフランスで生きてきた、白人系フランス人だ。マイノリティは、常にマジョリティグループよりも、歩み寄る努力をしなくてはいけない。楽ではないし、苦しいけど、いわれのない差別を受けても、マジョリティに認めてもらう努力をする。マジョリティグループも、もちろんマイノリティが感じていることに敏感になり、理解し、尊重する努力をする。いくらマイノリティグループが、マイノリティの中にも色々ある、と言っても、別物としてみてくれる人は少ない。それを承知で、個々の違いを強調し、良い部分をアピールし続けないといけない。だってその反対は、マイノリティを排除するということ。そして排除により問題を解決しようとしても問題の解決にはつながらないということは、過去に何度も証明されている。だから私は、フランスに住むいち移民として、フランス人でもイスラム教徒でもない人間として、意見を言っていきたい。まぁ、当事者でも被害者でもないのに口を出すな、と言われかねないけど。



参考記事(英文または仏文)

http://www.abc.net.au/news/2015-01-09/sparrow-we-should-support-charlie-hebdo-not-endorse-it/6007836

http://www.huffingtonpost.fr/2012/11/06/une-charlie-hebdo-catholiques-mariage-gay-sodomie_n_2080928.html

https://www.contrepoints.org/2015/01/11/194083-caricatures-de-charlie-hebdo-peut-on-rire-de-tout

http://www.huffingtonpost.com/harris-zafar/anjem-choudary-charlie-hebdo_b_6437378.html

http://www.usnews.com/news/articles/2015/01/07/charlie-hebdo-massacre-prompts-defense-of-freedom-of-speech

http://www.nytimes.com/2004/12/08/international/europe/08prisons.html?_r=0

http://www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-4613577,00.html

http://www.theguardian.com/media/2015/jan/11/charlie-hebdo-cartoons-uk-press-publish

http://www.hoodedutilitarian.com/2015/01/in-the-wake-of-charlie-hebdo-free-speech-does-not-mean-freedom-from-criticism/

http://www.theatlantic.com/international/archive/2015/01/charlie-hebdo-and-the-right-to-be-offended/384404/










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