「疲れたね」と話しかければ「疲れたね」と答える人のいるあたたかさ

2017-09-05

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茉莉花堂

子育てマガジン(2017年8月下旬~)

2017年8月下旬からの絵日記です。子育てとカンケーない日々のザレゴトもあります。
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コメント12件

sunameriさん〉そーです、タイトルの元ネタはサラダ記念日です。一度聞いたら忘れられない歌が多い歌集ですよね。今日もお疲れ様でした!
弱音は吐こうよ(時には)。でも…「弱音」と「愚痴」は違うよなあ…ていうのと…「死ぬまで頑張った」を目指す人も一定数いるだろうけど、一生に一回くらいはある「今だけは頑張らねば」の時期に頑張っている最中の人もいますよね。プレッシャーで震える右手を脂汗の滲む左手で抑えいたり、人間性を否定されるような言葉を投げられても気持ちを立ち直そうとしていたり、今にも切れそうな気持ちをなんとかポジティブにつなごうと頑張っている最中、たとえどんな種類であっても、ネガティブな言葉は気持ちを引きずりおろすよ。体力と心に余裕のある時ほど、私は頑張っている人の前では、ネガティブな言葉は使わないようにしてる。
あと…「頑張る自分が正しくてそうじゃない人間が不届きだから」とキレるのではなく、そんな感じでギリギリだから、思わずカッとなってしまう人というのもいると思う。社会の役に立ってない罪として発言すべからずというようなルサンチマンは捨てて、いま余裕のない相手に愚痴を言わないだけの共感性、思いやりを持てると、よりよいのだろうな。逆に、余裕なくてキレちゃったら、あとでちゃんと謝るとか。
chikaさん> 「体力と心に余裕のあるとき」はあまり「疲れた」と人には言わないのではないでしょうか。そういうときは「余裕のない相手に愚痴を言わない共感性」もありますし。そうじゃないときに、自分の疲れを他人の頑張りと比較して、自分の疲れを否定しなくてもいいんじゃないかということを私は言っています。
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