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蜜煮

 昔の出来事が早くも順縁で思い出せなくなり、これ自体は現在まで悪影響を及ぼしてはいないのですが、なにやら忘れるべきことは忘れようとして忘れたいと思い立ち、まずは強化の意味合いも込めて一つ一つ慎重に過去を再生していく、という方法で自己紹介を試みよう、となった次第です。

 沿岸部と山麓とを兼ねる九州の地点で産まれました。劈く道路が一本、脇に山と海の広がる「結節点」といったところでしょうか。角度を変えてみれば谷ともみえるここを滑るように育ちました。「滑るように」という動作の意識は今にも通ずるように思います。実家に近い空気のことをまず順当に考えてみますと、幼い頃よく登っていた山道がすぐにあります。初日の出の鑑賞地にもなりますので、大晦日に夜を更かそうという気がまだ起こらない頃は、早朝からここを駆けていました。九折かつ舗装は危うく、正しい標高も見ないこの山には、道中に誤差で盛り上がったような中腹だけがあります。居合わせた顔の知り合いに会釈してしばらく中腰で待っていると、ちょうど野生か自然かの低木の狭間から初日が覗き、そうすると一同はたちまち足場を見失い、総じて線画かという状態になって、風景をうっとり望むのでした。初日の出は十歳以来まともに見ていない気がします。

 実家はおよそ築四十年で、家系と切り離せない建物であるのが良く、すりガラス、ラジオ、そして子機があります。あれを耳に当てる仕草、当てているときの顔の埋まり方が最上です。声を届けることにあれほど真摯になり、伝達されない声以外の表現(電話中の人は匂いに過敏になるため、いつも鼻をひくひくさせている)が行き場を探って、真剣になって宙に浮かぶあの光景が目に優しいのです。実家の長廊下の構造上、電話中の声は等しくくぐもり、首から下もほとんど隠れますから、リビングからは各々が、惹かれれば立ち姿の薄い影を見向き、普通はそっぽをむいて、鍾乳洞の声をただ聞き流しているのでした。

 公園に尋常ではない回数連れて行ってもらいました。市内の児童公園に留まらず、市外、時には県外の公園にも連れて行ってもらったそうです。どうして両親がそこまで執着したのか分かりませんけれども、まあ十割は私の屈託ない笑顔、身体のせいで、両親は振りかざされていただけでしょうから、私はよほど楽しそうにしていたのだと思います。平面から空間へと次元拡張される施設の中、心くすぐる高所があり、落差があり、ねじれがあり、私はそのどれも均等に遊んでいたように思えるのですが、今再生されるのは下から上を眺める構図の記憶。どうやら高所では海馬がうまく機能しないようです。変哲のない金属棒の冷感や半タイヤの反発を手元に残しつつも、目線は密林に向けて私は座っています。俯瞰に隣り合う営みをすることで、自分の無い空間を好いていたのかもしれません。遊具の全体像はほとんど抽象画になっており、算数が得意な六年生の将来の夢は、順当に一級建築士でした。自分の住まわない幾何空間を一から演出するお仕事でした。

以下、幼少期(広角)に関する、ほんの断片の無作為的な羅列(随時更新するかもしれません)

・ハウステンボスのフォレストヴィラ(コテージ型の宿泊施設)で母がただの女の人に見えたこと

・そこで東京五輪2020の開催を知ったこと

・アリス=紗良・オットの公演に関するあらゆる記憶がすべて嘘のように思えること(会場の構図、内容、終了後のCD売り場で本人と握手したこと)

・体操着を汚れた水にひたされたときに初めて人を蹴ってしまって以後、全能感が薄れたこと

・海沿いの通学路の山に逸れる脇道に規模の大きい不法投棄地があり、奥のほうで聞き取れない音量でラジオがずっと鳴っていたのを、今も海の恐ろしさと混同してしまっていること

・実家の屋上に太陽光パネル、それに伴って脱衣所に発電の状況を映すモニターが設置され、数字を裸で眺めるのはおもしろかったけれども、屋上に登るとやはり少し寂しく、露出したくなったこと

・裏の墓に行くたびに、細い金具で留められたぼろい入口を忍んで壊したくなったこと

・親戚が年々増えていくように錯覚したこと

・所属していた少年野球チームに、だぼだぼのユニフォームでペたん座りで顔が良くて気だるいセンターの五年生がいて(私が後任でセンターを守った)彼が五年生のままの姿でずっとかっこいいこと

・海からひいていたために花庭に水をやるホースからわかめが出ていたこと

・生卵を割ったそのままの姿で乾燥させてみたいと思い、家の前の礫段に放置しておいたら、翌日鳥に荒らされてしまっていたこと

自己紹介は好物を剥ぐよりも、生い立ちを丁寧に綴る方式を採ったほうがずっと興味深いと思います。

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