母性のせいで好きになる人がいて困ってしまう。好きな人にしか母親の話ができない。病室の角で母が仰向いて、さらなる角で私と父が俯いて、凡人はひとりもおらず、父が母の友人の手紙に湿り、私がさらに俯いて、茶葉が透明化して、迫る日が落ちる。本当にそうだった。時間に追われて出ていくときに言いかけた何か、淵から這い上がってくるような問いかけがあって、私は近づかなかった。幾度目の朝には白装束だった。眠気のする階段を下って、氷漬けの母から退いて、長い見ぬふりをして、夕方になってようやく顔の在処で泣いた。振り返ると、弔辞の文が目を背けてしまうほどに拙くて、少年だなと思う。少年は言葉に使われ、母子関係にも使われ、だから世界の対格にあった。主語ではなかった。しかし感情も何もかも先手で、玉の自我も持っていた。そういう世界との双方向性の中で、彼は帰りの車内、遺体の隣にいた。車体は死期のダイナミズムを讃えて、もったりと振動していた。その車では、形見の薄い手袋が見つかることもある。


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