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ところで直観は最も速い思考ではないのか。夏にこそ聡明でありたい。夏にこそぴったり方角を当ててみせたい。しかし方角に易しい街並みはあって(条里制ではなくもっとたおやかな決まりによって)京都のその難度は故郷よりもずっと落ちるように思う。ここでは日本的な思い出がつくりやすい。せっかく同時に日本各地を生きているなら、その様を条里制に倣わせてみてもいい。

空気は骨にも遍在するので冷たく放り出されると頭が(海老も)その特徴を発動し始める。そうして分かったのはお金が必要だということで、お金を知らなくなるところまでお金が必要だということで、それから私は無償になった動物にとことん乗り尽くしたい。今は。馬なら駆け込んで頼み込めばいけそうではあるが、他の動物、特に自分より小さい生き物は(どちらかがみじめで)無理そうだ。そこそこ大きいサイズの私が試しに頭で海老に乗ってみると、確実に発動させてしまう気がする。

後ろを振り返ったら猫が狂っていて玉置浩二を聴く。当たり前にメロディアスで、当たり前にセクシーで、どんな世界でこれが許されているの?

「雪が」と9回言ったので9回雪が降っている。7回目のあたりで朝、外に出たら3番乗りくらいで、帰り道を忘れてしまっても跡をつければ帰ることができた。手頃な避寒地がほしい。1月25日、去年は1月26日、なんと。運命的な公転にまた少し感心して、髪を見比べる。吹き飛ばされた先に自転車の鍵が落ちていたので、1個拾う。失くした物を数えないと反省しない。数えることは反省に直結しない。和と積の関係に似ている。

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