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土の時代から風の時代への転換期に

 絶望が強すぎたあの頃、心を守るために希望を、薄めていくことによって比例して、絶望も薄まっていった。これは間違っているかもしれないけれど、とりあえず成功体験になり、絶望感を感じることは無くなってきていた。
 突発的な不運な出来事で落ち込んでも、元々高いところにいなかったので落ち幅は狭い。平坦なところまであげるのは、ちょっとした気分転換で大丈夫に思われた。

 再就職のためのセミナーは期待に反して、大いにためになり毎日の講義が楽しい。頭を使うし、自分と向き合うから、ヘトヘトに疲れるのに脳はすっきりとしてて、むしろ希望に満ちてきた。
まさかである。
 最低限しか口をきかずに、殻で固めてやり過ごそうと思っていたのに、たまたま、何か悪いことをしてしまった人たちで居残り授業を受けているような感覚で、すっかりクラスメートのように打ち解けてしまった。講師たちは例外もあるけど、担任や顧問のようで温かい。年齢も事情も様々で、突然生徒になった人が集まる夜間学校はこんな感じだろうか。

 ここで出会った6人の仲間と毎日、そう、必修と選択合わせて120時間のセミナーに出席しなければならないので、月~金は仕事帰りの夜3時間、土曜日は10時から17時まで、振替で入れ替わることはあるけれど毎日一緒。様々なテーマの講義で課題に合わせてグループワークをしたり、発表をしたり、そのフィードバックをしたり、時には謎解きゲームをしたりしてやたら話す。そういう課題なのだ。

 人となりが解ってきて、今まであまり話さないようにしていたことにも触れるようになった。課題がキャリアアンカーを探すことだったり、理想に思うヴィジョンだったりするから、心の奥にしまっている夢や、理想を詰めた箱が見えてきてしまった。それらを無くしたわけではないけれど、自分の立場がいろいろ変わっていくにしたがって、自然と変化していったり、敢えてしまったり、もう無いものとしておいたりした希望。久しぶりに話してもいいという機会に、わくわくして実際表現したら、きらきらした。本当に好きなことってそういうものなのかもしれない。でも長い間かけて両立は難しいからと、見ないように遠くにしまっておいたのに、姿を見たら一気に表に出てきてしまった。久しぶり過ぎて扱い方に戸惑い、どうしたらいいのか分からなくなってくる。

 希望が顔を出し、手に届きそうな所にあるから、また絶望も姿を現して近づいてくる気配をぬぐえない。
 
 後半戦で両立する道が見つかるだろうか。本当に幸せになるなら、どちらかだけでは絶対だめなんだ。納得できる折衷案を考え出すことができるだろうか。私が幸せでないと家族を幸せにはできないから。でももしかしたら、もっと新しい発想が生まれるかもしれない。小学生の頃夢中でやったトランプゲームの大貧民大富豪で、満を持して革命を起こすように。

 とりあえず根拠は無くても、未来に何か新しい楽しいことがありそうだと、少しでも思えるのは、こうなったことに感謝できることなんだろうと今日も、西新宿の高層ビルを見上げて思う。クリスマスイブだけどね。


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