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自己肯定感

最近、CAKESで連載している幡野広志さんの「なんで僕に聞くんだろう。」の
幡野さんの圧巻の回答に感動して幡野さんの文章をよく読んでいます。
先日幡野さんが早稲田大学で田中泰延さんと
学生相談「わたしたち、どう生きればいいですか?」を講演されて
「自己肯定感が低い学生さんがおおかった。」と自身のtwitterでつぶやかれていました。

自己肯定感。

幡野さんご自身も低めだとおっしゃっていますが、
私も今でもまだ低め、もっと前はゼロどころかマイナスだったかも。
「子どもの自己肯定感は大人が積み上げてあげればいいのだけど、大人になってしまうと自分で積み上げていくしかない。」
と幡野さんがおっしゃっているように
大人になっても自分で自分をたとえそれが些細なことでもほめてあげれば積み重なっていくと思うと安心できますが、道のりは長いです。
私は子どもを産み育てることによって、徐々に育まれていった気がします。
あかちゃんが私の顔を見て笑ったり、後を必死で追いかけてきたり、
当時はその責任の重さに心が弱くなったこともあったけど、
一人目、二人目、と経験を重ねていくうちに
三人目ではあきらめ、いえいえ、
覚悟が決まってどーんとあかちゃんと過ごす密度の濃い時間を楽しむことができるようになりました。
自己肯定感が低かったので、こんな私が母親で申し訳ないとか
もっと子どもにとって良いことがたくさんあるのではないかとか
もちろん今でも心の中で「ごめんね。」とつぶやきながら日々子どもたちと接している部分はありますが、
子どもたちが小学生の頃、朝「行ってきます。」のあと一度も振り返りもせず登校していく後ろ姿や
私がリビングにいるととっかえひっかえやってきてはおしゃべりしていく様子を見ると
それが私自身の誇りになり、とても落ち着いて穏やかな素敵な気持になります。

私が料理をするのが好きなのも家族がおいしそうに食べているのをみると
直接ほめらてなくてもじんわりと喜びがしみ込んでくるようなあたたかい気持ちに包まれます。
幡野さんはまた
「(自己肯定感の程度は)子どものころに大人から適切にほめられたかで左右されるような気がする。」
ともおっしゃっていて、
「適切に」というのにとても共感します。
ほめことばにしなくても見上げたり、ふりかえればそこにいてあげれば
見ていてくれるという安心感が生まれ
子どもたちは先程私が感じたと書いた
「じんわりと喜びがしみこんでくるようなあたたかい気持ち」に包まれるのではないでしょうか。 愛されている実感は見守られているという安心感でわき、新しいことにチャレンジする勇気を与えてくれます。
一時期次男の口癖が「俺って神!」でした。子どもたちが根拠のない自信に満ち溢れていると私の自己肯定感が高まります。
でももう上の二人は成人しました。まだ家にいてお弁当も持っていくし、ご飯も食べてるけど独立していく日もそんなに遠くないでしょう。
私の日常も家族のことだけをしている日々から自分のことをする時間が増えてきています。
すると子どもたちと共にいるときはなかった不安が出てきます。まるで昔に戻ったようでした。まだ自分自身が子どもだった頃のような不安感。
自分の好きな時間はほぼ音楽に携わっているのですが、そこで自己肯定するのは大変です。ものすごい小さなことでも自分を褒めないと気持ちがすぐ落ちてしまう。なかなか難しい。頭の中の風紀委員が出てくるんですから。
風紀委員のことはまた別の機会に書いてみたいと思います。
まだ子どもたちが家にいる今のうちから次のステージへの訓練をしていかないといけないなと最近よく思います。

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