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【Season3 Vol.2】 JATO ATCリレー: 杉本 健剛さん

JATO ATCリレー Season3第2走者は、岡本 香織さんからのバトンを受け取ってくださった、杉本 健剛さんです。杉本さんは、岡本さんが気になるテーマの論文をすぐに紹介してくださる”歩く論文検索エンジン”のような方で、岡本さんを含めを含め周囲の方々にポジティブな刺激を与えてくださる方、とのことです。是非ご一読ください!

ATCになろうと思ったのはいつですか?またその理由を教えてください。

アスレティックトレーナーを目指すきっかけは、二人の恩師との出会いです。

中学・高校とサッカーをしていて、将来は医療的な面でアスリートをサポートする仕事がしたいと思っていました。高校を卒業後、柔道整復学を学ぶために日本の大学に進学したのですが、そこにはスポーツ現場の実習先がありませんでした。

自分で実習先を探さなくてはいけない状況だったので、夏休みを利用し街中のフィットネスクラブを自転車で回り、そこで働くパーソナルトレーナーさんと会って話を聞いてみることにしました(当時はアスレティックトレーナーとパーソナルトレーナーの区別もつきませんでした)。毎日違うジムに体験入会することを繰り返していたある日、いつものようにトレーナーさんに相談すると、奥から圧倒的にガタイのよい人が登場しました。その方が一人目の恩師・木下進人さんです。現場を探して回っていることを伝えると、「現場経験を積みたいなら、一度うちのチームに見学に来ますか?」と誘って頂きました。当時、木下さんは社会人アメリカンフットボールチーム 吹田マーヴィーズでストレングスコーチとして働かれていました。この出会いが私の全ての始まりです。

後日、チーム見学に訪れた際、ヘッドアスレティックトレーナーともお会いしました。その方が二人目の恩師・宮本直樹さんです。宮本さんは、現場経験ゼロの私をインターンとして受け入れて下さり、その後三年間も現場で経験を積ませてもらいました。

さらに、二人を通してたくさんのATCの先輩と出会うことができました。先輩方の話を聞いている内に、本場でアスレティックトレーニングを一から学びたいと思うようになり、日本の大学卒業後にオレゴン州立大学に留学しました。

オレゴン州立大学のクラスメイトと共に

ATS時代に経験したことで、印象に残っているエピソードを教えてください。

ATS時代、シアトル・シーホークスのサマーインターンの電話面接をした時のことです。
初めての英語面接でとても緊張したことを覚えています。面接官の経歴や過去の記事、チームのcore valueを調べて、できる限りの準備をして挑みました。電話面接なのに、気を引き締めるためビジネススーツに髪もジェルで固めてトレーニングルームに現れた際はプリセプターに爆笑されました。合格を頂いた時の興奮は今でも忘れられません。

シアトル・シーホークスにて

今、どんなお仕事をされていますか? また、これまでどんなお仕事をされて来ましたか?

オレゴン州立大学を卒業してから、ATCとしてコロラド大学ボルダー校、ネブラスカ大学リンカーン校、シアトル・シーホークスで仕事をしました。2021年からトレド大学でアシスタント・アスレティックトレーナーとして働き始めました。フットボールと男子テニスの担当です。フットボールは、怪我が多いのでとにかくやることが多いです。しかし担当のATCが四人もいるので、業務の役割がある程度分担されています。私の主な役割は手術後のリハビリテーション、学生アスレティックトレーナーの雇用と指導、トレーニングルームの備品の管理・調達です。
今年はヘッドアスレティックトレーナーからチームにおける治療的介入のStandard of Care向上というプロジェクトを与えられているので、それにも取り組んでいます。
男子テニスチームの担当は私一人なので、コーチとのコミュニケーションやチームマネジメントも大切な役割です。海外から来てる選手が大勢いることもポイントです。セルビア・ポーランド・クロアチア・タイ・チリと文化の違いにいつも驚かされます。過去にトレーニングルームの温浴に入るため、選手がすっぽんぽんになろうとした時は全力で止めました笑。

ネブラスカ大学リンカーン校にて

ご自身の仕事の好きなところ、やりがいを感じることについて教えてください。

大学ならではですが、若い選手へのインパクトです。フルタイムとして働いていると共に過ごす時間は家族よりも長くなるので、アスレティックトレーナーとして、彼らを教育することも大切な仕事だと思います。それは正しい身体のケアの仕方から始まり、規律、礼儀、異文化教育なども含まれます。例えば、私が住んでいる中西部はアジア人がほとんどいません。したがって日本と中国の区別もつかない人が多く、無自覚に無礼なことを言う選手が少なくありません。しかし、そんな選手も自分と時間を共にすることで異文化に敏感になり、変わっていきます。選手がアスリートとしてだけでなく、人として成長していく過程を間近で見られることは、アスレティックトレーナーならではだと思います。そのお手伝いが少しでもできることにやりがいを感じます。

トレド大学にて

様々な地域やレベルの違うチームで働いて来られていますが、同僚やコーチ、選手など周りとのコミュニケーションで気を付けていることはなんですか?(前回の岡本さんからの質問です。)

チームによって立場と役割は違いましたが、どこにいてもコミュニケーションは共通して大切なことでした。重要なのが、相手にとって最も快適なコミュニケーション方法を選択するということです。今まで働いた人の中には、情報は全て伝えて欲しい人、必要なことだけを効率よく伝えて欲しい人、忙しい時は伝えても覚えてくれない人など様々な人がいましたが、普段から話して観察していると、その人が言葉をどんな定義で使っているか、何を大切にしているのか段々とわかってきます。リレーを回してくださった香織さんから「自分の常識は相手の非常識」という言葉をもらいました。その通りだと思います。コミュニケーションエラーが起きた時はその言葉を思い出して、まずは相手を知ることから始めるようにしています。

トレド大学にて

今後の目標や展望を教えてください。

博士課程に興味があります。とりわけ、ACL関連のトピックが大好きで、脳の神経認知的な変化、競技復帰のための客観的評価、競技復帰に向けた後期リハビリテーションを普段から勉強しています。いつか臨床経験を活かして、現場にとって有益な研究ができればよいなと思っています。

あなたにとって、JATOはどんな存在ですか?

僕にとってJATOは、同じ志しをもった仲間と会える場所です。実は、アカデミックアップデートのプロジェクトに携わりたいという思いがきっかけで、最近JATOに入会しました。プロジェクトを通して、職種を越えて自分のプロフェッションが大好きな人たちと繋がることができればと思います。

あなたにとって、ATCは<ひとこと>で言うと、どのような職業ですか?またその理由を教えてください。

人との繋がりです。
アスレティックトレーナーの良さは、専門家と連携して、選手にとってベストなアプローチを提供するところだと思います。Seattle Seahawksの前ヘッドアスレティックトレーナー Donald Richが言っていた「I may not know everything, but I know who I need to speak to and what I need to talk about.(私は全てを知っているわけではないが、正解がわからない時は、誰に何を聞けば正解を導きだせるかは知っている。)」という言葉が印象に残っています。自分の限界を理解して、一人で患者さんを抱え込まず、その人にとって何がベストかを考えることは、医療者としても大切な考え方な気がします。

【編集後記】杉本さん、大変お忙しい中ご質問にお答えいただきどうもありがとうございました。杉本さんが現場にてどのようなことを考え、どのようなことを大切にされ、どのようなことに興味を持たれていらっしゃるのかを知ることができ、大変刺激を受けました。JATOのアカデミックアップデートのプロジェクトにもご協力いただき、改めてお礼申し上げます。
次回は、杉本さんのご友人・ATCの同期として心の支えになっていらっしゃる方をご紹介いただきます。お楽しみに!


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