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食べれない

20代の頃、人付き合いが苦手であることをまだ自覚していなかった。だけど、バイト仲間や職場での飲み会に参加することがあまり好きではなかった。

もう30年も前のことなので、あまりよく覚えてはいないが、大学生時代は学校のともだちは3〜4人しかいなっかたし、2〜3年の専門科目では選択する講義があまり重ならなかったので、学校で会っても挨拶を交わす程度の付き合いになっていた。ぼくは、もっぱらバイト先の横浜伊勢佐木町にあったレンタルビデオ店の同僚と早朝5時に店を閉めてから遊びに行く事が多かった。なので、コンパや飲み会などには全く縁のない学生生活を送っていた。

ちょうどバブルが弾けた時期だったので、就職活動しようにも3流私立大学で何の目的もなく3年間過ごしてきたぼくは、当たり前のようにどの企業も相手にされなかった。
そのような時代、フリーランスで働いていた父の仕事も立ち行かない状況に立たされていた。
そして、就職できずに大学を卒業したぼくは、就職浪人となりバイトをしながら第二新卒の募集で、名の通った某企業の関連会社である消費者金融チェーンに就職した。しかし、半年で辞めた。
その後、父の病気が発覚し、余命宣告を受けてから3ヶ月後に亡くなった。

それからは、ホテルのフロントのバイトやCDショップでのバイトをしてフリーターとして過ごし、28〜29歳の頃には資格予備校の社員として働いていた。

前置きが長くなってしまったが、そのような時期に、今となればそれが「会食恐怖」と言う名前がついた症状だと分かったが、人と一緒に食事をする事ができなくなっていた。
自宅では普通に食事をする事ができた。しかし、職場で同僚と一緒の昼食や飲み会となると、一口食事を口に運ぶと、飲み込もうとすると吐き気がする。なので何度も咀嚼し続け、少しずつ少しずつ飲み込む。そして二口目には箸を伸ばせられない。このような状態になってしまっていた。
何かきっかけがあったのかも知れない。だが、それが何だったのかわからない。原因不明。食事をする前には必ず「食べられなかったらどうしよう」と言う不安感が身体中に溢れ、体が震えた。
一人でお店で食べることもできなかったので、昼食はお弁当を買って来て、一人になれる場所で食べた。飲み会にも極力行かないようにした。
ある時、珍しく母と一緒にファミレスで晩御飯を食べにいった時も同じだった。家では普通に食べられるのに、外食すると食べられなくなっていた。
そのような状態が約10年ほど続いた。そして、いつの間にか食べれるように戻っていた。
それも、何かきっかけがあったのか思い出す事ができない。だが、食べられるように戻った。食べる前は「食べれなかったらどうしよう」と言う不安は続いていたが、多くは食べられないが一人前であれば何とか吐き気も催す事なく食べられるようになっていた。

その後は「会食恐怖」の症状はほとんど出なくなった。
ただ一度だけ、全く食べられない状況になった事があった。
それは、40代前半で介護施設の施設長をしていた頃。その当時付き合っていた彼女とクリスマスのディナーを名古屋駅のマリオットアソシアのレストランで過ごしていた時(ガラにもなく、そんな洒落たとこへ行くからだが…)、ちょうどコースの前菜を食べ終えた18時頃に、社用携帯に入居者が転倒して骨折したかも知れないとの連絡が入ったのだ。夜間に救急搬送となると、夜勤者が救急車に同行する事ができないので、施設長であるぼくが病院へ付き添わなくてはならなかった。なので、とりあえず日勤の職員に同行してもらい、ぼくも病院へ向かわなければならなくなったのだ。とりあえず、食事だけは済ましていこうと思ったのだが、もうそれどころではなくなっていて、全く喉を通らなくなってしまった。彼女には電話の内容は濁したが、やっぱり気づかれます。二人分でウン万円のディナー。前菜しか食べてないのに。彼女が食べ終えるのを待って、急いで送り届けてから病院へ向かった。

そんなこともあったが、原因不明の「会食恐怖」。知らない間に陥って、約10年苦しんだ後、知らない間に治ってしまっていた。
今でも、「ちょっと飲みにいこう」と誘われることが稀にあるが、「残さず食べ切れるかな?」との不安感はあるけれど、あまり量は食べられないが人と食事する事が苦手だと気づかれない程度には、食べられています。

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