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前大統領が拘束。キルギスの治安は?【中央アジア旅行記②】

 キルギスと言われて具体的なイメージができる日本人は少ないだろう。ニュースでもその名前を目にすることは少ない。ところが、私が訪れる直前、現大統領のジェエンベコフ氏と対立する前大統領アタムバエフ氏が拘束されたというニュースが流れてきた。それに対する抗議集会が首都ビシュケク中心部のアラ・トー広場で行われ、在キルギス日本大使館も注意喚起を出していた。

 たぶん大丈夫だろうとは思いつつも、物騒だったらどうしよう…と一抹の不安を抱えながら入国したが、杞憂だった。ビシュケクは極めて平穏な空気に包まれていた。デモも集会も見当たらない。街路は整然としており、ごみもほとんど落ちていない。冒頭の写真がアラ・トー広場だが、この通りのんびりした空気に包まれていた。

 外務省の海外安全情報によると、キルギスは全土がレベル1(十分注意)以上。これまでの経験上、レベル1はそれほど神経質になる必要はない。タイの首都バンコクやラオスもレベル1である。場所によってはけっこう物騒な雰囲気もあるアメリカには危険レベルの発表はない。

 そういえば、アタムバエフ氏が拘束されて、その後どうなったのだろう。ニュースは聞こえてこない。


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 カザフスタン・アルマティからのバンでキルギスに入国。これはキルギス側のゲート。画面奥がカザフスタン側になる。やはり陸路で国境を越えるとなんとなくうれしい。


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 国境を越えたキルギス側。掘っ立て小屋みたいな両替所がいくつかある。カザフスタンもそうだったが、日本円は両替できないと聞いていたので、あらかじめ米ドルを用意して持って行った。キルギスの滞在予定が短いこともあり、30ドルだけ両替。

 「ビシュケク? タクシー?」。まとわりついてくるタクシードライバーがうっとうしい。こちらは両替をすませて、乗ってきたマルシュルートカを待っていたのだが、いつまでたってもこない。同じマルシュルートカの乗客とやりとりするとどうも、先に行ってしまったらしい。まいったなあ、と思ったが、アルマティのバスターミナルは満員になると発車するシステムなのだから、私たちを置き去りにしても必ず後続のマルシュルートカは来るはず、切符を見せれば乗れるだろうと思ってしばらく待った。果たして20分くらいで「ビシュケク」と表示したマルシュルートカがボーダーから出てきた。運転手に切符を見せて無事乗車。

 私はイスラエルから旅行に来たという若者2人連れと一緒に待っていたのだが、「先に行ってしまったようだ」と言っていた地元の夫婦はタクシーに乗っていった。


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 しばらく走り、マルシュルートカはビシュケクのバスターミナルに着いた。そのまま翌日のカザフスタン・シムケント行きのバスの切符を買った。本来の目的地はシムケントの先、ウズベキスタンの首都タシケントなのだが、『地球の歩き方』やネットの旅行記を見ても、タシケントへはいったんシムケントに寄らないと行けないという。そういう頭だったので窓口で「シムケント、シムケント」と連呼して切符を買ってほっとしていたのだが、よくよく時刻表を見たらタシケント行きもあるやんけ! 上の写真の14番がそれ。

 私が買ったシムケント行きは午後9時30分発の夜行バスで610ソム、約940円。料金表には576ソムと書いてあるので窓口のおばちゃんに指摘したけど、覆らなかった。ほかの人の旅行記でも料金表よりやや高い値段だった、という。何かのフィーが加算されているのだろうか。


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 後進の役に立つかもしれないと思い、時刻表をアップしておきます。2019年8月撮影であることに注意。


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 同上。


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 キルギスの宿は少し奮発して1泊35ドルのところにした。物騒だったらどうしようと思ったからだが、治安的には不安がなかったので、ただのぜいたくになった。この宿は極めて快適だった。部屋も広く、従業員も英語が通じる上に愛想がいい。部屋にはミニキッチン、バスタブもあった。実は予約の日付を1日間違えてしまったのだが、予約サイトのカスタマーセンターを通じて交渉したら追加料金もなく変更できた。金満旅行は楽である。といって35ドルで高級というほどでもないのですが。


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 宿の近所にはあまり食堂がなかった。うろうろした挙句、宿の人が教えてくれたレストランに。このスープが秀逸だった。トマトベースなのだろうか、酸味の効いた汁に香辛料が効いていた。牛肉らしい肉片や少し米も入っていた。ことのほか美味である。どこの国に行っても汁ものはうまいことが多い。こういう料理に出会うと、旅行に来てよかったなあと思う。


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 ビールをもう一杯頼み、「マンティ」という餃子かシュウマイみたいな料理も。肉汁がすごかった。マンティは饅頭、マント―と同じ語源だろうか。スープやビールを合わせて690ソム、約1060円。物価に比すればいい値段であり、ちゃんとしたレストランだったのかもしれない。そういえば従業員も英語が通じた。

 満足して食べ終えたころにはとっぷりと日も暮れていた。宿までぶらぶら歩いたが、長そでシャツに薄手のパーカーを着ても寒い。標高がやや高いからか、めっぽう涼しい。


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 宿の朝食。料理の種類も多く、きちんとした宿は違うなあ、と思う。しかしこの宿ではほかの客をまったく見なかった。夜中も物音ひとつしない。やっていけているのだろうか。


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 路上の八百屋。今回の旅行中、手前にあるメロンの一種らしい果物と、スイカを食べる機会が多かった。どちらもみずみずしく、甘味が強い。


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 ビシュケクの繁華街。デパートもあり、普通の都会という感じである。子ども連れでアイスクリーム屋で買い食いする人もいて、いたって平穏な空気だ。


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 その辺の食堂で食べた、トマトとキュウリ、羊らしい肉の炒めもののっけご飯。ニンニクが効いていてなかなかの味。紅茶と合わせて165ソム、約250円。中央アジアはお茶をよく飲む。


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 夜行バスまで時間があったので、マルシュルートカに乗って、アラメディン・バザールという市場へ。マルシュルートカには番号が振ってあって、ルートが決まっている。バスと同じで、やはり降りるときが難しい。

 ビシュケクに着いた日、バスターミナルから宿近くまでのマルシュルートカに乗った。こういう場合、外国人にはだいたい「ここだよ」と降りるところを教えてくれることが多い。ところが、いつまでたっても着かないので運転手に聞いたら、もう過ぎたらしく、よく分からないところで降ろされた。彼は悪いと思ったのか、運賃の10ソム(約16円)を返してくれた。そこからが難儀で、現在地が分からないところから目的地を探さないといけない。その辺のおじさんに聞き込みしてなんとか宿のほうに向かうマルシュルートカを見つけた。

 そしてアラメディン・バザールに着いてから気づいたのだが、降ろされたそのよく分からない地点がアラメディン・バザールだった。ビシュケクにはいくつかバザールがあるが、そのうちオシュ・バザールは外国人を狙った犯罪が多発しているという。在キルギス日本大使館からも立ち寄らないように注意喚起が出ている。君子危うきに近寄らずということで、アラメディンに行った。


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 アラメディン・バザールで売られていたナン。中央アジアではこの円形のパンが主食だ。割と硬めで、甘味はなくあっさりとした味である。食堂ではかごに入れてどーんと出されるので、手でちぎって食べる。


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 市場と階段の組み合わせ。なんかいいなあ、とほっこりする。


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 肉屋コーナーを冷やかしていたら、写真を撮れ! と声を掛けられた。向こうから声を掛けてくれるのはありがたい。肉はこんな風に塊で吊るして売っている。中には羊の頭をどーんと売っている店もあり、一瞬ぎょっとする。その写真も撮ったけど、ちょっとあれなのでやめておきます。


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 このおじさん、いい笑顔だなあ。先年行ったインドネシア・スマトラ島の人ほどではないが、キルギスの人も写真を撮られるのが好きなようである。


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 市場は肉や野菜、チーズ、パンなどの売り物ごとに店が集まっている。隣の店とどうやって差をつけるのだろうか…といつも思う。


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 ここはパン? コーナー。


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 市場の外の店にて。ナンはこうしたかまどで焼いている。それを配達する少年。


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 夜になってバスターミナルに向かった。そこにあった食堂で、ラグマンという当地の麺類を注文した。「チーン!」というレンジの音からほどなくして出てきたそれは…やっぱりいまいち。つくりたてならもっと良かったのかも。でも、お店の人も、そこにいた子どもも、なんやかやかまってくれてうれしかった。夜行バスに乗るから酒はやめておこうかと思ったけど、ビールを1杯だけ。ビールが100ソム、約150円、ラグマンは120ソム、約190円だった。


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 バスを待っていたら、欧米系の若い女性バックパッカーに日本語で声を掛けられた。ポーランド人で、大学で日本語を勉強して、日本にも4カ月ほどいたことがあったそう。なんでもヒッチハイクで3週間ほど中央アジアを回っているとのことだった。
 バスはほぼ定刻通りに出発した。けっこう混んでいた。夜行だけど、通路をはさんで2列ずつ座席が並ぶ、普通のバス。くたびれる。

【個人旅行者に役立つかもしれない情報】
・ビシュケクからタシケントへは、直行バスもあるもよう。
・ビシュケクからシムケントへの夜行バス切符は前日でも買うことができた。混み合うようこともあるようなので、できれば早めに買ったほうがいいかも。
・アルマティからビシュケクに向かう際、キルギス側にはいくつか両替所があった。ビシュケク市内は、中心部のいたるところに両替所がある。


<中央アジア旅行記③へ続く>

※2019年8月の旅行です。通貨はかなり大雑把に換算しています。
※全ての写真は筆者撮影です。一切の無断使用や転載を禁じます。



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