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原発事故と湿原の関係【番外編・尾瀬旅行記②完】

 あまり知られていないかもしれないが、尾瀬には東京電力が土地を持っている。話は大正時代にさかのぼるのだが、当時の電力会社が尾瀬の豊富な水資源に注目し、水力発電を計画。土地を取得したものの「戦争や震災で大規模な開発が難しかったこと、また、当時から尾瀬の自然は守るべきだという声が強く、政府内も二分されていたことなどがあり、計画が実現しないまま、尾瀬は1951年の東京電力設立時に、前身の会社から引き継がれた」という(東京電力ホールディングスのウェブサイトより)。

 東電が所有する土地面積は尾瀬国立公園特別保護区の7割にして全体の4割に上る。そして東電は木道の整備などを担ってきた。子会社が運営する山小屋もある。これは私企業の自画自賛であろうが、東電は「国立公園の土地所有者に、その保護活動まで行う法的義務はもちろんない」「しかしながら、企業の社会的責任という観点から」自然保護に努めてきた、と説明している。

 それが、2011年の福島第一原発事故の後、多額の損害賠償を迫られた東電が土地を手放すのではないか―そんな懸念も地元にはあった。ウェブサイトを見る限り、東電は尾瀬の土地を手放さず、現在も自然保護に力を入れているようである。


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 山小屋の朝飯。「静か~な~山小屋の~朝ごはんは~♪」という歌を小学校のときに歌わされたのを思い出した。

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 山小屋の朝は早い。尾瀬ヶ原は霧に包まれていた。


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 山小屋を出て再び歩き始める。清冽な流れ。

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 花も嵐も踏み越えて俺たちは行くのだ。

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 しばらく進むと、尾瀬沼に着いた。こんな景色を見たとき、世界は美しいのかもしれない、と思う。なんだか極楽浄土のような感じである。行ったことないけど。


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 昔はここで魚の養殖が試みられたこともあったそうな。


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 道端で見つけた白い草。たぶん、ギンリョウソウという植物。


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 沼に流れ込む川には魚がたくさん泳いでいた。水が透明なのでよく見えた。


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 途中の休憩所で食べたカレー。なんというか、見た目の通りの味である。山の中で食事をできるのはありがたい。


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 尾瀬もかつては登山客があまりに多すぎて、湿原は踏み荒らされ、ごみが散らかっていたという。それが今はごみの持ち帰りなどのマナーが徹底され、大変に気持ちのよい場所である。オーバーツーリズム、観光公害を克服した先例と言えよう。


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 トラブルもなく予定の道を踏破して、帰路に就いた。帰りの大宮駅で、群馬県下仁田町出身の井森美幸さんのラッピング列車が突如現れた。井森さん好きなので興奮して撮影した結果、少しぶれています。

<尾瀬旅行記はこれで終わります>

※2018年7月の旅行です。
※全ての画像は筆者が撮影しました。一切の無断使用、転載を禁じます。

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