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音楽業界でのスチール、映像作品の制作に携わったり、教員をやったり、今は外資系企業でコン…

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音楽業界でのスチール、映像作品の制作に携わったり、教員をやったり、今は外資系企業でコンサルタントのお仕事をしたり、落ち着かない人。

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離れてみて、見えてくること

教員という立場を離れて、もう直ぐ1年が経とうとしている。1年は短かったが、それでも沢山のことがあった。ひとつの節目として改めて振り返ってみるこの季節、1年という幅を少し伸ばしてみても良いのかもしれない、そんな気がしている。 教員を辞めた理由はひとつではない。たとえば、自分が40歳、50歳と年齢を重ねていった時にどういった授業のスタイルになるのかあまりイメージできなかったこともそのひとつだ。元気が良いタイプである(と自認している)自分の授業を、元気がなくなってからどう続けてい

    • 最後の言葉

      ごめんなさい、って言いなさい。 昔、幼稚園の先生にそう言われたことがある。 謝れる大人になりなさい。 そう、親に言われたことがある。 なんで謝らなくてはならないんだろう、悪いのは自分ではないのに。不貞腐れた僕は、そう思いながら、言いたくもない「ごめんなさい」を吐き出した。そんな幼少期があった。 どこかで、謝ることは弱さを認めることなのだと、そう信じている自分がいた。謝ることは、自分の非を認めるだけではなく、相手につけ入る隙を与えることになるのだと、そう考えている自分

      • 変わっていくことはあっても、あの時の言葉は変わらない

        誰しも、変わっていく。良い意味でも、悪い意味でも。 たとえば僕は最近、髭を伸ばしている。マスクをしているからあまり目立たないが、職場では驚かれる。そんな小さい変化もある。 他人を見て、この人はこんな人だったかと驚いたり失望することもあれば、ふとしたときに自分を振り返り、変わった(変わってしまった)と思うこともある。 生きている以上、変わっていくことは避けられない。誰でも。 そしてきっと、変わることを恐れても、いけない。 けれども、変わらないものはある。 30年近く

        • 書くこと。

          昔から、文章を書くことが好きだった。 Z会の通信教育を受講していた中学生の頃、数学や理科は溜めがちだったけれど、なぜか作文だけは必ず締切に間に合うように提出していた。 小学校の頃から作文のコンテストで入賞することも多く、それは高校生の時まで続いた。 影響を受けたのは北方謙三という小説家で、彼の書く短く、ハキハキとしたそのスタイルは今でも自分の文章のモデルになっているような気がしている。 自分の書く文章で誰かの心を揺さぶることができるとか、変えることができるとか、本当に

        離れてみて、見えてくること

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        • つぶやき
          0本
        • ひとことの詩
          2本
        • カメラと人と、ボク。
          1本

        記事

          次の一手を考えるときに

          人生は長い、と言う人がいる。 人生はあっという間だよ、と言う人もいる。 色々なことを皆が好き勝手に言う世の中だから、自分の芯を強く持つことが大切なのだと思う。これを読んでくれているそこのあなたも、自分の芯をぶらさずに、内容を咀嚼してくれたら、と思っている。 自分がいかに家族の影響を受けて育ってきたかは、以前書いた。教育一家で育ってきて、ある意味深く考えもせずに、縁という言葉で、選択肢のない世界に彩りをつけた。そして、教員の道を選んだ。 その選択がキャリアとしての40年

          次の一手を考えるときに

          この春旅立つ、君たちへ。

          どんな気持ちを抱くのか。 それはいつも、本当には、自分自身がその立場にならなければわからないものだと思う。 * 長く生きれば生きるほど、出会いと別れの経験は積み重なっていく。時間が経てば薄れていく感情というのもあって、けれどもふとした瞬間に、ある景色を見て、ある香りを感じて、その時の感情が思い出されたりもする。 いわゆる、「エモい」ってやつだ。 そして卒業というイベントも、そんな「エモい」出来事の一つだろう。 * 僕たちは多くが16年間を学生として過ごし、それぞ

          この春旅立つ、君たちへ。

          ボクがボクであること(iii)

          「自分探し」という言葉が流行ったのは、いつのことだったろうか。あの時確かボクは小学生だったけれど、何となく記憶の片隅に、社会現象になったことを覚えている。 ボクたちはいつも、「自分」とは誰なのか、という問いと向き合っているような気がしている。これまで(i)や(ii)で書いてきたように、ボクにとってそれは、家族との闘いの歴史でもあった。 * 仲良く過ごす家族を見ると、羨ましいという気持ちが心を包むことがある。仲良く、といってももちろん色々な形があるけれど、パートナー同士が

          ボクがボクであること(iii)

          「当たり前」という言葉を捨てた先に

          コロナが流行するよりも前。 マスクといえば、白色が基本だった。いわゆる不織布のマスクというやつだ。 確かに当時も街中で黒やグレーのマスクをしている人を見かけることはあったし、販売もされていた。けれども、圧倒的多数の人は白色のマスクを身につけていたように記憶している。実際、僕が当時勤めていた先で同僚が黒いマスクをしてきたところ、他の同僚が陰で彼のことを「怪盗黒マスク」と読んでいたことも、よく覚えている。 白でないマスクは、外れ値のようなものだった。 ☆ コロナでマスクの

          「当たり前」という言葉を捨てた先に

          誰かの靴を履いてみること

          ブレイディみかこさんの書いた『僕はイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を知ったのは今年の新年、朝日新聞に著者の対談の記事とともに広告が掲載されていたのを見たときだった。 結局興味を持ちながらも今日まで読まずにきている。 この「誰かの靴を履いてみること」(put oneself in a person's shoes)は、日本語にストレートに訳せば「人の立場で考えること」になるのだろう。著者は自身の息子が"empathy"とはなにか、という問いに対してこのように答えたこと

          誰かの靴を履いてみること

          論理と感情の狭間で

          また、ひとつ。年を重ねれば重ねるほど、僕はどんな変化を遂げてきたのだろうかと。そんなことを振り返る時間が増えたような気がしている。 * 小学生の頃、こんなことがあったな。 中学生の頃、こんなことが嬉しかったな。あんなことで傷ついたな。 高校生の頃、あんな夢を見たな。恋をしたな。 大学生の頃からは徐々に記憶も鮮明になって、そのときに感じていた気持ちもなんとなく思い出すことができる。 けれども、5年も経てばきっと、その記憶もだんだん曖昧になって、嬉しかったことは遠い記

          論理と感情の狭間で

          Flipside

          過去は、振り返らない。 悲しい出来事、苦しかった日々、そんなことほど、振り返りたくないと願い、記憶に蓋をしようとする。 逆に楽しかったこと、幸せだった日々、そんなことは思い出してその度に少しだけ口元が緩む。 けれども「楽しかった」も「幸せだった」も過去の記憶に過ぎなくて、今の自分との距離を感じては寂しい気持ちになったりもする。そんな、表裏の感情だった。 * 過去があるから今の自分がある。 そんな風に人は言う。間違ってはいないだろう。振り返ってみれば、昔苦しかったこ

          ボクがボクであること(ii)

          言葉にならないものを、言葉にしたいと思う。 切ないとき。寂しいとき。口から、そのとき、その場にふさわしいとボクが納得できるような言葉は出てこないことが多い。 それでも、言葉にしたい。どうにも説明できないかもしれないその感情を、言葉にしたい。それは、衝動にも似ているのかもしれない。 * (i)を書いてから、随分と間が空いた。 ボクが両親と、特に父親と接する中で感じてきたこと。コントールされたくないと、そう抗う気持ち。ボクとは誰なのか。誰がボクをボクたらしめているのか。

          ボクがボクであること(ii)

          いつかは、終わるときがくるから。

          一年経った。早かったのか、それとも緩やかな時間だったのか。 オランダに行った。アメリカにも行った。沢山の出会いもあった。そうやって重ねた時は、いつも大学院というその場所に通じていた。 * 多くの友人が3年ほど前に感じたかもしれない気持ちを今、抱えながら、後輩にあたる修士の学生を見送った。見送ったのだから、僕はまだ学生だった。けれども、そのときは、確実に近づいている。 * はじめに断っておきたい。僕は今、酔っている。飲み過ぎた。楽しかったから。 そしてその楽しさが、

          いつかは、終わるときがくるから。

          願うなら。

          ビッグイシューを買ったのは、久しぶりだった。 最後に買ったのは、何時だったろうか。確か夏に、新宿駅近くの交差点で、だったような気がする。 ビッグイシューを買おうか買うまいか、見かける度にいつも悩む。それは否定しても心の中に生じてくる恥ずかしさに似た感情があるからなのだ、ということを自分自身が気づいているからであり、また買うという一連の行為の中で発する言葉や行動が売り手にどのような印象を与えるのか自信がもてないからでもあった。 * 僕はこのnoteをとおして、ビッグイシ

          すべてを言葉にできなくても

          誰かと目が合う。そのことで通じる感情がある。 誰かと手が触れる。そのことで通じる感情がある。 言葉を紡ぐこと以外にも、感情を伝える術は多くあると思っている。 * 今朝の電車の中でのことだった。それなりに混雑する車内で、僕の斜め前の2つの席が空きそうになった。座ろうかと考え視線をあげると、傍に立っている女性と目があった。その人と僕はしばらく目を合わせた後、席についた。お互いに最も近い席に。 僕にとって最も近い席は、ドア横の端だった。その女性にとっては、隣のいないその端

          すべてを言葉にできなくても

          自分の正しさを確認する以上のものが、そこには

          僕にとって、「ふるさと」と呼ぶことのできる場所は沢山ある。生まれた関東地方はもちろんそうだし、たった1年間住んでいただけのロンドンも、僕にとっては大切なふるさとの一つだ。 釧路は、そんな幾つものふるさとの中でも、どこか特別な意味を持っていた。中学校を卒業してから10年間、帰ろうと思えば可能だったのに、そして帰りたいという気持ちは十二分にあったのに、どこか避けつづけてきた場所でもあったからだ。 * 当時、家から歩いて15分ほどのところにあったこの海岸に来ては、一人で何をす

          自分の正しさを確認する以上のものが、そこには