女性性と男性性


先日、観た『さよならの朝に約束の花をかざろう』の余韻がまだ残っている

女性が描く物語には終わりがない。男は白黒つけて決着をつけたがる。ハッピーエンドかバッドエンドか。女性の視点には始まりも終わりもなく、折り返し地点に集まって歌い踊っているような、そんなイメージがある

少しずつではあるけれど、エンターテイメントの世界にも女性性というものが広がりを見せつつあるように思う。これまでの堅牢な男性性の世界から一変して、柔らかくて温かい作品が増えてきている

しかし、それで世界が平和になるというわけではなくて。女性性だけでもダメで、大切なのは女性性と男性性が統合していくこと。どちらかに偏ってしまうと結末は同じになってしまう

男性性と女性性、イザナギとイザナミ。「女性は男性を通してでしか愛を実現できない」ロシアの神秘家グルジェフがそう言っていた。女性は孤独になることができないと。でも、男は違う。どこまでも孤独になれる

そこが男の長所でもあり弱点でもある。女性を置いていってしまうのだ。男だけで事を成そうとしてしまう。今の社会を見ていればわかるように

誰にでも女性性と男性性の両方が備わっている。女性性100%の人もいなければ男性性100%の人もいない。バランスを元に戻して新しいエネルギーを作り出していかなければならない

『さよならの朝に約束の花をかざろう』は、その新しい可能性に繋がるイントロダクションのような、聖書でいうなら天使のラッパが鳴ったような、そんな閃きが脳にダウンロードされたような気持ちになれる映画だ

こんなにも悲しくて、生々しくて、美しい作品は男には絶対に作ることができない。


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