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樹木図鑑その⑨ トチノキ〜強面なヤツほど、実は優しいのかもしれない〜

高校1年生のころ、ぼくは樹木を種子から育てること(実生育成)にハマっていました。あれだけの大きさに育つ樹木も、一番最初は小さな種子から始まります。それを土に埋めると、翌年の春に小指よりも短い芽がでてきて、ゆっくりゆっくりと葉の数を増やしていくのです。「ここから、恰幅のある幹が生成され、高さ30m以上の巨大な生命体が出来上がるのか……」そう考えると、なんだかしっくりこない感じもする。

発芽して1か月目の、ミズナラの幼苗。ここから最大200年生きる。

自分よりも遥かに大きく育ち、長く生きる奴らの、人生のスタートに立ち合っている。そのロマンこそが、樹木の実生育成の、何よりの魅力だったのです。

初っ端からつまづく

樹木の実生育成の第一ステップは、種子の採集です。夏の間に山を歩き回り、どこに、どの樹種が生えているかの目星をつけ、自分だけの種子採り場を記録し、結実の時期にそこを再訪するのです。なんだか「ひとり林業試験場」を運営しているような気分になって、楽しかったなあ。
9月ごろになると、様々な樹種が結実の時期を迎え、いよいよ種子採集のシーズン入り。ブナ、ミズナラなど、冷温帯系の樹種の種子を拾いに、電車で数時間かけて神戸から北近畿の深山に出向きました。

2018年の秋に集めたどんぐり。ナラガシワ(左)とレッドオーク(右)。

っがしかし。いざ種採り場に行ってみると、全然種子が落ちてない。やられた………!その年は種子の「凶作年」だったのです。
結局、往復6000円近い交通費をかけて来たのに、1個も種子を調達できずに帰る、という失態を犯しました。パチンコで大負けしたような気分で電車に乗ったのを覚えています。

ベランダを林業試験場に大改造した。2019年の春。
手前がミズナラとコナラ、奥がナラガシワ、クヌギ。

恐るべきマスティング

前述したように、どんぐりや山ぶどうなど、多くの樹木の種は、毎年同じ量は結実しません。豊作の年、凶作の年があります。
毎年同じ量の種を結実させると、当然ながら野生動物の餌の量も毎年安定します。すると、その個体数も増えていく一方。
これは樹木からしたら大問題です。
野生動物に種子を食い尽くされちゃった、なんていう悲劇が起こる可能性が高まりますから。
そうした事態を防ぐために、樹木は心を鬼にして、何年かに一度、動物へ与える餌を大幅にカットし、野生動物の個体数を減らすのです。

ミズナラのどんぐり。豊作の年には、車のフロントガラスにどんぐりが落下して割れる事故が発生するぐらいに大量に結実するが、凶作年には全く落ちてない

日本の冷温帯の森林の主要構成樹種、ブナの場合は特にスパルタで、彼らが野生動物に餌を与えるのは5〜7年に一度だけ。それ以外の年はまったくと言っていいほど種をつけません。こうすることで、野生動物の数を調整し、自分の子孫を守るのです。あの美しい樹姿の持ち主に、そういう冷酷な一面があったとは……。

ブナ林は、冷徹なマスティングによって維持されている。
ブナの世代交代は、野生動物たちの命を犠牲にして行われているのである。

樹木が種子の結実量を変動させ、野生動物の数を調整することを「マスティング」といいます。マスティングのメカニズムについては、まだ解明されていないことが多く、現在さまざまな研究が進められています。ブナの場合、4月下旬〜5月下旬の夜間の気温が平年よりも1度高くなると、その翌年は花の咲きが悪くなり、凶作になる、ということがわかっています。
マスティングは、樹木がとる生存戦略の中でも、最もミステリアスなものだといえます。そして、そのマスティングのおかげで、僕の種子採集は残念な結果に終わったのです。
しかし、電車賃と時間を垂れ流してしまった僕に、救いの手を差し伸べてくれる樹種が、たった一人だけ、いらっしゃったのです。それが、今回ご紹介する、トチノキです。

マスティングを行わない樹種

トチノキは、毎年9月ごろに、栗によく似た大きな種子を結実させます。当然、彼も僕の種子採集のターゲットに入っており、夏の間にトチノキ群落をあらかじめリサーチしていました。

神戸市内、三宮駅近くのトチノキの街路樹。
5月中旬に撮影。巨大な掌状複葉がばさばさと展葉していく姿が印象的。

トチノキは、冷涼な気候と湿った土壌を好む樹種で、関西だと深山の沢筋に分布します。カツラ、サワグルミなどと共に「渓畔林(渓流沿い、沢沿いの湿った土地に成立する森林)」の主要メンバーを務めています。
僕が種子採集場に選んだのは、兵庫県姫路市雪彦山山腹の沢筋。ここは中国山地の山中で、気候は神戸よりも冷涼。夢前川の源頭部にあたり、細い沢が付近を流れています。いかにもトチノキが好きそうな環境で、大木がニョキニョキ生えていました。

冬のトチノキの大木。広島県安芸太田町にて。

そんで、その大木たちの下には種子がゴロゴロ転がっていました。おおぉぉ……。思うように種子にありつけていなかった僕は、この光景に歓喜。トチノキよ、種を授けてくださったのは、君だけだよ……。マスティング中のブナに門前払いを食らっていた僕の目には、彼がまさしく神様に見えました。
無我夢中でその種子を拾い、家に持ち帰り、植木鉢に埋め、翌年の春に発芽させました。数年経った今でも、この時の実生は元気に育っています。

トチノキの種子。栗に大きさ・フォルムがよく似た大振りの種子が、厚い殻につつまれている。トチノキは、川沿いに分布する樹種。この厚い殻が、浮き袋の役割を果たし、大きな種子を包み込んだまま、川の流れに乗って下流へ流される。トチノキは、そうやって分布を広げていく。
川沿い、という自分のポジションを有効活用し、効率よく分布を拡大させるスキルには脱帽。

トチノキは、他の樹種とは違い、毎年同じ量の種子をコンスタントに結実させるのです。つまり、彼はマスティングを行わない。
だからこそ、凶作年に種子にあぶれた僕の味方をしてくれたのです。


縄文時代のアク抜きメソッド

僕は「実生育成」という趣味で樹木の種子を集めていただけなので、樹木にマスティングをされても別にダメージは大きくありません(悔しいけどね…)。しかし、樹木の種子が主食となっていた縄文時代であれば、話が別。マスティングは、それこそ命取りとなります。おそらく縄文人たちは、ブナのようなマスティング常習犯との付き合いに疲弊していたことでしょう。

僕が育てたトチノキの実生。

毎年コンスタントに食料を提供してくれるトチノキは、縄文人たちにとってはそれこそ救世主のような存在。彼らは、トチノキのことを貴重な食料資源として重要視していました。
トチノキの実には、強烈なアクがあり、生で食べるととてつもなくマズイです。奥入瀬渓流のガイドさんたちは、「トチノキがマスティングをしない理由は、マズすぎて動物すらほとんど食べないからだ」という仮説を立てていて、なるほどなあ〜と深く納得してしまいました。

トチノキの掌状複葉。トチノキは、日本で最も大きな葉をつける樹種の一つ。
同じようなキャラのホオノキとよく間違えられるが、彼は単葉なのに対し、こちらは複葉。

栃の実のアク抜きは、日本に自生する植物の中では最も難しいと言われており、虫だし→天日干し→果皮の除去→煮込み→水浸け→灰汁で煮る→水浸け……という非常に複雑な工程があります。全部こなすのにかかる時間は、2〜3ヶ月。驚くべきは、ここまで複雑・高度なアク抜き法が、縄文時代にはすでに確立されていた、という点。トチノキのアク抜き法が縄文時代の東北地方で開発されたことは、遺跡発掘調査で裏付けられています。

兵庫県豊岡市神鍋高原のトチノキの大木。ゴツゴツした体型に、凄まじい貫禄を感じる。

「この木の実、生だとめちゃくちゃ不味いけど、毎年収量が安定しているから、絶対に自分たちの生活の助けになる。なんとしてでも利用したい」
縄文人にそう思わせるほどに、豊凶がない栃の実は食糧源として貴重だったのです。

栃の実とのご縁は続く

農耕社会となった弥生時代以降も、人間とトチノキのご縁は続いていきました。
栃の実は乾燥させると10年以上保存することができるので、冷夏で稲が不凶になることが多かった東北では、食糧難時の非常食として貯蔵されました。
青森のブナの二次林を歩いていると、突如としてトチノキの大木が姿を表すことがあります。ブナの二次林は既存の天然林が一度破壊された後に成立する森。そういう場所にトチノキの大木が生育している、というのは、「ブナの天然林を伐った開拓民たちが、トチノキだけは残した」ことの証拠なのではないか、と僕は考えています。これは僕の妄想なので、正しいかどうかはわかりませんが……。

展葉しはじめた、トチノキの葉。霜対策で、フェルト状の産毛がついている。

いずれにしても、落葉広葉樹林帯の山里に住む人々にとって、トチノキが大切な存在だったことには、疑いの余地がありません。
一部の地域では、トチノキが生えている森の利用は会員制でした。よそ者にトチノキの森を荒らされたくなかったのでしょう。Amazonみたいにプライム会員はプラス10個拾える、みたいな感じのルールだったのかな?
小学校3年生の国語の教科書にでてくる物語「モチモチの木」に出てくるあの「モチモチの木」の樹種もトチノキです。(わっかりにくい文章ですいません……………)

広島県三段峡の、年季が入った栃餅の広告看板。

物語の中に、モチモチの木の実から餅をつくる描写がありますが、かつての日本の山村では実際にトチノキの実を砕いて餅が作られていました。栃餅は、普通の餅と違ってすぐに乾いてカチコチになることがないので、マタギが冬に山に入る時の携帯食として使っていました。現在でも土産物として栃餅が売られている地域があるそうです。

トチノキは、毎年5月下旬ごろにシャンデリアのような花を咲かせる。この花からとれる「栃蜜」は、東北を代表する高級蜂蜜。お菓子作りのほか、焼肉のタレにも使われる。一本の大木から20kg以上の蜂蜜が採れるため、トチノキは養蜂家お気に入りの樹種。トチノキの大木が多い奥入瀬渓流には、毎年開花時期になると大勢の養蜂家がやって来て、蜂の巣箱を設置する。

樹は見た目で判断するな

ここまで、トチノキがいかに優しい性質の持ち主か、いかに人々から頼りにされてきたか、を書いてきました。トチノキの、そういった仏のような一面を知ってから、いざ本人に会いに北国の渓畔林に出向くと、きっとビックリするでしょう。
トチノキの樹姿は、はっきり言って不気味です。下の写真(↓)は、奥入瀬渓流内のトチノキの大木ですが、なかなかグロテスクな枝ぶりではありませんか。

ぶっきらぼうに分岐した太い枝々は、皆焦り狂うようにグネグネと屈曲しています。こちらを脅迫しているかのような樹姿。そういえば、「モチモチの木」でも、主人公の豆太がトチノキのことを「おばけみたい」と言って怖がっていたような。豆太も、トチノキから「枝ぶりの威嚇」を受けた被害者のひとりなのです。
落葉期に奥入瀬樹木ツアーに参加してくださったお客様にも、「なんだか気持ちが悪い枝ぶりですね」と言われました。

トチノキは葉が大きいため、枝を密集させることはできない。
それゆえ、直線的な幹と枝がバサバサと伸びた、ぶっきらぼうな樹姿が完成する。
これが、トチノキが強面である理由だと個人的には思う。

栄養価が高い実を毎年絶やさず落としてくれる、という優しい心の持ち主なのに、こんなにイカツイ見た目をしていたんでは、みんなに怖がられるばっかりで、彼の内面の良さが人々に伝わらないんじゃないか。余計なお世話ながら、トチノキのことが心配になってきます。
実際、バサバサと無愛想に枝を振り回すトチノキの大木を見た後に、優美な枝ぶりと美白な幹で身なりを整え、精一杯のおもてなしをしてくれるブナに出会うと、やっぱりブナがめっちゃいいヤツに見えてきます。樹木ツアーでブナの大木をお客様に見せると、高確率で「ああ、良い樹ですねえ」というご感想をいただきますが、トチノキの大木を見て「この樹、好きです!」ってなる人は見たことがありません。トチノキよりも、ブナのほうが圧倒的に人気なのです。これは、やはり第一印象の良さの違いによるものでしょう。

ブナ(上)とトチノキ(下)の比較。

でも、蓋を開けてみると、優しげなオーラを全身から放ち、紳士然の出立ちのブナには、事あるごとにマスティングを行なって野生動物たちを食糧難に叩き落とす、という冷酷な面がある。一方で、近付き難いほどに怪奇的な枝ぶりを見せつけ、こちらをビビらせるトチノキは、毎年食料を提供してくれる優しきメンター。
優しそうな雰囲気のヤツが本当に優しいとは限らないし、強面のヤツが本当に怖いかどうかも分からない。樹木は見た目で判断してはいけないのです。
みなさんも、北国の森に出かけた時は、優美なブナの色気に惑わされるだけでなく、ぜひぜひトチノキにも会いに行ってやってください。あいつ、枝ぶりは怖いけどめっちゃええヤツなんです………。

<トチノキ 基本データ>
学名 Aesculus turbinata
ムクロジ科トチノキ属
落葉広葉樹
分布 北海道、本州、四国、九州 冷涼な気候、湿った土壌を好む
樹高 35メートル
漢字表記
別名 ウマグリ
英名 Japanese horse chestnut

<参考文献>
・八木浩二(2021)”「とちもち」についての調査・研究業務”https://www.creative-tsuruoka.jp/global-data/library/tsuruoka-tochimochi.pdf
・あきた森づくりサポートセンター(n.d.)”トチノキ”http://www.forest-akita.jp/data/2017-jumoku/20-tochi/tochi.html
・国立研究開発法人・森林研究整備機構 森林総合研究所(2002)”樹木の種子生産戦略〜かしこい子孫の残し方〜”https://www.ffpri.affrc.go.jp/pubs/seikasenshu/2002/2.html
・今 博計(n.d.)”ブナにおけるマスティングの適応的意義とそのメカニズム”https://www.hro.or.jp/upload/3763/kenpo46-2.pdf
・河井大輔(2019)”奥入瀬自然誌博物館”


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