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”樹の国”の森を巡って 〜神が棲むと、森はどう変わるのか?〜 その①

「半島」というのは、人間にとっても、樹にとっても、特別な場所です。

”半分島のような場所”という語源通り、半島はその地理的な条件のせいで他の地域から隔絶されています。陸路で移動する場合、本土から突き出た土地をわざわざ通過することはありません。それゆえ、古来から現在に至るまで、半島は主要な交通網から切り離されてたのです。いわば、「行こうと思わなければ決して辿り着けない場所」。
こういった特性のせいか、半島では本土とは異なった歴史が流れることが多く、文化習俗も独特なものになりがちです。

また、森歩きの観点から見ても、半島という場所は非常にオモシロイ。
大きく突出した地形は、いくらかの緯度差を稼ぎ、暖流や寒流に接近するため、独特な気候を帯びる傾向があります。そのため、半島の内部の植生は非常に特殊なものになるのです。実際日本には、「半島部に集中的に分布する樹種」というのが一定数存在します。アコウ、バクチノキ、トガサワラ、アオギリなどは、そのいい例で、彼らは伊豆、紀伊、室戸、足摺、大隈などの、日本列島南岸に突き出したいくつかの半島に隔離分布しているのです。

バクチノキ。肥大成長の際に樹皮が綺麗に剥がれる性質を、博打に負けて身ぐるみ剥がされる人に例えての命名。常緑樹だが桜の仲間。

半島は、一種の別世界。それゆえ、普通に旅行するにしても、森を歩くにしても、”半島の探索”という旅のスタイルには、どこか特別な意味がある気がします。

今回は、そんな半島旅のレポート。
目的地は、日本最大の半島、紀伊半島です。

広大な領域、深い山


紀伊半島は、近畿地方の南部一帯を占める、日本最大の半島。
日本地図を見ると、改めてそのスケールの大きさに気付かされます。

紀伊半島の位置図。東西方向に伸びる本州の本体から、大きく南に突き出した陸塊は、半島と呼ぶには大きすぎる気もする。(TomTomの地図データを使用)

紀伊半島の付け根を紀の川〜吉野川周辺(和歌山県北部、奈良県南部)とすると、そこから半島南端の潮岬までの距離はちょうど100km。東端の志摩半島から西端の紀伊日御ノ岬までは、約180km。面積は1万㎢に及びます。半島って、たいてい細長い形をしている気がしますが、紀伊半島に関しては、南北にも東西にもかなり大きく伸びているのです。

近畿地方最高峰・八経ヶ岳からの景色。無数の溝が刻み込まれた、深い山がどこまでも続く。

さらに、紀伊半島の特徴は、その広大な領域だけではありません。半島の内部の紀伊山地は、日本で最も山深い土地のひとつ。

紀伊山地の核心部には、近畿地方最高峰の八経ヶ岳や、釈迦ヶ岳、大台ヶ原山など、標高1800m以上の高峰が聳えています。その頂から生じた幾つもの稜線は、皆凄まじい傾斜で山を駆け下り、深い谷間へと消えてゆくのです。そして、険しい地形の隙間を縫うようにして、吉野川、熊野川などの大河が深いV字谷を刻み込む…。
高い峰に立って、その有様を見ていると、あまりの山深さにちょっとした恐怖感を覚えてしまいます。

深い谷を削る熊野川。

そもそも広大すぎる半島に、深い深い山岳地帯が延々と広がっているのです。この地形の険しさは、長きにわたって紀伊の山の深部への人間の侵入を拒んできました。

事実、紀伊半島は日本史の中心地である畿内に隣接しているのにもかかわらず、古代から現代に至るまで、半島の内部は人やモノの流動から隔絶されてきました。交通手段が発達した現在でも、紀伊山地の奥地に到達する手段は貧弱な国道のみです。

奈良県天川村の行者還(ぎょうじゃがえり)岳。
あまりの険しさに、多くの修験者が引き返したことが名前の由来。

深い山が強固な壁となって、固く閉ざされた土地。その奥深くには、未知なる世界が広がっている…。
畿内に住む人々は、外界から隔絶された紀伊という土地に対して、いつしか畏怖の念を抱くようになりました。そうして生まれたのが、この地独特の山岳信仰

7世紀後半に日本が仏教の鎮護国家になって以来、紀伊の山々は”神々の棲家”として信仰されるようになりました。現在でも日本有数の仏教聖地として知られる高野山(和歌山県)は、真言密教の祖である空海が816年に開山した根本道場(真言宗の総本山)です。

高野山では聖なる樹として扱われるコウヤマキ。
紀伊半島をはじめ、太平洋に近い深山に生育する日本固有の針葉樹。

しかし、紀伊半島での山岳信仰が大きく加速したのは11世紀頃に浄土教(仏や菩薩が住み、一切の穢れ・煩悩がない清浄な国である浄土に往生することを願う教え)が起こってから。
人智を超えた極端な地形のためか、人々は長年「紀伊の山の奥深くは浄土と繋がっている」と信じてきました。この信仰が元となって、半島各所に多くの霊場が誕生したのです。熊野三山、金峯山寺などがその代表格。

それぞれの霊場は、紀伊山地の奥地を貫く複数の山道で結ばれていたのですが、その多くは険しく危険な難路でした。そんな過酷なルートを辿って、自らの足で山奥深くまで潜り込み、霊場に到達する…。これが、浄土へ近づく第一歩だったのです。それゆえ、身分の上下、男女関係なく、古代から現在に至るまで多くの人が紀伊の山に入り、巡礼の旅を行いました。
この山道こそ、世界で2つしかない”道の世界遺産”、「熊野古道」です。

熊野古道の地図。紀伊山地で最も標高が高い山域を通過する大峯奥駈道は、特に険しいルートで、崖スレスレを通過するポイントもある。現在でも滑落による死者が出るほど。
(TomTomの地図データを使用)

紀伊半島は、単なる秘境ではありません。広大かつ深々しい山岳地帯と、1000年以上にわたる信仰が作り上げた、巨大な聖地なのです。

樹の国


文化的な価値が高いだけではありません。植生の観点から見ても、紀伊半島は非常に興味深い土地なのです。

紀伊半島は、黒潮海流に大きく接近しているため、本州の本体部分と比べて温暖で、降水量が多いのが特徴。
特に東紀州では、標高1500mを超える大台ヶ原山が、海岸からわずか15kmの距離で一気に迫り上がっています。こういった急峻な山肌が、黒潮からの雨雲を直接受け止めることによって、紀伊の山腹には年間4000mmを超える莫大な降水がもたらされるのです。

また、紀伊半島の地形は非常に標高差が激しい。それゆえ半島の内部には、照葉樹林から亜高山帯針葉樹林まで、日本に存在する植生タイプが概ね全て揃っているのです。海岸線から紀伊山地の核心部まで登山することは、植生観察の観点で言えば日本を縦断するのと同じこと。植物マニアがよだれを垂らすような環境です。

西日本有数の高峰である大台ヶ原、大峰山脈の山頂部では、氷河期からの生き残りであるトウヒ、シラビソ、ウラジロモミなどの針葉樹が森を作っている。本州最南端の亜高山帯針葉樹林で、これらの森は亜熱帯性のアコウが生える海岸線から直線距離で数十kmしか離れていない。
写真は、大台ヶ原山のウラジロモミ林。
奈良県弥山(みせん)中腹のブナ。
紀伊半島は、本州最南端のブナ林が見られる場所としても有名。毎年やってくる台風の影響で、
北日本や信越のスリムな樹形のブナと違って、全体的に横広がりの樹形になる。
和歌山県日高町のアコウ。クワ科イチジク属の亜熱帯性の樹種で、日本本土では黒潮海流が当たる温暖な地域にのみ分布している。紀伊半島のアコウ群落は、本種の分布の最北端。

温暖な気候、豊富な降水、複雑な地形という3要素が組み合わさって、極めて複雑な植生が展開されている。この特性から、紀伊半島の森はしばしば「天然の植物園」という表現で紹介されます。

紀伊の山中で長年研究を行っていた博物学の巨匠・南方熊楠は、
熊野の天地は日本の本州にありながら和歌山などとは別天地で、蒙昧(もうまい、暗く鬱蒼とした様))といえば蒙昧、しかしその蒙昧なるがその地の科学上きわめて尊かりし所以で、小生はそれより今に熊野に止まり、おびただしく生物学上の発見をなし申し候。
南方熊楠が58歳のときに日本郵船大阪支店長に宛てて書いた履歴書より
(”引用”の欄を作成していただきたく存じます)

という言葉を残しており、特異な生態系を持つ紀伊の森が彼にとって最高のフィールドであったことがよく分かります。

奈良県和佐又山のヒメシャラ。明治時代の日本を旅したプラントハンター、
アーネスト・ヘンリー・ウィルソンが「森の貴婦人」と称賛したツヤツヤの赤肌が特徴。
太平洋に面した土地の深山に多い樹種で、紀伊半島の森では頻繁に見かける。
紀伊半島から離れ、本州の本体部の森に行くとパタリと見かけなくなるのが不思議。

畿内の南に隣接する広大な山岳地帯に、深い深い原生林が広がっている……
この様子を見た先人たちは、7世紀にその土地を「木の国」と名付けました。これが、現在まで続く「紀伊」という地名の由来となっています。

奈良県川上村の下多古村有林。
日本最古の人工林と言われており、ヒノキ、スギの巨木が林立する。最高齢の樹で樹齢400年、樹高は50m。紀伊半島は、日本で最も古くから林業が行われていた地域のひとつであり、
吉野杉、熊野杉、尾鷲檜など、名だたるブランド材の故郷となっている。

森が深いから「木の国」。シンプル極まりない地名の成り立ちが、逆に高揚感を掻き立てます。

僕は関西出身なのにも関わらず、隣接する紀伊半島の奥地には19歳まで足を踏み入れたことがありませんでした。広大で山深い紀伊半島は、半島特有の隔絶性が一層強いので、気軽に探索できるような場所ではないのです。

しかし、改めて考えてみると、紀伊という場所はめちゃくちゃ面白い森歩きフィールドではないか。なんて言ったって「木の国」なのです。樹木マニアの僕が行かない理由がありません。

そして何より目を引くのが、広い広い紀伊山地のほぼ全域が「神が棲む森」として、1000年以上にわたって崇拝されていた、という特異な歴史。ここまで広い森が、ここまで長い期間神聖視されてきた、という例は、世界的にも珍しい。
宗教的な保護のもとに置かれていた森(鎮守の森)では、当然ながら人間の手垢のついていない森林景観を拝むことができます。そういう場所で樹木を観察するのが、一番楽しいのです。

紀伊半島は、鎮守の森の元祖と言える場所。
長い間神が棲み続けた森では、一体どのような植生が展開されるのか?"神"の存在は、森の生態系にいかなる影響を与えるのか?
これを知ることは、日本人の宗教観と、森との関わりを考える上で、極めて重要である気がします。

それでは出発。
神の棲家を訪ねる旅へ。


その②へ続く




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