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キャリア選べる時代  コンサルの必要性増す ~日経産業新聞 HRマネジメントを考える (2018.10)

ご依頼を受けて、ちょこちょこ書いていたもののアーカイブをこちらでしておくことにしました。今日は日経産業新聞の6回目です。もう少しで追いつきます。一昨年の暮れくらいから、6~7名でリレー連載のようなものを書いてます。2カ月に1回くらい担当がまわってきます。各内容は広い意味でHRに関係があれば何でもOK。今回はキャリアについて、選択肢のある幸せな時代に私たちは悩んでいるというような話です。私の担任クラス、来週末は第4回、理論の勉強が始まります。

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日経産業新聞 HRマネジメントを考える (2018.10)
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キャリア選べる時代  コンサルの必要性増す
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2016年にキャリアコンサルタントが国家資格となり、国はこれを24年度には10万人まで増やそうとしています。キャリア教育の裾野も大学はもちろん高校・中学まで広がってきました。しかし、振り返ってみると日本における「キャリア」の歴史は浅く、この言葉が普通に使われるようになってからまだ20年余りです。

世界で初めて「キャリア」という概念が着目されたのは、20世紀初頭のアメリカです。世界最初の大量生産モデルであるT型フォードの生産が始まったころです。多くの新産業が膨大な数の労働者を求めました。

その供給源は二つです。一つは全米各地から集まった農業などの他産業についていた若者。そして、もう一つは海外からの移民です。それ以前は、農家の子は農家、パン屋の子はパン屋という世襲が通常でした。

幼い頃から親の働く背中をみて、親をモデルとして仕事のイメージを構築し、慣れ親しんでいた仕事に就いていました。これらの人が都市に出てくると勝手はずいぶん違います。聞いたこともない不慣れな仕事に就き、うまくいく者、いかない者、様々でした。

移民はもっとドラスティックです。アメリカの人口は1900年に7600万人程度でしたが、その後に大量の移民が流入しました。この時期の移民の多くは欧州から海を渡り、都市部の工場などで働きました。

しかし、職場への定着度は芳しくなく、一部では定着までに平均6つの職場を経験する必要があったといいます。当初は定着が悪いのは技能不足が理由とされていましたが、どうやら場当たり的な職探しにその理由があるのではと考える人たちが出てきました。

そして、個々のパーソナリティや能力といった特性と、仕事に求められる要件を適切に結びつけることで、よりよい職探しをめざす「特性因子論」という初期のキャリア論が確立されます。

「丸いくぎは丸い穴へ」という言葉が有名ですが、それ以前は丸も四角も三角も一緒に扱われていたわけです。生まれ育った土地で親の職業を継ぐという、選択の余地がゼロの世界から変化と選択のある時代へ。この変化がキャリアという概念を生みました。

そして、いまの日本。私たちの周りは選択肢が満ち満ちています。新卒一括採用、長期雇用という日本型雇用慣行が崩れ、転職・中途採用は当たり前になりました。女性がほぼ一般職しか選択肢がなかったという時代も、大学推薦で就職を決めていた時代もはるかかなたです。社内をみても、自己申告制度や公募制度といった自ら選択をする仕組みが広がっています。

ただ、人は選択肢を手に入れると同時に、選択する難しさとも直面するようになります。私たちは、キャリアについて悩み、考え、決断をすることを強いられるようになりました。選択肢のある世界は、選択肢のない世界と比較して間違いなく豊かな社会です。

しかし、豊かさの中で私たちはもがき苦しみもします。キャリアコンサルタントの国家資格化、これを国をあげて増やそうという動きは、大きな時代構造の変化の真っただ中に私たちがいるということの裏返しです。

多くの人がキャリアに関しての適切な支援を必要としています。産業革命に匹敵する大変化の時代に私たちはいるのかもしれません。

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