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【人間関係】ジャッジをやめると奇跡が起きるというお話(前編)

※今回は非常に長く、そしてかなりマニアックな内容となっておりますので「前編」「中編」「後編」の三部作とさせていただきました。サクッと読みたい方には非常に申し訳ないのですが、極めて重要なテーマですのでお時間の許す方は是非最後までお読みいただけましたら幸いです。尚、中編は明日4/23、後編は明後日4/24投稿予定です。

こんにちは。本日もお越しいただき本当にありがとうございます。愛してます

さて、本日のテーマは「ジャッジしない生き方」ということですが、実際「あの人は〇〇だからダメだ」とか「あの人はこういうところが〇〇で腹立つ」といった会話は日常生活で頻繁に交わされるかと思いますし、人は人に対して何らかのジャッジを下しながら人間関係を構築する生き物ですから、それをやめるというのは不自然なことのようにも思えます。

特に社会人にとってこの「ジャッジ」というのは人事考課にも大きく影響する部分ですし、「全員を平等に見る」ということが「頑張っている人と怠けている人を同一に評価する」ということにも繋がり、結果的に不平等となってしまうことも往々にしてあるわけです。

ではやはりジャッジは必要なのでしょうか。

これに対する私の回答は「社会にとってジャッジは必要。でも自分にとっては不要」となります。

今回はこれを深掘りして解説していきますね。

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