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読書 | 歌集⑧

 ⑦と同様に、ここ数ヶ月で読んだ歌集にそれぞれさらさらと短い感想・一番好きな一首と評・その他好きな歌を書いていく。

 ⑦はこちら( https://note.mu/jellyfish1118/n/n57b3a8d4ddf8 )。

(目次)

千種創一『砂丘律』
𠮷田恭大『光と私語』
藪内亮輔『海蛇と珊瑚』
服部真里子『遠くの敵や硝子を』
堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』
田口綾子『かざぐるま』
今橋愛『としごのおやこ』

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○千種創一『砂丘律』(青磁社、平成27年)

 題名のとおりに、砂のように本が壊れてしまいそうで、なかなか読めずにいたところ、作者あとがきに「砂のようにぼろぼろになって、いつの日か無になることを願う。」とあり、ああ良かったんだと思って何度も読んだ。歌たちに流れる感情や言葉の温度がだいたい同じで、すごく読みやすかった。

下がってく水位があって、だめだな、あなたと朝を迎えるたびに

 この歌を見た時に、瞬間的に〈セックスをするたび水に沈む町があるんだ君はわからなくても/雪舟えま〉を想起した。その反対というか、終わり際のことを言っているのかなと、勝手にそっちの方で読みを進めた。「だめだな、」の生々しくて素直な感情、「あなたと朝を迎える」という素敵で静かなことが、水を背景に起こる。一首に流れる朝の光る空気を感じて好きだった。無理に性交の読みに繋げなくても読める。この一冊の中にあるがために、「下がってく水位」だけで砂が見えてくるのも、言葉のはたらきを感じた。

〈ほかに好きな歌〉

君はあくまで塔として空港が草原になるまでを見ている
思い出してからは早くて(もうおそい)青鷺がねむい泥をとびたつ
密にあつまり浮草はあやうい陸をみせる Life is a Struggle
蝋燭の芯をたたせる初めてじゃないから昔したみたいにする

○𠮷田恭大『光と私語』(いぬのせなか座、2019)

 本が美しい。読むのが遅くなったのは、あまりに綺麗で、傷つけたくなくて。題名も見事で、本として大事にしたくなる歌集。歌は、きっちり生活しているのに、単語や空気感、ページのデザインや空白が、届かない光のような静謐さをどこかまとっていて、独特の世界があると思った。

本は木々に還らぬとして(知らないが)あなたのことをあなたより好き

 歌集全体が、淡々と流れていて、「好き」とかいう直截な愛の単語が出でくることがあまり無く、この歌を見てめくる手が止まった。ふつうの世界で見かける「好き」とは違う感触、威力がある。本(紙)と木の関係と、あなた-わたしの関係が重ねられていると読んだが、その間に挟まった「(知らないが)」が、もっと思いを真にしていて、信用のできる歌だと感じた。私語だ、と思った。

〈ほかに好きな歌〉

脚の長い鳥はだいたい鷺だから、これからもそうして過ごすから
飼いもしない犬に名前をつけて呼び、名前も犬も一瞬のこと
いないときのあなたのことをよく知らない。
日も長くなるのだしなるべく君と平易な言葉で話さなくては

○藪内亮輔『海蛇と珊瑚』(角川書店、2018)

 比喩や詩的イメージを駆使した歌たちで、一つ一つの強度が高く、読み応えがあった。第二部の「適当な世界の適当なわたし」ではびっくりする歌が多くあり、この本に感想を述べることは僕に許されているのだろうか、とも思ったりした。読みながら歌の花や雨に心が侵蝕された。

心とは信じてはならない泉 咲くのを忘れたら咲きなさい

 この歌を読みながら、自分と自分の心が離れて、遠くから心を眺めているような心地になった。滾々と湧き出る泉。「咲くのを忘れたら咲きなさい」というのが澄明ですっと心に響いた。響いた心を眺めて、意外と信用できるのかもしれないと思ったりもした。「咲く」というのを死のことと思って読むこともできるかもしれない。この歌集に頻繁に出てくる花と雨のイメージのうち、一番好きな歌だった。

〈ほかに好きな歌〉

雨はふる、降りながら降る 生きながら生きるやりかたを教へてください
ここから数百キロはなれた街にふる雨はいつもいつぴきのかたつむりを濡らすために
ヒッヒッヒッとスウプ混ぜたら引かれたり一日一首もつくれないやつに
ちみつななみだ、ちみつなこころをわすれずに。永遠に準備中の砂浜
晩夏にわたしはわたしをにくしんでエスカレーターの銀の嚙み合はせ

○服部真里子『遠くの敵や硝子を』(書肆侃侃房、2018)

 美的な描写が上手く、ぱらぱらと捲るだけでも満ちるものがある。第一歌集でもそうだったが、花を詠んだ歌が多く、凛としていて、読んでいるうちに咲きそうになる。静か。

雪柳てのひらに散るさみしさよ十の位から一借りてくる

 作者は美しい歌のなかでも、こういう少し面白いような、急に詩的に飛ぶ歌がままある。雪柳という白い可憐な花がてのひらの上に散るさみしさ、そして十の位から一借りる……。十の位から一借りるという微妙な感覚が、雪柳に重ねられることでしっくりはっきりと伝わってくる。足し算の繰り上がりの明るさとは違う、引き算の暗さ。綺麗な歌を引かれがちだが、こういう面白い歌も見逃せない。

〈ほかに好きな歌〉

今宵あなたの夢を抜けだす羚羊の群れ その脚の美しき偶数
雪は人をおとずれる 人が河沿いの美術館を訪れるのに似て
水仙と盗聴、わたしが傾くとわたしを巡るわずかなる水
半夏生の群生にわれは見ていたり君の見たたましいの林立

○堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』(港の人、2013)

 一頁に一首の豪華な歌集。一枚一枚ゆっくり読んだ。僕やあなたがたくさん出てきて、その二人にまつわることがメインになる。美意識や空想を一度通過すると、ここまで輝きを持つのだと感動した。あと改めて題名がとても魅力的だと思う。

君がヘリコプターの真似するときの君の回転ゆるやかだった

 「君」が、ヘリコプターの真似をするという穏やかで優しい光景。そこに、「ゆるやかだった」という主体の視線が加わることで、さらに優しくなる。ヘリコプターの真似をするものの、ヘリコプターの回転数までは人間が真似できるはずがない。そんなことは分かっているが、分かった上でゆるやかな回転を見つめていた主体。思い出すような言い方も含め、陽だまりのような暖かさがある。この作者の歌には、こういうさらにさらに美しくしていくような作りが多く、一首の読みどころが多い。

〈ほかに好きな歌〉

泣く理由聞けばはるかな草原に花咲くと言うひたすらに言う
秋茄子を両手に乗せて光らせてどうして死ぬんだろう僕たちは
白薔薇がかがやきながら揺れている記憶を漱ぐときのくらがり
僕もあなたもそこにはいない海沿いの町にやわらかな雪が降る

○田口綾子『かざぐるま』(短歌研究社、平成三十年)

 主に文語の旧仮名で進んでいく。だから読むのが重いかなと思っていたけれども、読み進めると、題材が面白くてするすると読めた。先生としてのシーン、ごはんや酒、さらには歌人たちとの闇鍋をも題材に。読後とてものどかな気持ちになった。

遠く君の声聞くときに心とははがきのごとき大きさしろさ

 表現が涼しい。最後に「しろさ」で終えられているのが尚更涼しい。はがきで「しろさ」が言われるのは分かるとしても、「大きさ」というのが少し変わっていて面白い。はがきのような大きさ、大きいとはいえないだろうし、でもどこかに届けることが出来る丁度いい大きさでもある。君のことを思って言葉が「君」へと送られたがっているのだろうか。

〈ほかに好きな歌〉

せんせい、と呼ばるるときにわがうちの恩師いつせいにわれを見る
われは君のいかなる月日 てのひらを唇をからだを順に重ねて
択ぶとは 水にひらける半身を消たれつつなほ水上花火
また夜に家で会はうね、眠かつたら先に寝てゐていいんだからね

○今橋愛『としごのおやこ』(書肆侃侃房、2018)

 子どもとの日々を主に記したうた日記。「にじゅういちがつ」の章で、自分が壊れたのかというくらい、勝手に涙が溢れてきた。拭こうかと思ったけれど、読み終えるのが先だと思って、零しながら読んで、終わってから鼻をすすった。そしてこれからも何度も読むことになると思った。この本を贈ることも何度もあるだろうと思った。

つかれてて
わすれていたよ
ここちゃんが
すごくおもしろい子だということ。

 ここ、は娘さんの名前。日記の歌に対して鑑賞も何もないとは思うが、この歌の眼差しのあたたかさが沁みる。「わすれていたよ」と言えることの安堵。最後の句点も、噛み締めるような嬉しさが伝わってくる。

〈ほかに心に残った部分〉

ははという字が
わたしになっていることを
おかしい。といえる よゆうもちたし。

しぬまでのじかん永遠ではないとふいにきづいて からだが重い

そんざいがラメっていたよと
ともだちが
ほめてくれる
とおい日のことを

かわいいといわれて
うれしいときと
かなしいときがあるんだ
 
分かる?

・「にじゅういちがつ」全部

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