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3日坊主を100回やればいいのだ

瞑想と呼吸の90日が終わり
次の90日が決まった。
たいしたことじゃない。小さいことだ。

ただ、90日やったら身体が変わるだろう。
欲を言えば毎日がいいんだけど、
それはハードルが高い。

超えられなかったときの
自分へのガッカリ感がキツイから
今度は春分にしてみよう。

あ、間に合わない。90日ない・・・。
仕方ない、今日から春分まで毎日やるしかないな。

たいしたことないし、いつでもできるから
これは「毎日」という嫌な響きのするハードルに
そろそろチャレンジするタイミングということか・・・。
自信がない。
それは昔からなんだよね。

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『継続できない子』

子どものころ、あまり裕福じゃない家庭だったから
何かやりたい、といっても
簡単には習わせてもらえなかった。

そしてさらに、
やると決めたらやり抜く精神で、
絶対にやめません!

そうやって親を説得して始めるも、
途中で面倒になってしまう。
そして嘘をついてしまったような自分を責めるのだ。

そう、私は自分との闘いが苦手。
長距離、山登りはNo thank you。
ついでに大人の今でも「サボりたくなる癖」はある。

他の同年代の子どもはわからないけれど
おそらく小学生のころには
習い事を何年も情熱的に取り組み続けるとかが苦手だったと思う。

だからいつも母親から
「どうせあんたは続けれらないでしょ」といわれ続け
私は自分で「なんでも続かない子」なんだと思っていた。

これが刷り込みだったとしても
自分をそう思って成長してきたから厄介だった。

何事も始める前に「やめるだろう」「続かない」と
心のどこかで思ってしまうのだ。仕事も、恋愛も。

彼氏ができてもいずれ別れても大丈夫なように付き合っていた。
なのでそんな薄っぺらな関係が続くわけない。

就職しても、いつも片足だけ靴を履いているような、
いつでも辞められるような心づもりでいた。
なので仕事に愛着がわかない。

でも昔は人や環境のせいにしてたなぁ。
結婚でその大きな壁にぶちあたるのは別の話にしよう。

で、最近90日をやって思ったのは
「継続できないタイプ」と思っている私のようなものは
期限を決めるといいと思った。

途中、少しだけ甘えても大丈夫な設定で。
自分が許せるような基準で。

ちいさな成功例を重ねて
刷り込みを払拭するって大事なのではないかと。

子どものころって
毎日やること
それを継続すること
始めたことをすぐに諦めないこと
やり抜くこと

そんなことが正しく素晴らしいと教わったが
別の在り方があってよいのだと思った。

もし三日坊主になっても
また別の日に3日やればいい。
そして三日坊主を100回やれば300回やったことになる。
やるとやらないではやはり結果は変わるのだ。
(良し悪しの話ではなく変化が起こるということ)

継続は力なり
塵も積もれば山となる

楽しみながら
自分の変化を味わいながらやるのが心地よい。

まあ、年齢もあるのかも。
歳をとるのって悪くない。

あ・・・
春分までにやるのは
「面倒臭くない方法で脚の筋力を強化する」
逃げてきた下肢の強化に取り組んでみることにした。

地味なので変化を感じたら記事にしようと思う。
一昨日思いついて始めたらさっそく筋肉痛だ。
ほんの数回しかやらないのにこんなに来るということは
マジで弱ってるんだなぁ・・・

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