郭アルバム_0

世界のスラムを旅するラッパーのノート

ひとまず自分の歴史を一度振り返ってみる

2002年 ラップデュオのKP結成し東芝EMIよりメジャーデビュー、デビューシングル「Nver land」、「ソニック」アニメ主題歌「T.O.P」、アルバム「ガムシャラ」リリース
「第19回ATP賞2002」のドキュメンタリー部門で最優秀賞を獲得した『在日親子』に出演
2004年 NHKハングル講座にラッパー講師として出演、映画「HARUKO ハルコ」主題歌「Day dream」
2005年 アルバム「1000 peaces」リリース
2006年 東京芸術座 舞台「GO」出演、アルバム「GATE」リリース
2007年 アルバム 「BATON」リリース
2010年 アルバム 「いくおとせいくん」リリース、KP事実上活動停止、Mewtant Homosapience 結成、IT事業立ち上げ
2015年 事業を手放して放浪を決意
アメリカ、ロシア放浪
2016年 Mewtant Homosapience アルバム「KAWASAKI」リリース、タンザニア、ケニア、オチオピア、ウガンダ、ルワンダ放浪
2017年 ラップワークショップ開始、カンボジア放浪、九州公演こども劇場、ルポ川崎(サイゾー)インタビュー
2018年 ユリイカ8月号 ケンドリックラマー特集に寄稿イスラエル、パレスチナ、カナダ、ドイツ、フランス、オランダ、トルコ、ロシア、ウズベキスタン、カザフスタン放浪

ザクッとこんな感じか
それから今後の予定としては
完全にノープランで
何となくインドと南米、中南米を
攻めないといけないと思ってる

だがその前に
2019年になる前に
平成最後に
自分のソロアルバムを完成させないとと思ってる

これからどう生きていくにしても
自己表明を改めてしなければ
三十五歳の気が収まらないというか

もちろんどうやって生きていこうか
なんて差し迫った問題が
四歳くらいからずっとあるわけで

十四歳から27まではラッパー
32までは起業家
35までは放浪してきたけど

一度も就職したことがないわけで
蛹の中で液体になってトランスフォームしてるわけで
でも
これまで3年半旅してきたコト
これまで35年生きてきたコト
35年よりも前のコト
そしてこれからのことをラップしようとしてるわけで

お金になるかどーかとかよりも
生産性とかよりも
一個の生命として
この世にはばかった肉声録音しなきゃ

アルバムのタイトルは何とかく決めてて
「フマニタス」という単語を使うと思う

俺は本を読むのが苦手だから
映画や漫画からサイヤンスされることが多いけど
一番のサイヤンスはやっぱり人と出会うことだと思う

ある映画監督との出会いで知った単語がフマニタス
彼は日本を離れてドキュメントにこだわってアートしてる
その人にアルバムを手渡した時に
おっ!
って思ってほしいからね

人を通じてモノを知って
覚えたらこどもみたいに擦り切れるまで使って
自分のモノにしたいよね
んで
それを教えてくれた人にいい驚きになって返せたら最高
返せなかったとしてもいいんだけどね


11月13日くらいからレコーディングをスタートしようとしてるけど
色々と自分ではありえないと思うことにチャレンジしようと思ってるので
お楽しみに

曲は
今までリリースしてなかったやつも一緒に出すか
これから作るだけのもにするかは迷い中だけど
それもおいおい

・カミソン君のリバーサイドソング
・俺なり組曲
・323氏
・移民について
・エイミー
・ユン

上記の仮タイトルの曲は新しく描き下ろさないとダメだな
今日は頭の中に浮かんだ単語軍やフレーズだけばらまいて去るよ

これから俺なりのラップロジック、ラッパーライフ、ナレッジを
風の吹くまま気ままに綴っていく
今のところ「ラップで食う」なんてことは全くできてないし
メジャーデビューした時から音楽バブル崩壊すかしっ屁で音楽で食っていくのは大変だと身にしみてわかってる

だけど会社経営して社長なったって
ホームレスになったって気づけばラップを口ずさみ
もっともっとラップが上手くなりたいと思ってる
ラップを聞くのも好きだけど
ホイットマンもションベンちびるライムができた時
マイクでコールして
うっとりするような優等生にどギツイスラングシャウトさせる快感には勝てねぇ

だから出来るだけ長くラップして生きていきたいんだ
持続可能にするためにはゲッマニーだ
ゲッマニするため会社も作って社員も60人くらいいたこともある
だがあれはもう二度とやりたくない
去勢された犬みたいに勤勉に働いた
新宿のタワマンに暮らし
毎日寿司か焼肉みたいな生活だったが
幸せじゃなかった
幸せじゃなけりゃ心が踊らない
心が踊らなけりゃラップはできない
偽りの幸せはいらない
辛いが本当の幸せが欲しい
それは険しい道のりだけど
その難しい道をいく方法を模索してる

まとめると
俺はぶっ飛んだ場所で
心躍らせながら
俺が感じたことを
俺の肉声で表現して
アルバムを作り
旅を続けたいってことだな
死んだように生きたくないんだ
いつか死ぬんだから
死ぬのはそれからでいい




平成ラスト2018
かき捨て生き恥
三十五歳
俺はラッパー
四歳ん時
詩に出会った
親父が褒めてくれて勘違いした
自己表現なんて皆そんなもんだ

みかんをむいた
たいようのようにむいた
ひとでのようにむいた

忘れたが覚えてるそんな感じだ

それが未だに消えないパンチライン
言葉の比喩に取り憑かれた
肥沃な貧困が生みの親
ネガでもメタファーでユーモア

幼馴染の異父兄弟と公園
5時のチャイムから孤児は冒険
東から登り今しがた去った
光より眩しい ネオン街の方へ

暴力より無関心が進化か
過剰な干渉 別の支配下

選択肢だけ加速
地方都市は過疎

時は流れてる 一体誰のために?
取り立てられてる 一体何のために?

別に生まれたくて生まれてきたわけじゃねー
男と女
責任の歴史
レスポンスアビリティー
応答しろ東京
誰支えたソサエティー
ニューヨークで暴動

熱血漢ぶり冷めててごめんね

昔より妙に優しい大人

興味ない

少年が少年の命奪う
加害者の写真がネット中舞う
街の寂しが人の居場所奪う
公園で子供達はラップを歌う

【7月29日更新】
やっとアルバムが完成した
何度も何度も泣いて
一人でずっと震えていた

この四年間
いや
俺の人生は逃げてばかりの人生だった
KPの時も相方に前を譲ったし
舞台GOでは地下鉄で殺される役で
会社経営の時も内容の充実より売上に逃げ
そして今度は育った日本から逃げて
逃げて逃げて現実逃避して
とうとうドン詰まって
もう逃げれなくなった

でもきっと今まで逃げ続けなければ
こんなにも自分が100万年後までの仕事を仕切ってしまったなんていう
限界突破を100万回したようなアルバムはできなかった

それはいままで自分の意志と反して
やりたくないことを続け積み重ねたことが
こんなに豊かな表現方法になるとは
あのつらい時期はわからなかったからさ

これを読んでるみんな

人生はいつ成功で
いつが最良な時か
それは誰にもわからないってことなんだ

そして俺がここまでアルバムを作ることに固執したのは
川崎という街で色々な人に出会ってしまったからなんだ

ハッキリいっとく
俺はこのアルバムを作るために生まれてきた
全ての辛い経験はこのためだったんだ

俺の言う川崎って場所のことじゃないんだよ
多くの人が生きづらさから抜け出せないで
ドン詰まって腐って
発狂して
あるいは音も立てず
消えてく

そんな地獄でも希望はあるんだと
光はあるんだと
それでも前向きに宿命に抗う精神力のことを
俺はKAWASAKIと名付けてるんだ

KAWASAKI2はそんな君の、俺(ら)の物語


この記事が参加している募集

自己紹介

みなさんのサポートでより一層ぶっ飛んだ行動ができます。一片の悔いも残らない程ぶっ飛ばしていただければ幸いです。