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2021/08/30

コロナワクチン1回目を接種してきた。
四方から聞こえる色んな副反応に対して身構えていたけれど、今のところ腕が少しだけだるい以外はいつもと変わらない。
ひとまず胸をなでおろした。
大学で打ったけれど、接種はなんら滞りなく進んでいて、結構打ちに行く人も多い印象。
待機時間があることを除いて普通の注射と変わらなかった。
なぜか「パリは燃えているか?」が流れている待機場所で、15分の暇をつぶすためににゃんたこさんのエッセイを開いた。
2章から読み進めていたのだけれど、その中の「つゆだく納豆的幸福論」という節がとても気に入ったので、今日はそれを少し紹介したい。


徹夜の作業を終え、吐き気を催すほどの空腹に襲われたにゃんたこさん。
冷蔵庫を漁ると納豆、それも一番好きなつゆだくタイプの納豆を発見して無上の幸せと一緒に納豆ご飯を頬張るというお話。
その話の後の言葉が、共感できてとても好き。

人はみな「幸せになりたい」と簡単に口にするのに、「幸せである」とは口にしない。それって少しおかしい。何を幸福とし何を不幸とするかなんて、私たち、自分自身が決められることなのに。幸福の追求なんて変だ。幸福とは、追いかけずとも常に私たちの隣にある。

私の座右の銘 (というには長い) はUNISON SQUARE GARDENというバンドの、Fake Town Baby という曲の歌詞。

甘いか苦いかは君が決めろよ
『嫌いなもんは嫌い うるせえ 黙れ』
それじゃ 多分 ぶっとばされちゃうぜ
苦言雑言 言ってるだけじゃ 見向きさえされないから
生命session 全部巻き込んで 楽しむのがこの街のルール

というもの。
特にこの最初の一行を、もっと言葉数を増やして表現したのがにゃんたこさんなのかなと思う。
急な雨に降られても「事故に巻き込まれずに無事帰宅した。すごい。幸せ。」とか。
転んで脚を怪我しても「脚以外は無事。良かった。」とか。
そうやって一見不幸な出来事でも、幸福に転化することはいくらでもできると思う。
(もちろん不幸の程度によって限界があるのも承知している。よりよい場所への逃げ道があるなら逃げたほうがいいし、不幸としてある不幸も存在すると思う。)
私は「どんな状況にも楽しみ方はある」と思っているのだけれど、まさにこれらのことが理由になっている。
そんな私の人生哲学 (というより生き方?) を、にゃんたこさんに肯定された気がして嬉しかった。

また、同じ部分でも衝撃を受けたのが「幸福の追求なんて変だ。」という部分。
私は落ち込んでいるときに「幸福追求権は誰にでも保証されているよ?」という少々受け取りにくい励まされ方をした。(今でも「表現どうにかならなかった?」と言いたい。)
確かに私は (あるいは私たちは) なんとなく幸福を「求めて」いる気がする。
なんなら幸福を見つけ出そうと、少し必死過ぎるのかもしれない。
もちろん、金メダルを取るとか、再生回数1億回とか、会社で重要ポストを任されるとか、タワーマンションの最上階に住むとか、そういう大きな幸福を追いかけていくのは悪いことだと思わない。
けれどそれに夢中になりすぎて、「金メダルを取れない自分はダメだ」「会社の地位がこんな自分はダメだ」と思いすぎては良くないんだろうな。
「自分はまだまだだ」と「自分はダメだ」は全く別物なのだから。
私は今現在「虚無の日」も優雅に過ごせている気がするけれど、例えば虚無の日に友人がパーティーをしている写真を送ってきたら、自分と比べてみじめさを感じてしまったり、少し自己否定をしてしまうかもしれない。

ここまで思考を巡らせて私は「バズ」に憑りつかれていた友人を思い出した。
友人はTwitterで1回バズを経験してから、バズるツイートを目指して投稿することが増えた。
けれどそう毎回ウケるわけではなく、いいねが2しかつかないことだってあった。
バズを狙ってはスベりを繰り返す。
そうするうちに友人は少し病んでいった。
今は元気だけれど、プロでもない限りそうやって幸福を求めすぎるのは精神的にリスクを抱えてしまうのかもしれない。
勝ち続けるのはほぼ不可能だし、すごく疲れることだ。
やるならやったらいいし、その貪欲さは感動を生むこともあるし、何もしないよりは勝ちに近づけるはずだ。
でも私は「勝てない方の自分」をこそ好きでいたい。
例え大きな幸福を手にできなくても、ずっと笑っていられるような人になりたい。


なんだか何を言いたいのかわからなくなってきた。
結論としては「私は幸福を追求すること自体はいいと思う。けれどやり過ぎには注意して、日常のすぐそばにある幸福をしっかり感じて、それらを大事にして生きようね。具体的には、追求対象にもし届かなくても、それでも幸せだと胸を張って言えるかどうか。」になるのかな。

にゃんたこさんのエッセイ、面白い。
私とは全く違う境遇を生きてきて、恐らく現実に会っていても仲良くはなれなかったのに、同じような考え方をしていた。
その事実も面白かったし、何より第三者に生き方を肯定されるとすごく励みになる。
(「面白かった」の他の言い方見つけなきゃ......。)
それとFake Town Baby もいい曲なのでぜひ。
私はこれから先の人生で何か1曲しか聞けないのならこの曲を選びます。



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