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学園長は微笑む 愛国者学園物語18

 2代目広報担当者の酷さに比べれば、学園長は、はるかに人当たりの良いおじさんだった。

 教師ではない彼は、もともと有名ではない芸能プロダクションの出身だったが、その当時の仕事ぶりを知る人はほとんどいなかった。ただ、うわさとして、彼が、某若手タレントの横暴さに「キレて」、そのタレントを成敗した話があるという。その馬鹿なタレントは、いつもニコニコしていた、当時の学園長の怒りように恐怖して、芸能界を即時引退したそうだ。だから、この学園長、通称ニコニコおじさんを疑いの目で見る学園関係者は多かった。笑顔を絶やさないのはうわべだけで、実は危険な人間なのだろう、と。

 それに、もう一つ裏話があった。この愛国者学園には「プロデューサー」たちがいて、学園長が彼らのボスだと言うのである。

なぜ、そう言う話があるのか。それは、この学園の行事や学園生の振る舞いはどことなく、わざとらしいからだ。

 学園の子どもたちは、マスコミにも散々取り上げられたように確かに礼儀正しい。朝、学園の校門を通過するときは、校舎に一礼して「今日も1日よろしくお願いします」と大きな声で言う。その逆、帰宅する際は同じように「今日も1日ありがとうございました」と感謝の言葉を唱える。


 自分たちの両親のことは、「お父様、お母様」と言い、他人と話すときは「うちの父、母は」と敬語を使う。それは20代、30代になっても、「うちのお父さん、お母さん」と公の場で話す芸能人とは大変な違いだった。
それは彼らが礼儀正しいからではなく、そういう立ち振る舞いを教える、プロデュースする人間たちがいて、彼らを束ねているのが、学園長だと言われていたがその詳細は不明だった。


 21世紀の日本は、インターネットの発達により、目立つことや、ときには異様な言動が大きなアクセスを集めるようになった時代だ。その結果、アクセス数の大きさ、いかに話題になるかが重要な評価基準になってしまった。

 だから、愛国者学園もあの手この手でそれを増やすべく努力をしたことは資料や彼らの言動で明らかなのだが、それの元締めが学園長ということになる。愛国者学園とその亜種が大きな勢力に育った理由の一つが、ネット対策で、それを支えていたのがプロデューサーたちだったようだ。結果、学園生の立ち振る舞い、特に礼儀正しさや行進の動画は、ネット社会で大いにうけた。


 実は乱暴者? あるいはプロデューサーたちを指揮している。この2つうわさが、学園長の「後光」となって、学園において、彼の存在を大きなものにしていた。しかし、このような薄暗い恐怖感とは別に、学園生の子供たちは彼によく懐いた。

 実際のところ、学園長も学園生たちを手塩にかけて育てたからだ。教師ではない彼だったが、構内をよく見回り、子供たちに声をかけ、時にはたしなめた。でも、子供たちは、彼が人を叱るのはきちんとした理由があるときだけと分かっていたから、彼を信じていた。それゆえ、ニコニコおじさんこと学園長のことを悪く言う学園生も、保護者もほとんどおらず、彼らの信頼が学園長のパワーを増幅した。


 愛国者学園があの恐ろしい事件の後で崩壊しても、プロデューサーたちの暗躍は明らかにはならなかったが、学園の歴史には、彼らが仕事をしたらしい痕跡は多々ある。「ストレンジラブ」事件もその一つだろう。

続く 


行進については、こちら

行進訓練 愛国者学園物語 その5

https://note.mu/jerusalemohkawa/n/nb72b5a692639


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