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「作家に『古本屋で買いました』って言うな」論争について思うこと

この話題、ネット上で初めて見かけてから数年が経過しているような気がする。
毎年、毎月、誰かが何らかの形で話題にしていて、そのたびにいろんな人が自分の考えを発信している。

当初僕の目に触れる範囲には「確かにそうだ。作家本人に本の出どころ(新品ではない経路。古本屋・図書館)を告げる必要はない」というような、新品派な意見が多く流れていた。

2023年8月現在、この話題が再び盛り上がっているが、今僕の目の前には「読者の行動を作家や出版社側が規制するべきではない、間口を広げた方が出版不況に対抗できると思う」というような、擁護派・気にしない派の声も流れるようになってきた。


仕事柄もあって、最初に話題になってからの数年間、僕はこの問題についてほぼ常に考え続けてきた。
というか本という形態のものを見かけるたび、この話題と目にしてきた無数のメッセージは不可避的に頭をよぎる。考えずにはいられない。

話題は一巡どころか加速し、そもそもの論点を外れてきているような気もするので、ここらで僕が考えてきたことをまとめておくのも良いのではないかと思い、このnoteを書くことにした。

物書きのひとりとして、決して他人事とは思えなかった。
予算に限りがあるけれど読みたい本は日々増えていくし、けれども書き手として考えたら、新品/電子で買ってもらえなければ印税は入ってこないからだ。



記憶を頼りに思い返すと当初この話題は、作家本人と会える機会にファンの方が「いつも古本屋で買って読んでます!応援してます!」みたいな言葉を伝えたのが発端だった気がする。

僕はこのそもそもの出来事に関しては、作家に本の出どころを伝えない/新品で買うが行動としてベターだったのではないかと考える。

ファンの方が伝えたかったのは「応援している」という気持ちであろう。
この「応援」という言葉を分解すれば、「あなたの書く物語はとても面白い。これからもいろんな新しい作品が読みたい。書き続けてほしい」となるのではないか。

商業出版する作家であるからには、書き続けるためには作品から収入を得ることが必要だ。本は作者に印税が入る形で売れ続けなければ、作者は作家業を続けていくことができない。

となると、「ファンが本を1冊買う」という観点で見た時、中古の本/図書館の本はこの条件を満たすことが難しくなる。
ファンの側から見ても、「好きな作家が書き続けられるように応援する」という目的を達することができていない。

だからこそ制作側は、「自分にバックのない形で読まれている」と複雑な思いを抱くに至ったのではないだろうか。



しかし、だからファンの人が悪かった・配慮が足りなかったとは言えないし、言ってはいけないと思う。

これは本をめぐる業界の事情であって、流通の仕組みを知らなかったファンに非はないからだ。

印税の仕組みや出版業界について知らなければ、本を読んではいけないなんてことはない。自分の心に刺さる物語との出会いは、運命の人との出会いと同じでいつどこでどう起きるか誰にも分からないのだ。

舞台は新刊書店だけとは限らない。

古本屋の一角。図書館の隅。おばあちゃんの本棚。電車で向かいに座った人が読んでいたからかもしれない。

「あっ」と直感めいた何かを感じた時、この本を強烈に読んでみたいと思った瞬間に、その本を手に取ったり、調べたりせずしていつ出会うのか。

「ここは古本屋だから……作家さんに印税が入らないから……」と慌てて新刊書店に走るのか?
おばあちゃんの本棚で見つけた本を、目の前にあるにも関わらず、孫が読む前にわざわざ新しく買い直すべきか?

ちょっと馬鹿らしく思えてきた。


僕は当初、この話題に感化されて
「確かに中古で買ったり図書館で借りたりすると、作家さんに入る印税が限られちゃうな。出版不況がなくなってほしい。僕もできるだけ新品で買うようにしよう」
と思っていた時期があった。この考えは根強くて、今でも頻繁に思考に上る。

だがこの新品思想、かなり気持ちがしんどくなるのだ。

僕はもともと罪悪感を強く感じやすいところがあって、ありとあらあゆる時に「新品で買えなくてすいません!」と心の中で謝りながら本を手に取ることが増えてしまった。

絶版した素敵な本と巡り合った時とか、ふらりと入った古本屋で魅力的な一冊と目が合ってしまった時とか、どうしてもお小遣いが足りなくて図書館で借りて済ませた時とか。

読書は楽しいし大好きだ。その気持ちは変わらない。

けれどもどうしても入手経路のことが頭の片隅から離れなくて、超楽しい物語に触れている間も、「新品で買えなくてごめんなさい」と思い続けてしまっていた。これがなかなか辛い。


罪悪感に苛まれているうちに、論点がズレているのではないかという気がしてきた。

そもそもなぜ出版不況なのか。なぜ本は値上がりしているのか。若者は大して活字離れしていないという言論すら見かけるというのに。

それは顧客のせいでも出版社のせいでもなく、国全体が不況の波に浸されているからではないか?

「日本は唯一、政策の失敗によって不況に陥っている」という説を見たことがある。的を射ていると思う。

つまり現状が嫌だなと感じるのなら、政府に政策の方針転換を図らせることで(そして国民には政府に意見する権利がある)経済状況の変化をもたらせる可能性が大いにあるということだ。

そうすると出版不況は出版業界だけの問題ではなく、消費者に「出版界の仕組みを知って、できるだけ新品で買ってね」とちょっと辛い認識を周知させるでもなく、国全体が抱える問題の一端と見なすことができる。
業界だけで抱え込み、解決しようと頑張るたぐいの問題ではないのだ、そもそもが。

逆に言うと自分たちだけで解決しようとするからこそ、買い手に業界について知ることを求め過ぎたり、それによって敷居の高い界隈だと思わせて新しく興味を持ってくれた人を委縮させてしまったりするような問題も起きるのではないだろうか。



結論。

作家に「書き続けてほしい」と思うのなら、本を新品で買うこと(売れる作家であることを出版社に印象付けること)は有効である。

ゆえに作家に応援の気持ちを伝えたいのなら、わざわざ「どこで買ったか」を言葉にする必要は必ずしもない。

だが、作家を応援する方法は新品で買う以外にもある。人に薦めることだ。

古本で買って読んだ読者が感銘を受け、友達5人に薦めたら。そしてその5人のうち、2人でも3人でも新品で買って読んだ人がいたら。ひとりで新品で買って読んだ時より多く本が売れることになる。このファンは作家を応援するという目的を、古本で読んだが達成している。

出版不況に抗う方法は無数にあり、出版流通の仕組みを周知してできるだけ新品で買ってもらうというのは、そのうちのひとつに過ぎない。

最も大きな話をするなら、政治経済の面から不況の改善に取り組むべきだ。


内向きに回る渦はいつか中心に至って失速してしまう。

外向きに回る渦は拡散し、どこまでも広げていくことができるだろう。


本を読んでほしいのなら、本が売れてほしいのなら。確かにとっつきやすい界隈でなければならない。

今必要とされているのは、きっと周りに溢れる文字たちを開放して「読むって楽しいよ」と言い続けることなのだ。




Jessie

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